強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖

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七本槍

伊賀守調略

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安治は、一人長浜城に向かっていった。伊賀守が長浜城を接収したときから大分時が経ったように思えたが、まだ半年も経っていないことに気付いた。
 馬車馬のごとく働くとは、この事か…。安治はこぼした。振返ってみれば、ここ数か月は筑前守の後を必死の思いで着いてきた。槍働きこそなかったものの、安土城修復、山崎城普請と羽柴家の家政に精を出してきた。
 筑前守は戦国の世には珍しく、家政に長けた者を重用した。安治と同じ近江出身で、安治より六歳も年少の石田佐吉という若者がいるが、彼など羽柴家の中でめきめきと頭角を現している。もっとも、安治が筑前守に目をかけられているのは、結局のところ、城普請をそつなくこなす力があるからである。筑前守子飼いの加藤虎之助や福島市松らも周囲からは武辺者と思われているが、家政も取り仕切れる者たちだ。だからこそ、筑前守は可愛がる。
 槍働きで脇坂家を盛り立ててゆきたいものじゃが、それにこだわるのもまずいのかもしれん。安治は、そう考え始めていた。今に至るまで、父の仇を討つことを忘れてはいない。忘れていないからこそ、毛利家との戦いにおいては、槍働きに専念してきた。とはいえ、父の悲願は脇坂家を盛り立てることだ。それを差し置いて、仇を討っても父は喜ばないであろう。であれば、何とかとして伊賀守を味方に引き入れ、筑前守の覚え目出度くする他ない。もっとも、伊賀守調略の方が、槍働きよりはるかに難しい。安治は、却って難題を背負った気分になった。
 思いを巡らすうち、長浜城に辿り着いた。筑前守と柴田修理の間が上手くいってないとはいえ、両家の間で戦が始める兆候はない。長浜城はいたって穏やかであった。安治は、伊賀守様に火急お伝えしたいことがあると、門番に来意を告げた。長浜城は、もともと羽柴家のものだ。施政について筑前守から伊賀守へ助言があるのかもしれない。そう門番は考えたのだろうか、特に安治を怪しむこともなく、大手門の奥へ消えていった。
 しばらくして先ほどの門番が戻ってきた。伊賀守様にお目通りが叶った故、着いてこられよと言って、安治を先導した。広間に通された後、しばらく待っていると、次々と男たちが入ってきた。男たちは、上座を守るように座った。男たちが座ったのを見計らったかのように、瘦身の男が入ってきて上座に座った。
 このお方が伊賀守様か…。伊賀守の姿に安治は少なからぬ驚きを感じていた。伊賀守は、修理の実子ではない。嗣子のいない修理が姉の子である伊賀守を養子として迎え入れたのだ。実子でない故に当然と言えば当然だが、伊賀守は修理とは似ても似つかない風貌であった。修理は、“鬼柴田”の異名どおりの風貌だ。容貌など、鬼瓦といっても言い過ぎではないくらい、迫力がある。ところが、伊賀守は一目で蒲柳の質とわかるような容貌であった。青白いうりざね顔に切れ長の目。絵巻物にでも出てくるような体つきだ。
 もしかしたら、どこか病んでおられるのかも知れない。安治はそう思った。そして、同時に伊賀守が修理と疎遠になっているという噂が真実にように思えてきた。これは、いけるかもしれない。安治は大芝居に打って出ることにした。
 「羽柴筑前守家臣、脇坂甚内と申します。此度、主、筑前守より伊賀守様宛の言付けを言上仕るべく、罷り越した次第にございます。」
 安治は一気に言い切って、平伏した。
 「ほう、筑前守殿が何と?」
 伊賀守が穏やかな声で問いかけてきた。あまりの穏やかさに安治は、これから述べることを予想しているのではと勘繰ったが、どうやらそうでも無いようだ。熱でもあるのか、むしろ表情はうつろであった。安治にというわけでもなく、もはや何に対しても興味を失っているようにさえ見えた。
 「されば申し上げます。筑前守は、伊賀守様と手を取り合って、ともに織田家を盛り立てていきたいと考えております。」
 安治がそういった瞬間、広間に緊張が走った。伊賀守の重臣たちがこの話に食いついてきたのが、安治にも伝わってきた。一人、伊賀守だけが表情を変えずに安治の目を見返していた。
 「これは異なことを仰せられる。もとより、我が柴田家は筑前守殿と織田家を盛り立てていく所存。筑前守は、いまさら何を仰せられる?」
 伊賀守は、安治の真意を感じ取ったのか分からない口調で聞き返してきた。
 このお方は、一体何を考えている?伊賀守に聞き替えられた安治は、少々戸惑っていた。まさか、本当にこちらの意図が分からないのか!?いや、そんなはずはあるまい。少なくとも重臣どもは、こちらの意図を正しく汲み取ったはずじゃ。そうでなければ、重臣どもの顔が強張ることはない。ということは、伊賀守は筑前守の調略には応じないということか…。
 これでは、手土産なしに筑前守の下に帰ることになる。安治は勝負に打ってでることにした。
 「畏れながら、筑前守は、伊賀守様を置いて他に、柴田家を纏められるお方はおられぬ、と申しております。そして、筑前守は、もし伊賀守様が更なる誼を通じていただけるのであれば、越前の領有をお任せしたいとも申しておりました。もちろん、伊賀守様をお支えになる皆様方にも相応の知行を宛がうと申しております。」
 安治は思い切ったことを口にした。口から出まかせである。もちろん、筑前守の許しなど得ていない。しかし、いかなる手であれ伊賀守の調略に成功するのであれば、筑前守は咎めたりしないであろう。筑前守に賭ける以上、これくらいの博打は避けて通れない。
 広間は水を打ったように静まり返った。重臣どもはみな、伊賀守の方を向いていた。
 伊賀守がおもむろに口を開いた。
 「筑前守殿も恐ろしいことを仰せになるものよ。わしは親不孝の謗りを受けるつもりはない。脇坂殿、これは考えようによっては、織田家に対する謀叛ではないか?」
 伊賀守は、激高することもなく淡々と問い返してきた。この伊賀守という男、見た目に反して、実に鋭い。伊賀守に調略を仕掛けるということは、筑前守は修理を敵とみなしているということだ。織田家筆頭家老を自負する修理を追い落とそうと画策するのは、織田家を掌中に収める狙いがあると思われても否定できない。伊賀守の思うところは、尤もな道理である。しくじったか…。
 「殿、畏れながら申し上げます。」
 立派な顎鬚を蓄えた男が、突然声を上げた。
 「将監、いかがした?」
 声を上げたのは、伊賀守の家老の一人、山路将監であった。かつては、神戸家に仕えていたが、その武勇を見込まれ修理の家臣となり、その後、伊賀守の家老となった男だ。
 「殿、筑前守様のお申し出、一考の価値はあるかと心得ます。」
 安治が伊賀守の問いに何と答えようか考えあぐねているうちに、思わぬところから話が進もうとしていた。
 「憚りながら、殿の器の大きさを知る者が今の柴田家におらず、よもや筑前守様がそこまでお見通しとは夢にも思っておりませんでした。聡明であらせられる殿が、何ゆえ、玄蕃様の後塵を拝さねばならぬのか、拙者には得心がゆきませぬ。もちろん、玄蕃様の武勇は心得ており申す。さりながら、いくら武勲を重ねたとて、柴田家の惣領は殿おいて他におりませぬ。柴田家の惣領が筑前守様と手を取り合って織田家を支えていかれれば、織田家は安泰にございましょう。」
 山路の口上は、安治にとって渡りに舟であった。しかも、他の重臣どもも山路に同調していたようで、揃って伊賀守の顔を窺っていた。
 山路将監という男、随分と山気があるな…。安治はこの展開に安堵する一方で、一抹の不安も感じていた。
 「甚内殿、筑前守殿のご厚情は忝い限りであるが、即答はしかねる。柴田家の惣領としての立場は弁えねばならぬ。その点、ご斟酌賜れれば幸甚じゃ。」
 伊賀守は、穏やかな口調ながらも話を打ち切った。
 「かしこまりました。筑前守には、しかと申し上げます。」
 これ以上畳みかけるのは無理と考えた安治は、大人しく引き下がることにした。
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