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チャプター【015】
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二橋は、蝶子のそのわずかな動作に気づかず、
「ノア。それは、この国のどこか地下深くに存在するという――あなたなら、そのノアが、どこにあるのか知っているのではありませんか」
そう訊いた。
蝶子はホルスターの装着を済ませると、二橋に眼を向け、また首をふった。
「そうですか……。執行人のあなたなら、もしやと思ったのですが……」
二橋は落胆したように肩を落とした。
「ノアの存在は、この国の復興を願う人々の心に描いた虚像のようなもの。実在はしない」
そう言う蝶子に視線を止めて、二橋はわずかに押し黙ると、
「そうでしょうか。ノアは、必ずあるはずなんです」
と切り返した。
蝶子はそれに答えず、コートを羽織った。
そして太刀を手に取る。
「その刀、実に見事なものだ。わたしは刀に詳しくはないが、よほどの名刀なんでしょうね」
二橋はふいに話題を変えた。
「これは、父の形見です。名は、私も知りません」
それには蝶子も返答した。
「お父さんの形見……。そうでしたか。お母さんはご健在なんですか?」
「いえ、父と一緒に、あの大震災のとき……」
「――辛い思いをなさったんですね。わたしもあの日、妻を亡くしました。いったいどれほどの人が、あの大地震によって死んでいったことか……」
「二橋さん。情に訴えようとしても無駄ですよ。私から話せることはなにもない。ノアはほんとうに存在しない」
「――――」
二橋は何も言わなかった。
蝶子は太刀を背に負い、
「お世話になりました」
こくりと頭を下げると、二橋親子に背を向けた。
その背に、
「蝶子さん」
二橋が声をかけた。
蝶子はふり向かずに足を止めた。
「あなたは、いや、執行人は、そのノアと関係があるのではないですか?」
二橋のその問いに答えることなく、蝶子はその部屋を出た。
すると、蝶子の背後から足音が近づいてきた。
蝶子の横を抜けて前に出る。
美鈴だった。
暗闇のうえ迷路のようなコンクリートの通路を、蝶子が迷わないように外まで先導しようとやってきたのだろう。
蝶子は美鈴に先導されるまま、あとをついていった。
入り組んだ通路をずいぶん進んでいくと、外への出口が見えた。
外へ出ると、蝶子は美鈴の前で屈みこみ、微笑みを向けた。
「ありがとう。元気でな」
そう言葉をかけると、美鈴は悲しい表情を浮かべ、それでもどうにか笑み作り、こくりとうなずいた。
そんな美鈴の頬をなでて蝶子は立ち上がり、背を向けて歩き出した。
しばらく歩いてふり返ってみると、蝶子をまだ見送っている美鈴の姿があった。
軽く手を上げると、美鈴もそれに応えて手を大きくふった。
純真無垢の少女の姿がある。
精一杯の笑顔を浮かべて、手をふっている。
そんな少女が、異形人になろうとしている。
美鈴の変異は、全身の3分の1程度だと二橋は言っていた。
だが、あの鱗が身体を被い、異形人となってしまうのは、それほど先のことではないだろう。
蝶子は胸が焼かれる思いで、手をふりつづける美鈴に背を向け歩き出だした。
累々とつづく瓦礫の中を歩いていく。
ずいぶんと歩いていき、蝶子はふと足を止めた。
名残惜しむかのようにまたふり返る。
さすがにもう、美鈴の姿は見えない。
それだけの距離を歩いてきたのだ。
蝶子は、黒く厚い雲に被われた空を仰ぎ見た。
その蝶子の頬を、空から降り落ちてきた雫が叩いた。
黒い雫。
雨が降りはじめていた。
蝶子は、雲間に瞬く閃光に眼を馳せた。
いつまで、こんな世界がつづくのか。
しばらくのあいだ、蝶子は空を仰いだまま雨に打たれていたが、歩んでいた方角へと身体をもどすと、再び歩き出した。
その歩調はそれまでとは違い、行き先を定めているかのようにしっかりとしていた。
「ノア。それは、この国のどこか地下深くに存在するという――あなたなら、そのノアが、どこにあるのか知っているのではありませんか」
そう訊いた。
蝶子はホルスターの装着を済ませると、二橋に眼を向け、また首をふった。
「そうですか……。執行人のあなたなら、もしやと思ったのですが……」
二橋は落胆したように肩を落とした。
「ノアの存在は、この国の復興を願う人々の心に描いた虚像のようなもの。実在はしない」
そう言う蝶子に視線を止めて、二橋はわずかに押し黙ると、
「そうでしょうか。ノアは、必ずあるはずなんです」
と切り返した。
蝶子はそれに答えず、コートを羽織った。
そして太刀を手に取る。
「その刀、実に見事なものだ。わたしは刀に詳しくはないが、よほどの名刀なんでしょうね」
二橋はふいに話題を変えた。
「これは、父の形見です。名は、私も知りません」
それには蝶子も返答した。
「お父さんの形見……。そうでしたか。お母さんはご健在なんですか?」
「いえ、父と一緒に、あの大震災のとき……」
「――辛い思いをなさったんですね。わたしもあの日、妻を亡くしました。いったいどれほどの人が、あの大地震によって死んでいったことか……」
「二橋さん。情に訴えようとしても無駄ですよ。私から話せることはなにもない。ノアはほんとうに存在しない」
「――――」
二橋は何も言わなかった。
蝶子は太刀を背に負い、
「お世話になりました」
こくりと頭を下げると、二橋親子に背を向けた。
その背に、
「蝶子さん」
二橋が声をかけた。
蝶子はふり向かずに足を止めた。
「あなたは、いや、執行人は、そのノアと関係があるのではないですか?」
二橋のその問いに答えることなく、蝶子はその部屋を出た。
すると、蝶子の背後から足音が近づいてきた。
蝶子の横を抜けて前に出る。
美鈴だった。
暗闇のうえ迷路のようなコンクリートの通路を、蝶子が迷わないように外まで先導しようとやってきたのだろう。
蝶子は美鈴に先導されるまま、あとをついていった。
入り組んだ通路をずいぶん進んでいくと、外への出口が見えた。
外へ出ると、蝶子は美鈴の前で屈みこみ、微笑みを向けた。
「ありがとう。元気でな」
そう言葉をかけると、美鈴は悲しい表情を浮かべ、それでもどうにか笑み作り、こくりとうなずいた。
そんな美鈴の頬をなでて蝶子は立ち上がり、背を向けて歩き出した。
しばらく歩いてふり返ってみると、蝶子をまだ見送っている美鈴の姿があった。
軽く手を上げると、美鈴もそれに応えて手を大きくふった。
純真無垢の少女の姿がある。
精一杯の笑顔を浮かべて、手をふっている。
そんな少女が、異形人になろうとしている。
美鈴の変異は、全身の3分の1程度だと二橋は言っていた。
だが、あの鱗が身体を被い、異形人となってしまうのは、それほど先のことではないだろう。
蝶子は胸が焼かれる思いで、手をふりつづける美鈴に背を向け歩き出だした。
累々とつづく瓦礫の中を歩いていく。
ずいぶんと歩いていき、蝶子はふと足を止めた。
名残惜しむかのようにまたふり返る。
さすがにもう、美鈴の姿は見えない。
それだけの距離を歩いてきたのだ。
蝶子は、黒く厚い雲に被われた空を仰ぎ見た。
その蝶子の頬を、空から降り落ちてきた雫が叩いた。
黒い雫。
雨が降りはじめていた。
蝶子は、雲間に瞬く閃光に眼を馳せた。
いつまで、こんな世界がつづくのか。
しばらくのあいだ、蝶子は空を仰いだまま雨に打たれていたが、歩んでいた方角へと身体をもどすと、再び歩き出した。
その歩調はそれまでとは違い、行き先を定めているかのようにしっかりとしていた。
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