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【第57話】
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高木の思いを、康太郎はすぐに察した。
「そんな気がしたってだけだよ、きっと。だってよく考えてみて。いまボクたちは声を潜めて話してるけど、この部屋だったらさ、いくら声を潜めたって聴こえるはずだよ。それに、もし聴こえたとしたら、びっくり仰天してると思うよ」
康太郎の言うのはもっともである。
その部屋の間取りといえば4畳半だ。
そのうえベッドからふたりがいる部屋の隅は、二メートルと離れていないのだ。
ゆかりに声が聴こえているとするなら、どんなに声を潜めようとも聴こえないわけはない。
「いいや、絶対に聴こえるんだ」
だが、高木は断言した。
「そこまで言うなら、名前を呼んでごらんよ」
「お、おう。言われなくたって、そうするさ」
言われるままにゆかりを呼ぼうとし、だが、高木はその声を喉元で止めた。
「どうしたのさ、早く」
康太郎が急かす。
「いや、だめだ。ほんとに声が聴こえたらよ、ゆかりが恐がるじゃねえか」
確かにそうである。
ひとりしかいない部屋で、とつぜん声がしたら、だれだって恐い。
声がゆかりに届くのはうれしいことだが、だからといって恐がらせたくはない。
だが康太郎は意に介さず、
「大丈夫だよ。ゆかりちゃんには聴こえるはずがないから」
そう言ったとたん、
「ゆかりちゃん!」
と、ゆかりを呼んだ。
「あ、こら!」
だが、時すでに遅そく、高木はどうなることかと、ゆかりの様子を窺った。
ゆかりは康太郎の声に、何の反応も示さなかった。
「ほらね」
康太郎は勝ち誇った顔をした。
「ほらね、じゃねえよ。ヒヤっとさせやがって。心臓が止まるかと思ったじゃねえか」
「心臓はもうないでしょ?」
「フン。もしも声が聴こえてたら、どうするつもりだったんだよ」
「もしも、なんてことはないよ。結果がすべてさ」
康太郎はゆかりのとなりに坐った。
「おい、こら、俺の娘に近寄るな」
康太郎を引き離そうと思ったが、ふたりならんだその光景を眼にして、高木はそうするのをやめた。
その画がとても微笑ましく見えたからだ。
思えば、康太郎とゆかりはともに8歳なのである。
康太郎がもしもゆかりと同じ年に生まれていたならば、ふたりは同級生だ。
ランドセルを背負い、ふたり仲良く小学校へと登校していたかもしれない。
小学校ではクラスも同じで、机をならべて勉強に勤しんでいたかもしれなかった。
だが、康太郎が言ったように、「もしも」はない。
ふたりならんだ光景がどれほど微笑ましくとも、それは高木にしか見えない光景であり、そこにはゆかりだけが坐っている。
それが現実だった。
高木は胸を痛めた。
そして思った。
この康太郎がどんなに生意気でムカつくクソガキだとしても、天の使いであるじいさんをどうにかして捜し出してやろうと。
そして土下座をしたっていい。
それでだめなら、そのじいさんをブン殴ってでも、母親にあやまりたいという想いを叶えてさせてやろうと。
「おじさん。どうして泣いてるのさ」
高木はさめざめと泣いていた。
「だってよ、おまえ……」
「まったく。泣き虫だね、おじさんは」
康太郎は呆れて、高木にハンカチを渡した。
そのハンカチは、さっき高木がいやというほど鼻をかんだものだから、開いてみればしかっりと粘りついたものが残っている。
高木はそんなことはおかまいなしに、またも力いっぱい鼻をかんだ。
そんなすぐそばにいる父の存在に気づくことさえできないゆかりは、枕を引き寄せると胸に抱いた。
伏せたその眼には悲しみが揺れている。
父を喪ったその悲しみは心を疲れさせるのだろう。
そのままコテンと横になったかと思うと、すぐに寝息を立て始めた。
「また、眠っちゃったね」
「かわいい寝顔だ」
高木と康太郎はゆかりの顔を覗きこんだ。
しばらくその寝顔を見つめていたふたりだったが、ふいに高木がベッドに乗ると、ゆかりの背にまわった。
「そんな気がしたってだけだよ、きっと。だってよく考えてみて。いまボクたちは声を潜めて話してるけど、この部屋だったらさ、いくら声を潜めたって聴こえるはずだよ。それに、もし聴こえたとしたら、びっくり仰天してると思うよ」
康太郎の言うのはもっともである。
その部屋の間取りといえば4畳半だ。
そのうえベッドからふたりがいる部屋の隅は、二メートルと離れていないのだ。
ゆかりに声が聴こえているとするなら、どんなに声を潜めようとも聴こえないわけはない。
「いいや、絶対に聴こえるんだ」
だが、高木は断言した。
「そこまで言うなら、名前を呼んでごらんよ」
「お、おう。言われなくたって、そうするさ」
言われるままにゆかりを呼ぼうとし、だが、高木はその声を喉元で止めた。
「どうしたのさ、早く」
康太郎が急かす。
「いや、だめだ。ほんとに声が聴こえたらよ、ゆかりが恐がるじゃねえか」
確かにそうである。
ひとりしかいない部屋で、とつぜん声がしたら、だれだって恐い。
声がゆかりに届くのはうれしいことだが、だからといって恐がらせたくはない。
だが康太郎は意に介さず、
「大丈夫だよ。ゆかりちゃんには聴こえるはずがないから」
そう言ったとたん、
「ゆかりちゃん!」
と、ゆかりを呼んだ。
「あ、こら!」
だが、時すでに遅そく、高木はどうなることかと、ゆかりの様子を窺った。
ゆかりは康太郎の声に、何の反応も示さなかった。
「ほらね」
康太郎は勝ち誇った顔をした。
「ほらね、じゃねえよ。ヒヤっとさせやがって。心臓が止まるかと思ったじゃねえか」
「心臓はもうないでしょ?」
「フン。もしも声が聴こえてたら、どうするつもりだったんだよ」
「もしも、なんてことはないよ。結果がすべてさ」
康太郎はゆかりのとなりに坐った。
「おい、こら、俺の娘に近寄るな」
康太郎を引き離そうと思ったが、ふたりならんだその光景を眼にして、高木はそうするのをやめた。
その画がとても微笑ましく見えたからだ。
思えば、康太郎とゆかりはともに8歳なのである。
康太郎がもしもゆかりと同じ年に生まれていたならば、ふたりは同級生だ。
ランドセルを背負い、ふたり仲良く小学校へと登校していたかもしれない。
小学校ではクラスも同じで、机をならべて勉強に勤しんでいたかもしれなかった。
だが、康太郎が言ったように、「もしも」はない。
ふたりならんだ光景がどれほど微笑ましくとも、それは高木にしか見えない光景であり、そこにはゆかりだけが坐っている。
それが現実だった。
高木は胸を痛めた。
そして思った。
この康太郎がどんなに生意気でムカつくクソガキだとしても、天の使いであるじいさんをどうにかして捜し出してやろうと。
そして土下座をしたっていい。
それでだめなら、そのじいさんをブン殴ってでも、母親にあやまりたいという想いを叶えてさせてやろうと。
「おじさん。どうして泣いてるのさ」
高木はさめざめと泣いていた。
「だってよ、おまえ……」
「まったく。泣き虫だね、おじさんは」
康太郎は呆れて、高木にハンカチを渡した。
そのハンカチは、さっき高木がいやというほど鼻をかんだものだから、開いてみればしかっりと粘りついたものが残っている。
高木はそんなことはおかまいなしに、またも力いっぱい鼻をかんだ。
そんなすぐそばにいる父の存在に気づくことさえできないゆかりは、枕を引き寄せると胸に抱いた。
伏せたその眼には悲しみが揺れている。
父を喪ったその悲しみは心を疲れさせるのだろう。
そのままコテンと横になったかと思うと、すぐに寝息を立て始めた。
「また、眠っちゃったね」
「かわいい寝顔だ」
高木と康太郎はゆかりの顔を覗きこんだ。
しばらくその寝顔を見つめていたふたりだったが、ふいに高木がベッドに乗ると、ゆかりの背にまわった。
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