平凡という名の幸福

星 陽月

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【第1話】

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「尚行ー、公園にキャッチボール行くぞォ」

 夕方四時を過ぎた頃、それまでリビングのソファでまどろんでいた道久が、ふと立ちあがると階段の下から子供部屋にいる息子を呼んだ。

「今行くー」

 尚行は待ってましたとばかりに、押入れの収納ボックスからグローブを取り出すと、階段を下りてきた。

「今日は、カーブを教えてやるぞ」
「ホント! やったァ!」

 ふたりは揃って玄関を出た。
 舗道を歩いていく、そのふたりの背に、

「夕飯の買物に行くけど、何か食べたいものあるー?」

 二階のベランダで洗濯物を取りこんでいた妻の典子が声をかけた。

「何でもいいよ。典子に任せる」

 道久は首だけを捩じって典子を見上げた。

「典子に任せる」

 尚行が父親を真似る。

「暗くなる頃には帰ってきてよォ」

 その声に、道久は背を向けたまま片手をあげ、それをやはり尚行が真似た。
 そんなふたりを、洗濯物を抱えながら見送り、

「まったく、パパの真似ばかりするんだから」

 典子は独りごちると、部屋に入り洗濯物をたたみ始めた。
 道久と尚行は、とても仲のいい父子だった。
 その仲の良さといったら少し度を越している。
 日曜日などは朝早くから一緒に起きて、ヒーロー物の番組をかじりついて観ているし、番組が終わったら終わったで、早速ヒーローごっこが始まる。
 このぐらいならよその父子にもありそうな光景だが、変わっているのは、ふたりのそのヒーローごっこには悪者がいないのだ。ふつう、父親が悪者を買って出るものだろうが、道久はそうしない。
 ふたりはヒーロー同士で戦い合うのだ。
 それでヒーローごっこが成立するのだから不思議だった。
 そんななか典子は朝食を作り、「ご飯よ」と声をかけると、ふたりのバトルは一時休戦となるのだが、朝食を食べ終わるとふたりは揃って子供部屋に行き、今度はフィギュアでヒーローごっこのつづきを始める。
 このときもやはり、ふたりはヒーローのフィギュアを手にする。
 ヒーローのフィギュアは何体かあり、ふたりが別々のヒーローを手にすれば丸く収まるが、同じヒーローを選んだとなると大変だ。
 ふたりとも譲らずに奪い合いになり、尚行が泣きながら母親に訴えることもしばしばだった。

「パパ、おとなげないわよ。玩具の取り合いするなんて」

 典子がそう言うと、

「これは男と男の戦いなんだ。男なら力で奪い取るもんだ」

 と道久は言い返す。

「そんなこと言っても、尚行はまだ子供じゃないの」
「子供だからこそ、今のうちに世の中の厳しさを教えてるのさ」

 口では父親の威厳(いげん)めいたことを言ってはいるが、典子にはそんな夫が子供のようにしか思えなかった。
 そう、道久は子供だった。
 だからふたりを見ていると、父子ではなくまるで兄弟にしか思えない。
 その証拠に、

「尚行、ヒーローはママに泣きついたりなんかしないぞ」

 と道久が言うと、尚行はこくりとうなずいて涙を拭い、

「よし、このダイナレンジャーのレッドはお前に譲る」

 そう言う道久は兄のようだし、その言葉とともにふたりはすぐに仲直りをし、典子の存在など忘れて今度は悪者の フィギュアを交え、再びヒーローごっこが始まるのだ。
 そしてそれは昼食までつづく。
 とにかくふたりは、休日となればほとんどベッタリで、どこに行くのも一緒だった。
 公園でのキャッチボールなどは、陽が落ちて暮色が完全に夜の色に呑みこまれても、典子が見兼ねて迎えに行くまでつづけている。
 そんなふたりに軽くため息をこぼしながらも、典子は微笑ましく見つめている。
 それでも、道久が息子と兄弟のように遊ぶようになったのは、以前勤めていた会社が倒産し、今の会社に勤め始めて四ヵ月ほど経ってからだった。
 以前道久が勤めていた会社は、東京でも十本の指に入る大手建設会社だった。
 だが、会社は百億もの負債を抱えて経営不振に陥(おちい)り、それに対する試行錯誤も実らず、二年前、事実上倒産の憂き目にあったのだった。
 突然職を奪われることになった道久は、絶望から次の就職先を捜す気力を失くし、家から一歩も出ず、抜け殻のようになっていた。
 それでも三ヵ月が過ぎた頃、ようやく道久も気力を取りもどして就職活動を始めたが、受け入れてくれる会社は見つからなかった。
 そんな道久に手を差し伸べてくれたのが、典子の父親の弟だった。
 中々就職先の見つからない夫を気づかって、典子が父親に相談をしたのだ。
 父親の弟である成次は運送業を営んでいて、小さいながらも四トントラックを三台と二トン二台を所有し、主に建 設現場への資材や機材の運搬を手がけていた。
 話を持ちかけられたとき、初め道久は断った。
 それは、運搬先が建設現場だったからだ。
 道久は建設会社に勤めていただけに、現場に見知った業者の人間が出入りするのは明らかだった。
 その人間たちに会いたくなかったのだ。
 顔を見られることも避けたかった。
 何もうしろめたくなるようなことをした覚えなどはない。
 だが、会社が倒産した、という事実は、何か罪を犯したような思いとなって心を乱し、やはりどこかうしろめたい 気持ちにさせるのだった。
 そして何より道久が一番避けたかったのは、業者の人間と顔を合わせたときの、気の毒そうに向けてくるその業者の人間の顔と言葉だった。

「災難だったね」

 きっとそんな言葉をかけてくるに違いないからだ。
 そんなとき、どんな言葉を返せばいいのか、考えるだけで道久は胸を締めつけられる思いがした。
 それだけに道久は、

「お話は大変ありがたいんですが、仕事は何とか自分で捜します」

 と丁重に断ったのだった。
 それに対して成次は黙ってうなずき、

「それなら、もしほんとうに困ったときは、遠慮せずに会社に顔を出してよ。顔を出しづらいなら電話を掛けてきてくれてもいいから。大変だろうけど頑張れよ、道久くん」

 そう言ったのだった。
 その励ましの言葉と、親身になって考えてくれている成次に、道久は涙がこみ上げ、それをこらえた。
 それからまた三ヵ月間ハローワークにも通い、就職先を捜しつづけたがやはり見つからず、六ヵ月目に入ったころ、失業保険も切れることもあって道久は決断を余儀なくされ、成次の会社に足を運んだ。

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