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【第46話】
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宗太郎と美都子が有楽町マリオンから外に出たときは、西の空へ傾斜していた陽が、建ち並ぶビルを茜色に染めて窓に反射する光もその力を弱めていた。
夕食にはまだ間があるからと、ふたりは近くの喫茶店に入った。
「映画なんて、退屈な思いをさせちゃったね。もっと気の利いたお芝居とかのほうがよかったんじゃないかな」
申しわけなさそうに言うと、宗太郎は珈琲にシュガーを入れた。
「そんなことないわよ。私、感動したもの」
「でも、ずいぶん席が空いてた」
「今は、あの手の映画を観る人が少なくなったのよ。とってもいい映画なのに」
「今更ながらに、時代を感じるね。時代は移り変わっていくものだから仕方ないが、自分自身、そういうことをしみじみ考えるようになったのかと思うと、寂しい気がする」
言って珈琲を口に運び、薄い笑みを浮かべる宗太郎の顔には、哀愁の翳りがあった。
「そんな弱気なこと言ってェ。義兄さんはまだまだ若いわよ。それに、義兄さんには小説家になるっていう夢があるんだから、これからじゃない」
「夢か……。この歳になると、夢なんて幻だな。それに、小説を書き始めてわかったことがある。若かった頃の情熱や感性が失せてしまったってことが。少しずつでも書きつづけてればよかったって、今になって思うよ」
大学を卒業すると、宗太郎は書くことをやめてしまった。
就職をし、仕事に追われるようになると、書くことなど忘れ去られていったのだ。
愛読をする本もビジネスに関するものばかりになって、小説を読む気にもならなくなった。
完全に小説から離れていってしまったといってよかった。
それでも、胸の中には何をやっても埋まることのない穴がポッカリと開いていた。
それが何なのか気づかないまま月日は流れていった。
「あまりにも月日が経ち過ぎてしまったよ。小説を書くにはね。今は、日に一枚を書くのにも苦労してる。書くことが苦痛だったりするんだ。それで小説家になろうなんて、おこがましいよ」
宗太郎は煙草を咥えると、火を点けた。
「また、そんなこと言ってる。義兄さんらしくないわ」
美都子は励まそうとする。
それに宗太郎は苦笑し、
「才能がないんだよ、きっと」
力なく煙草の煙を吐き出した。
「才能があるかないかなんて、自分で決めるものじゃないと思うわ。私からすれば、文章を書けることもそうだけど、自分の好きなことをやるってことは、それだけですごい才能よ。それを、ちょっと書けなくなったからって、若い頃の感性がなくなったとか、月日が経ち過ぎただとか、そんなの言いわけよ。その挙句に才能がないなんて。それはただ、逃げてるだけだわ」
宗太郎の弱腰な態度に我慢ならなくて、美都子は言った。
「はっきり言うんだな。みっちゃんにはわからないさ。僕の心境なんて」
「えェ、わからないわ。弱虫で、根性なしの義兄さんの心境なんてわかりたくもないわよ」
「ひどいな……」
宗太郎は眼を伏せ、喫っていた煙草を消した。
「だってそうでしょ? こうと決めたら、最後までやりとおすのが義兄さんじゃない。姉さんと結婚するために、父に殴られようと、バケツで水をかけられようとめげなかったじゃない。あの威勢はどこにいったのよ」
「あの頃は若かったし、無我夢中だったから……」
「またそうやって逃げる。若い頃の感性が何よ。月日が経っちゃったのが何よ。なぜそんなことにこだわるの? 人間は幾つになったって、そこからよ。過去なんてどうでもいいじゃない。大切なのは、今の義兄さんのすべてよ」
宗太郎は眼を伏せて黙っている。
美都子は自分の言動にハッとして、
「ごめんなさい。私ったら、生意気なこと言っちゃって……」
と謝罪した。
「いや、いいんだ。みっちゃんの言うことは正しいよ」
「いいえ。私、小説を書くことがどんなことなのかもわからないのに……」
「いや、わからないからこそ、真実が言えるんだよ。しかし、この歳になって説教をされるとは思わなかった」
「そんなつもりじゃなかったのに……。ほんとにごめんなさい」
美都子はすまなそうな顔で、もう一度謝った。
「いや、違うんだ。うれしかったんだよ。歳を取るとガツンと言ってくれる人がいなくなるからね。正直効いたよ。お陰で眼が醒めた」
宗太郎は微笑んだ。
その微笑みに美都子もホッとして、笑みを返した。
しばらくして、「そろそろ食事に行こうか」と言う宗太郎の言葉に美都子もうなずき、ふたりは席を立った。
夕食にはまだ間があるからと、ふたりは近くの喫茶店に入った。
「映画なんて、退屈な思いをさせちゃったね。もっと気の利いたお芝居とかのほうがよかったんじゃないかな」
申しわけなさそうに言うと、宗太郎は珈琲にシュガーを入れた。
「そんなことないわよ。私、感動したもの」
「でも、ずいぶん席が空いてた」
「今は、あの手の映画を観る人が少なくなったのよ。とってもいい映画なのに」
「今更ながらに、時代を感じるね。時代は移り変わっていくものだから仕方ないが、自分自身、そういうことをしみじみ考えるようになったのかと思うと、寂しい気がする」
言って珈琲を口に運び、薄い笑みを浮かべる宗太郎の顔には、哀愁の翳りがあった。
「そんな弱気なこと言ってェ。義兄さんはまだまだ若いわよ。それに、義兄さんには小説家になるっていう夢があるんだから、これからじゃない」
「夢か……。この歳になると、夢なんて幻だな。それに、小説を書き始めてわかったことがある。若かった頃の情熱や感性が失せてしまったってことが。少しずつでも書きつづけてればよかったって、今になって思うよ」
大学を卒業すると、宗太郎は書くことをやめてしまった。
就職をし、仕事に追われるようになると、書くことなど忘れ去られていったのだ。
愛読をする本もビジネスに関するものばかりになって、小説を読む気にもならなくなった。
完全に小説から離れていってしまったといってよかった。
それでも、胸の中には何をやっても埋まることのない穴がポッカリと開いていた。
それが何なのか気づかないまま月日は流れていった。
「あまりにも月日が経ち過ぎてしまったよ。小説を書くにはね。今は、日に一枚を書くのにも苦労してる。書くことが苦痛だったりするんだ。それで小説家になろうなんて、おこがましいよ」
宗太郎は煙草を咥えると、火を点けた。
「また、そんなこと言ってる。義兄さんらしくないわ」
美都子は励まそうとする。
それに宗太郎は苦笑し、
「才能がないんだよ、きっと」
力なく煙草の煙を吐き出した。
「才能があるかないかなんて、自分で決めるものじゃないと思うわ。私からすれば、文章を書けることもそうだけど、自分の好きなことをやるってことは、それだけですごい才能よ。それを、ちょっと書けなくなったからって、若い頃の感性がなくなったとか、月日が経ち過ぎただとか、そんなの言いわけよ。その挙句に才能がないなんて。それはただ、逃げてるだけだわ」
宗太郎の弱腰な態度に我慢ならなくて、美都子は言った。
「はっきり言うんだな。みっちゃんにはわからないさ。僕の心境なんて」
「えェ、わからないわ。弱虫で、根性なしの義兄さんの心境なんてわかりたくもないわよ」
「ひどいな……」
宗太郎は眼を伏せ、喫っていた煙草を消した。
「だってそうでしょ? こうと決めたら、最後までやりとおすのが義兄さんじゃない。姉さんと結婚するために、父に殴られようと、バケツで水をかけられようとめげなかったじゃない。あの威勢はどこにいったのよ」
「あの頃は若かったし、無我夢中だったから……」
「またそうやって逃げる。若い頃の感性が何よ。月日が経っちゃったのが何よ。なぜそんなことにこだわるの? 人間は幾つになったって、そこからよ。過去なんてどうでもいいじゃない。大切なのは、今の義兄さんのすべてよ」
宗太郎は眼を伏せて黙っている。
美都子は自分の言動にハッとして、
「ごめんなさい。私ったら、生意気なこと言っちゃって……」
と謝罪した。
「いや、いいんだ。みっちゃんの言うことは正しいよ」
「いいえ。私、小説を書くことがどんなことなのかもわからないのに……」
「いや、わからないからこそ、真実が言えるんだよ。しかし、この歳になって説教をされるとは思わなかった」
「そんなつもりじゃなかったのに……。ほんとにごめんなさい」
美都子はすまなそうな顔で、もう一度謝った。
「いや、違うんだ。うれしかったんだよ。歳を取るとガツンと言ってくれる人がいなくなるからね。正直効いたよ。お陰で眼が醒めた」
宗太郎は微笑んだ。
その微笑みに美都子もホッとして、笑みを返した。
しばらくして、「そろそろ食事に行こうか」と言う宗太郎の言葉に美都子もうなずき、ふたりは席を立った。
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