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【第50話】
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「そうね」
美都子は、カウンターの上で手を添えてるだけのカクテル・グラスを見つめ、
「確かに、愛してるってことを、言葉や形にするのは大切なことだわ。女は確かなものを求めるから。でも姉さんは、そんなこと求めなかったはずだわ。私に一度だって愚痴を言ったことがなかったもの。聞かされるのは、いつも惚気話ばかりだった」
そう言った。
「僕にも何も言わなかった。だから、そんな早苗に甘えていたんだな、僕は。求められて形にするのは簡単だけど、自然に感謝の気持ちを形にできなかった僕は、最低な夫だった。そう思うと、早苗のことをほんとに愛していたのか自信がないんだ」
宗太郎もまた、ロック・グラスを見つめている。
「やめてよ義兄さん」
力なく言う宗太郎に、美都子は語気を強めた。
「義兄さんは、姉さんを愛してたわ。そして姉さんも、義兄さんに負けないくらい、義兄さんを愛してた。それが真実よ。だから……、だから、自信がないなんて、そんなこと言わないでよ……」
そして、ふいに語尾が弱まり、
「義兄さんは、姉さんを愛しつづけてくれなきゃ駄目なのよ。そうじゃないと私が……、義兄さんを諦めたことが……。あの日の約束を守って、今までずっと自分の気持ちを押し殺してきた、私はどうなるのよ」
自分の想いを訴えるように言った。
「みっちゃん……」
美都子の想いが、宗太郎には痛いほどわかった。
美都子の想いを知ったあの日から、宗太郎はその想いに応えられずにいた。
応えるわけにはいかなかった。
斜めに眼を伏せる美都子の横顔を、宗太郎は憐れむように見つめた。
「すまない」
宗太郎は謝った。
そう言うのが精一杯だった。
「謝らないでよ。それじゃ私、惨めだわ」
「だったらどうすればいい。僕にできることなら何でもするよ」
その言葉は、美都子を傷つけた。
美都子が何を望んでいるのかは、宗太郎にもわかっているはずだ。
そしてそれを口にできないことも。
それがわかっていて、今の言葉を口にしたのなら、それは罪だ。
それとも、何もわからずに言ったのなら、よほどの鈍感としか言いようがない。
美都子は腹立たしさがこみ上げてきて、
「それなら、私と結婚して」
本来なら言えるはずのないその言葉を、思わず言った。
それに宗太郎が応えることができないことを知っていながら。
思ったとおり、宗太郎は唇を硬く閉じ、眉根を寄せてロック・グラスに眼を落とした。
「冗談よ、義兄さん。こんなこと、もう二度と言わないわ」
「すまない、ほんとに……」
「もう、謝らないでって言ったでしょ」
「あァ、そうだね」
宗太郎は軽く笑った。
美都子も笑い返すと、カクテルを口にし、
「里ちゃんは、どう?」
話題を変えるつもりでそう訊いた。
宗太郎は笑みを消し、少しの間を置いてから、
「結婚、駄目になったよ」
そう答えた。
「えッ……」
美都子は言葉を失った。
「だけど、つき合いはつづけてくらしい。みっちゃんが言ったように、今の若い者の考えはわからんよ。何を考えてるんだか」
宗太郎は苦笑した。
「そう……」
沈んだ場の空気を換えようと里子のことに触れたのに、却って宗太郎の気持ちを沈ませてしまうことになってしまった。
「どんな結果になろうと、あとはふたりの問題だ。僕は何も口出しはしないよ。老兵は消え去るのみさ」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
美都子はそう言いながら、自分も寂しい気持ちになった。
店内に流れるサックスの響きは、淡い照明の中のふたりを静かに包みこんでいた。
美都子は、カウンターの上で手を添えてるだけのカクテル・グラスを見つめ、
「確かに、愛してるってことを、言葉や形にするのは大切なことだわ。女は確かなものを求めるから。でも姉さんは、そんなこと求めなかったはずだわ。私に一度だって愚痴を言ったことがなかったもの。聞かされるのは、いつも惚気話ばかりだった」
そう言った。
「僕にも何も言わなかった。だから、そんな早苗に甘えていたんだな、僕は。求められて形にするのは簡単だけど、自然に感謝の気持ちを形にできなかった僕は、最低な夫だった。そう思うと、早苗のことをほんとに愛していたのか自信がないんだ」
宗太郎もまた、ロック・グラスを見つめている。
「やめてよ義兄さん」
力なく言う宗太郎に、美都子は語気を強めた。
「義兄さんは、姉さんを愛してたわ。そして姉さんも、義兄さんに負けないくらい、義兄さんを愛してた。それが真実よ。だから……、だから、自信がないなんて、そんなこと言わないでよ……」
そして、ふいに語尾が弱まり、
「義兄さんは、姉さんを愛しつづけてくれなきゃ駄目なのよ。そうじゃないと私が……、義兄さんを諦めたことが……。あの日の約束を守って、今までずっと自分の気持ちを押し殺してきた、私はどうなるのよ」
自分の想いを訴えるように言った。
「みっちゃん……」
美都子の想いが、宗太郎には痛いほどわかった。
美都子の想いを知ったあの日から、宗太郎はその想いに応えられずにいた。
応えるわけにはいかなかった。
斜めに眼を伏せる美都子の横顔を、宗太郎は憐れむように見つめた。
「すまない」
宗太郎は謝った。
そう言うのが精一杯だった。
「謝らないでよ。それじゃ私、惨めだわ」
「だったらどうすればいい。僕にできることなら何でもするよ」
その言葉は、美都子を傷つけた。
美都子が何を望んでいるのかは、宗太郎にもわかっているはずだ。
そしてそれを口にできないことも。
それがわかっていて、今の言葉を口にしたのなら、それは罪だ。
それとも、何もわからずに言ったのなら、よほどの鈍感としか言いようがない。
美都子は腹立たしさがこみ上げてきて、
「それなら、私と結婚して」
本来なら言えるはずのないその言葉を、思わず言った。
それに宗太郎が応えることができないことを知っていながら。
思ったとおり、宗太郎は唇を硬く閉じ、眉根を寄せてロック・グラスに眼を落とした。
「冗談よ、義兄さん。こんなこと、もう二度と言わないわ」
「すまない、ほんとに……」
「もう、謝らないでって言ったでしょ」
「あァ、そうだね」
宗太郎は軽く笑った。
美都子も笑い返すと、カクテルを口にし、
「里ちゃんは、どう?」
話題を変えるつもりでそう訊いた。
宗太郎は笑みを消し、少しの間を置いてから、
「結婚、駄目になったよ」
そう答えた。
「えッ……」
美都子は言葉を失った。
「だけど、つき合いはつづけてくらしい。みっちゃんが言ったように、今の若い者の考えはわからんよ。何を考えてるんだか」
宗太郎は苦笑した。
「そう……」
沈んだ場の空気を換えようと里子のことに触れたのに、却って宗太郎の気持ちを沈ませてしまうことになってしまった。
「どんな結果になろうと、あとはふたりの問題だ。僕は何も口出しはしないよ。老兵は消え去るのみさ」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
美都子はそう言いながら、自分も寂しい気持ちになった。
店内に流れるサックスの響きは、淡い照明の中のふたりを静かに包みこんでいた。
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