里子の恋愛

星 陽月

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【第66話】

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 里子が更衣室に行くと、もう誰もいなかった。
 加代子が待っていてくれていると思ったが、そういうわけにはいかなかったらしい。
 加代子がいてくれれば、自分に歯止めがついただろうが、帰ってしまったなら仕方がない。

「絶対に行かないわよ」

 声に出してそう言い、里子は着替えを済ませた。
 ビルを出ると、ひとつ大きく息を吐き、一歩を踏み出した。
 そのとき、背後で声がした。

「里子」

 ふり返ると、そこには加代子と佐久間が立っていた。

「帰ったんじゃなかったの?」
「里子のあんな険しい顔を見せられて、帰れるわけがないじゃない」
「そんなに険しい顔してた?」
「険しいどころかゆがんでました」

 佐久間がそう答え、その彼を里子が軽く睨んだ。

「いい過ぎよ」

 そう言われて佐久間は、苦い顔をした。
 そんな佐久間に、「いつもひと言多いのよ」と加代子が言い、そして里子に顔を向けると、

「呑みに行かない?」

 そう訊いた。

「うん」

 里子はすぐに答えた。
 ふたりと一緒なら、暴走する自分を制められる。
 救われる思いだった。
 三人は、佐久間が一度ふたりを連れて行ったことのある、ロシア料理の店に向かった。
 そこはロシアの家庭料理を出す店で、客席はそれほど多くはないが、料金も手頃で落ち着いた雰囲気があった。
 三人はまず、ロシア産のビールで乾杯した。

「三人で呑むのも久しぶりですね」

 佐久間が嬉しそうに言った。

「そうね。それもそうだけど、最近、佐久間くんも誘ってこなくなったわね」

 里子がそう返すと、

「それは……」

 佐久間は口ごもった。

「もう私は嫌われちゃったのかな」

 里子は意地悪っぽく言う。

「って言うか、その……」

 佐久間は困惑する。

「わかった。彼女できたんだ」

 里子は更に追い討ちをかける。
 佐久間が困り果てた顔でいると、

「里子。いいじゃないの。佐久間くん困ってるんだし、誰だって追及されたくないことあるでしょ」

 加代子があいだに入った。

「だって気になるわよ。このところ、どこか避けてるようなとこあるし」
「もしかして、佐久間くんに彼女ができたと思って、ヤキモチ妬いてたりして」
「まさか、そんなわけないじゃない。彼女ができたんだったら、それは私にとっても嬉しいことよ。肩の荷が降りるんだから」
「そんなこと言って、ほんとは佐久間くんに誘われなくなったら、急に気になりだしたんじゃないの? 逃げれば追いかけたくなるって感じで」
「何よそれ、やけに絡むじゃない」
「別に絡んでるわけじゃないわ」

 言い合うふたりのあいだに、
「ちょっと、待ってくださいよ!」

 佐久間が割って入った。
 ふたりは口を閉じ、顔を背け合った。

「せっかく久しぶりに三人で呑みに来てるんだから、やめましょうよそういうの」

 その佐久間の言葉で、里子は加代子に顔を向け、

「そうよね――ごめんね加代子」

 素直に謝った。

「ううん、私こそごめん」

 加代子も顔には笑みこそ浮かべて謝罪をしたが、胸の内には、今はまだ口にできない想いがあった。
 それがいったい何なのか、そのときの里子には知る由もなかった。
 三人は、ピロシキを口にしながらビールを呑み、TVドラマや映画の話に花を咲かせた。
 初めこそ里子も話しに加わっていたが、しだいに聞く側にまわり、相槌を打ちながら時間を気にし始めた。
 なんども腕時計に眼を落とす。
 八時へと針が刻まれていくとともに、鼓動が激しく里子の胸を刻んだ。
 暴走が始まった。
 その暴走を制めるために、ふたりに従いてきたはずなのに、それが無駄だった。
 里子の想いは、身体よりも先に遠藤のもとへと向かっていた。

「里子、どうしたの?」

 加代子のその言葉が、まるで合図とでもいうように里子は立ち上がった。
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