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【第67話】
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「ごめん、私、行かなきゃ……」
里子は席を立ち上がっていた。
「行かなきゃ、って、どこへ?」
加代子と佐久間が、驚いた顔で里子を見上げる。
「ほんとにごめんね」
その言葉を残し、里子は席を離れた。
「ちょっと、里子!」
加代子の制める声も耳に届かず、里子は店を出ていった。
残されたふたりは、とつぜんのことにその場をどう繕っていいのかわからず、無言のままビールを口にした。
里子は走り出していた。
ただひたすらに遠藤のもとへと。
他のことは何も考えられなかった。
遠藤が待っていると言っていた喫茶店に入ると、里子は息を整えながら店内を見渡した。
遠藤の姿はない。
腕時計に眼を落とす。
時刻は八時五分。
里子はカウンターで珈琲を注文し、空いてる席に坐った。
席に坐りながらも、もう一度ひとつひとつの席に眼をやる。
だがやはり、遠藤の姿はなかった。
一時間は待ってるって言ったじゃない……。
そんな思いが胸を突き、それでも、駅前の交番で待ち合わせをした時のようにふっと現れるような気がして、店の入口に眼を向けた。
しかし、八時十五分を過ぎても遠藤は現れなかった。
しだいに里子は沈みこみ、入口へと向けていた眼を、まだ口をつけていないコーヒーカップに落とした。
結局、遠藤は眼の前のチャンスを選んだのだろう。
それが現実というものだ、と里子は思った。
だからといって遠藤を責めることはできない。
それは、カメラマンとして大成しようとする遠藤に訪れた、チャンスなのだ。
それをどうして責められるだろうか。里子自身、そのチャンスを掴んでほしいと思ったのも事実なのだから。
それなのに、遠藤の言葉に心を奪われ、ひとりで暴走してしまった。
そんな自分が情けない。
こうなることも、考えなかったわけではない。
でも里子は、
『ほんの少しでも可能性があるとしたなら、それに賭けてみたいんだ』
遠藤が言ったその言葉に、自分も賭けてみようと思ったのだ。
そして本能に衝き動かされ、今こうしてここにいる。
来なければよかった……。
今更ながらに、その思いが胸にこみ上げた。
自分の馬鹿さ加減に呆れ、だがその反面では、来てくれなかった遠藤への未練めいた想いがある。
それだけに里子は、「あと少し、あとほんのもう少しだけ、ここで遠藤を待ってみよう」という思いに、席を立つことができなかった。
そのときだった。
テーブルの前に人影が立ち、来てくれた、その思いに里子は反射的に顔を上げた。
次の瞬間、里子の顔は硬直し、信じられないものを見るように、その顔を見つめた。
「彼なら来ないわ」
そこに立っていたのは玲子だった。
玲子は向かい側に坐り、里子を見つめ返した。
「ここに里子が坐ってるってことは、私を裏切る覚悟だったってことね」
その視線は真っ直ぐに向けられている。
厳しく光る眼は、どこか寂しくもあった。
その眼から逃れるように、里子は顔をそらした。
「ここへ来るまで、私、自分に言い聞かせてた。里子は絶対いない、絶対に来るわけがないって。なのに、どうしているのよ。どうしてここへ来たのよ……。せめて、私が来る前に帰ってくれてればよかった。そうすれば、里子は来なかったんだって思えたのよ。そうしてくれれば、少なくとも私は救われたわ。友情だって失わずにすんだのよ。それなのに……」
玲子の眼に涙が溢れた。
「信じてたのよ」
里子はたまらず眼を閉じた。
「ねェ、どうしてよ」
玲子の頬に、溢れた涙が伝う。
里子は眼を閉じたまま、何も言えなかった。
里子は席を立ち上がっていた。
「行かなきゃ、って、どこへ?」
加代子と佐久間が、驚いた顔で里子を見上げる。
「ほんとにごめんね」
その言葉を残し、里子は席を離れた。
「ちょっと、里子!」
加代子の制める声も耳に届かず、里子は店を出ていった。
残されたふたりは、とつぜんのことにその場をどう繕っていいのかわからず、無言のままビールを口にした。
里子は走り出していた。
ただひたすらに遠藤のもとへと。
他のことは何も考えられなかった。
遠藤が待っていると言っていた喫茶店に入ると、里子は息を整えながら店内を見渡した。
遠藤の姿はない。
腕時計に眼を落とす。
時刻は八時五分。
里子はカウンターで珈琲を注文し、空いてる席に坐った。
席に坐りながらも、もう一度ひとつひとつの席に眼をやる。
だがやはり、遠藤の姿はなかった。
一時間は待ってるって言ったじゃない……。
そんな思いが胸を突き、それでも、駅前の交番で待ち合わせをした時のようにふっと現れるような気がして、店の入口に眼を向けた。
しかし、八時十五分を過ぎても遠藤は現れなかった。
しだいに里子は沈みこみ、入口へと向けていた眼を、まだ口をつけていないコーヒーカップに落とした。
結局、遠藤は眼の前のチャンスを選んだのだろう。
それが現実というものだ、と里子は思った。
だからといって遠藤を責めることはできない。
それは、カメラマンとして大成しようとする遠藤に訪れた、チャンスなのだ。
それをどうして責められるだろうか。里子自身、そのチャンスを掴んでほしいと思ったのも事実なのだから。
それなのに、遠藤の言葉に心を奪われ、ひとりで暴走してしまった。
そんな自分が情けない。
こうなることも、考えなかったわけではない。
でも里子は、
『ほんの少しでも可能性があるとしたなら、それに賭けてみたいんだ』
遠藤が言ったその言葉に、自分も賭けてみようと思ったのだ。
そして本能に衝き動かされ、今こうしてここにいる。
来なければよかった……。
今更ながらに、その思いが胸にこみ上げた。
自分の馬鹿さ加減に呆れ、だがその反面では、来てくれなかった遠藤への未練めいた想いがある。
それだけに里子は、「あと少し、あとほんのもう少しだけ、ここで遠藤を待ってみよう」という思いに、席を立つことができなかった。
そのときだった。
テーブルの前に人影が立ち、来てくれた、その思いに里子は反射的に顔を上げた。
次の瞬間、里子の顔は硬直し、信じられないものを見るように、その顔を見つめた。
「彼なら来ないわ」
そこに立っていたのは玲子だった。
玲子は向かい側に坐り、里子を見つめ返した。
「ここに里子が坐ってるってことは、私を裏切る覚悟だったってことね」
その視線は真っ直ぐに向けられている。
厳しく光る眼は、どこか寂しくもあった。
その眼から逃れるように、里子は顔をそらした。
「ここへ来るまで、私、自分に言い聞かせてた。里子は絶対いない、絶対に来るわけがないって。なのに、どうしているのよ。どうしてここへ来たのよ……。せめて、私が来る前に帰ってくれてればよかった。そうすれば、里子は来なかったんだって思えたのよ。そうしてくれれば、少なくとも私は救われたわ。友情だって失わずにすんだのよ。それなのに……」
玲子の眼に涙が溢れた。
「信じてたのよ」
里子はたまらず眼を閉じた。
「ねェ、どうしてよ」
玲子の頬に、溢れた涙が伝う。
里子は眼を閉じたまま、何も言えなかった。
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