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【チャプター 7】
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中沢は絆創膏を貼った手の甲をなでた。
(僕はなんてことを。愛する妻を殺してしまうなんて……)
どうすることもできない後悔が襲いかかる。
逃れることのできない罪への恐怖が、蔦のように胸に絡みついてくる。
脳裡に浮かぶのは、苦しさにもがく妻の顔よりも、息絶えて光りを失った眼で見つめてくるその死顔だった。
(すまない、礼子……)
震える手を組んで、中沢は懺悔をするように詫びた。
どんなに詫びようとも、自分の犯した罪を償うことなどできはしないが、そうでもしないと、その罪の意識に正気を失ってしまいそうだった。
それでも、恐怖を拭い去ることができず、心は着実に蝕まれていった。
どんなに抵抗しようと、その侵食を止めることができない。
中沢の顔は悲痛にゆがみ、呻(うめ)きのような声が唇から洩れていた。
そのときだった。
とつぜん、その唇の両端がつり上がった。
悲痛にゆがんでいた顔が、別のものに変わっていく。
笑っていた。
それは、精神を病んだ者のように、狂気に満ちた笑みだった。
(礼子。君は朽ちていくんだよ)
中沢は想像していたのだ。
地中深くに埋められた妻の肉体が、おぞましく蠢く幾匹もの蛆に喰われ、ゆっくりと腐乱しながら腐敗していくさまを。
(そうさ、礼子。君のその瞳は、唇は、美しい肢体は、蝕まれ、喰われて、腐臭を放ちながら朽ちていくんだ……)
笑っている眼が異様な光りを放つ。
我を忘れているのか、その眼は焦点が定まっていなかった。
そんな状態のまま、何かに引きつけられるように中沢は窓の外へと眼を向けた。
ぶれていた焦点が一点へ絞られていく。
視線のその先には、ひとりの女性の姿があった。
通りの向こう側に、水色のワンピースを着た女性がオフィスビルを背にして立っている。
だれかを待っているのだろうか、その女性はわずかに眼を伏せていた。
その顔は覗うことができない。
中沢は我に返ってその女性を見つめた。
見つめずにはいられなかった。
女性の着ているワンピースに見覚えがあったからだ。
妻と結婚する前、初めてのデートのときに彼女が着ていたものにそれは似ていた。
デザインまでは憶えていないが、その色合いはおなじだった。
あの日、中沢が待ち合わせの場所に立っていると、彼女は笑顔をうかべて小走りになって駆け寄ってきた。
水色のそのワンピースがよく似合っていた。
そのときの彼女の美しさを、いまでも忘れはしない。
そしてこれからも忘れはしないだろう。
(礼子……)
胸の中で妻の名を呼んだ。
すると、その声が届いたかのように女性が顔を上げた。
中沢は驚愕に眼を見開いた。
見間違いではない。
その女性はまぎれもなく、妻の礼子だった。
「礼子――」
思わず声になっていた。
と、またもその声が聴こえたかのように、妻の視線が中沢を捉えた。
視線と視線が絡み合う。
妻の眼が妖しく光り、赤い唇の端に笑みが浮かんだ。
たまらず中沢は顔をそむけ、テーブルに視線を落とした。
「馬鹿な――」
強く眼を瞑った。
鼓動が激しく胸を打つ。
(ありえない。礼子は確かに……)
そう、確かに妻は死んだ。
この手で首を絞め、殺したのだから。
そして死体となった妻を、山林の奥深くへと運んでいき、1メートルほど掘った穴の中に埋めた。
もどした土はしっかりと踏みならして、枯れ枝や枯葉で隠した。
だから、妻が眼の前にいるはずがなかった。
中沢はもう一度、恐る恐る女性へと眼を向け、だが、視線をやったその先にワンピースの女性の姿はなかった。
身を乗り出すようにして周辺に眼を配ってみても、その女性の姿を見つけることはできなかった。
(どういうことだ……)
中沢はうろたえた。
いまの女性は妻に違いなかった。
視線を合わせた妻の顔を、見間違うわけがない。
(まさか、生きていたというのか……)
だがすぐに、中沢は胸の中で首をふった。
妻は死んだのだ。
生きているわけがない。
中沢は湧き上がる怒りと憎悪に我を忘れ、狂気に駆られた手で妻の首を絞めたのだから。
ならば、いま眼にした女性はいったい――
見間違いでないとするなら、この昼日中に亡霊を見たとでもいうのか。
いや、違う。
きっと、妻を殺したという罪の意識が、ストレスとなって幻を見せたのだろう。
中沢は指先で瞼を揉んだ。
「幻だ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、窓の外へ眼を馳せた。
(僕はなんてことを。愛する妻を殺してしまうなんて……)
どうすることもできない後悔が襲いかかる。
逃れることのできない罪への恐怖が、蔦のように胸に絡みついてくる。
脳裡に浮かぶのは、苦しさにもがく妻の顔よりも、息絶えて光りを失った眼で見つめてくるその死顔だった。
(すまない、礼子……)
震える手を組んで、中沢は懺悔をするように詫びた。
どんなに詫びようとも、自分の犯した罪を償うことなどできはしないが、そうでもしないと、その罪の意識に正気を失ってしまいそうだった。
それでも、恐怖を拭い去ることができず、心は着実に蝕まれていった。
どんなに抵抗しようと、その侵食を止めることができない。
中沢の顔は悲痛にゆがみ、呻(うめ)きのような声が唇から洩れていた。
そのときだった。
とつぜん、その唇の両端がつり上がった。
悲痛にゆがんでいた顔が、別のものに変わっていく。
笑っていた。
それは、精神を病んだ者のように、狂気に満ちた笑みだった。
(礼子。君は朽ちていくんだよ)
中沢は想像していたのだ。
地中深くに埋められた妻の肉体が、おぞましく蠢く幾匹もの蛆に喰われ、ゆっくりと腐乱しながら腐敗していくさまを。
(そうさ、礼子。君のその瞳は、唇は、美しい肢体は、蝕まれ、喰われて、腐臭を放ちながら朽ちていくんだ……)
笑っている眼が異様な光りを放つ。
我を忘れているのか、その眼は焦点が定まっていなかった。
そんな状態のまま、何かに引きつけられるように中沢は窓の外へと眼を向けた。
ぶれていた焦点が一点へ絞られていく。
視線のその先には、ひとりの女性の姿があった。
通りの向こう側に、水色のワンピースを着た女性がオフィスビルを背にして立っている。
だれかを待っているのだろうか、その女性はわずかに眼を伏せていた。
その顔は覗うことができない。
中沢は我に返ってその女性を見つめた。
見つめずにはいられなかった。
女性の着ているワンピースに見覚えがあったからだ。
妻と結婚する前、初めてのデートのときに彼女が着ていたものにそれは似ていた。
デザインまでは憶えていないが、その色合いはおなじだった。
あの日、中沢が待ち合わせの場所に立っていると、彼女は笑顔をうかべて小走りになって駆け寄ってきた。
水色のそのワンピースがよく似合っていた。
そのときの彼女の美しさを、いまでも忘れはしない。
そしてこれからも忘れはしないだろう。
(礼子……)
胸の中で妻の名を呼んだ。
すると、その声が届いたかのように女性が顔を上げた。
中沢は驚愕に眼を見開いた。
見間違いではない。
その女性はまぎれもなく、妻の礼子だった。
「礼子――」
思わず声になっていた。
と、またもその声が聴こえたかのように、妻の視線が中沢を捉えた。
視線と視線が絡み合う。
妻の眼が妖しく光り、赤い唇の端に笑みが浮かんだ。
たまらず中沢は顔をそむけ、テーブルに視線を落とした。
「馬鹿な――」
強く眼を瞑った。
鼓動が激しく胸を打つ。
(ありえない。礼子は確かに……)
そう、確かに妻は死んだ。
この手で首を絞め、殺したのだから。
そして死体となった妻を、山林の奥深くへと運んでいき、1メートルほど掘った穴の中に埋めた。
もどした土はしっかりと踏みならして、枯れ枝や枯葉で隠した。
だから、妻が眼の前にいるはずがなかった。
中沢はもう一度、恐る恐る女性へと眼を向け、だが、視線をやったその先にワンピースの女性の姿はなかった。
身を乗り出すようにして周辺に眼を配ってみても、その女性の姿を見つけることはできなかった。
(どういうことだ……)
中沢はうろたえた。
いまの女性は妻に違いなかった。
視線を合わせた妻の顔を、見間違うわけがない。
(まさか、生きていたというのか……)
だがすぐに、中沢は胸の中で首をふった。
妻は死んだのだ。
生きているわけがない。
中沢は湧き上がる怒りと憎悪に我を忘れ、狂気に駆られた手で妻の首を絞めたのだから。
ならば、いま眼にした女性はいったい――
見間違いでないとするなら、この昼日中に亡霊を見たとでもいうのか。
いや、違う。
きっと、妻を殺したという罪の意識が、ストレスとなって幻を見せたのだろう。
中沢は指先で瞼を揉んだ。
「幻だ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、窓の外へ眼を馳せた。
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