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【チャプター 6]
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午後1時――
中沢は西新宿のオフィス街にある喫茶店に入った。
ランチの時間は2時までだが、客の姿はまばらだった。
窓際の空いている席に腰を下ろすと、中沢は窓の外を眺めるでもなく眼を投げた。
解雇によって退職したにもかかわらず、気づくと中沢は会社のあるオフィスビルの前まで来てしまっていた。
しばらくのあいだ、彼はビルを見上げて立ち尽くしていた。
それからは行くあてもなくただ新宿の街を彷徨い、西口公園まで足を運ぶとベンチに坐り、いまの時間まで園内を眺めていた。
席に着いてから5分ほどは過ぎたというのに、ふたりいる店員は注文を取りにくるどころか、水さえも持ってこようとしなかった。
視線を向けてもまったく気づかずにいる。
いや、というより、無視されているといったほうが正しいだろう。
中沢は腹立たしさを覚えて声をかけようとし、だが、上げかけた手を止めた。
(まあ、いいさ……)
こんなことで腹を立てるのも馬鹿らしい。
無視するならそれでいい。
どうせ食欲もない。
いまは珈琲でさえ喉を通りはしないだろう。
テーブルの上に置いた手が、小刻みに震えている。
妻を殺した恐怖は、時間が過ぎていくほどに増幅していくようだった。
恐くてしかたがなかった。
いまこうしているあいだにも妻の死体が発見され、捜査の手が迫ってきているのではないかと思えてならない。
それだけに、店の自動ドアが開いて客が入って来るたびに、ビクンと身体を強張らせ、息をつまらながらその客へと眼を走らせた。
背中にはいやな汗が貼りついている。
恐怖をまぎらわそうと、中沢は煙草を喫おうとした。
上着の内ポケットに手をやり、そこで、ランチタイムの2時までは喫煙席でも禁煙であることを思い出す。
「クソッ!」
ふいに苛立って、中沢はまたも店員へと眼を向けた。
ふたりはやはり、中沢の存在に気づかない様子だ。
(まったく、どういうつもりなんだ!)
苛立ちがさらなる苛立ちを呼んで、中沢は舌打ちした。
だが、その程度の苛立ちくらいでは、恐怖をまぎらわすこともできなかった。
手のひらを見つめる。
手の震えは一向に治まらない。
指の1本1本には、妻の首を絞めたときの感触がまだ生々しく残っている。
この手で妻を殺した――
いまさら再確認することではないが、いまさらだからこそ、それを信じたくないという思いがあった。
あれは夢だったのだと、悪い夢を見ていたのだとそう思いたかった。
しかし、現実を否定すればするほど、それはかえって指に残る感触をまざまざと甦らせ、それどころか、妻に掻きむしられた手の甲の傷さえも疼(うず)かせるのだった。
中沢は西新宿のオフィス街にある喫茶店に入った。
ランチの時間は2時までだが、客の姿はまばらだった。
窓際の空いている席に腰を下ろすと、中沢は窓の外を眺めるでもなく眼を投げた。
解雇によって退職したにもかかわらず、気づくと中沢は会社のあるオフィスビルの前まで来てしまっていた。
しばらくのあいだ、彼はビルを見上げて立ち尽くしていた。
それからは行くあてもなくただ新宿の街を彷徨い、西口公園まで足を運ぶとベンチに坐り、いまの時間まで園内を眺めていた。
席に着いてから5分ほどは過ぎたというのに、ふたりいる店員は注文を取りにくるどころか、水さえも持ってこようとしなかった。
視線を向けてもまったく気づかずにいる。
いや、というより、無視されているといったほうが正しいだろう。
中沢は腹立たしさを覚えて声をかけようとし、だが、上げかけた手を止めた。
(まあ、いいさ……)
こんなことで腹を立てるのも馬鹿らしい。
無視するならそれでいい。
どうせ食欲もない。
いまは珈琲でさえ喉を通りはしないだろう。
テーブルの上に置いた手が、小刻みに震えている。
妻を殺した恐怖は、時間が過ぎていくほどに増幅していくようだった。
恐くてしかたがなかった。
いまこうしているあいだにも妻の死体が発見され、捜査の手が迫ってきているのではないかと思えてならない。
それだけに、店の自動ドアが開いて客が入って来るたびに、ビクンと身体を強張らせ、息をつまらながらその客へと眼を走らせた。
背中にはいやな汗が貼りついている。
恐怖をまぎらわそうと、中沢は煙草を喫おうとした。
上着の内ポケットに手をやり、そこで、ランチタイムの2時までは喫煙席でも禁煙であることを思い出す。
「クソッ!」
ふいに苛立って、中沢はまたも店員へと眼を向けた。
ふたりはやはり、中沢の存在に気づかない様子だ。
(まったく、どういうつもりなんだ!)
苛立ちがさらなる苛立ちを呼んで、中沢は舌打ちした。
だが、その程度の苛立ちくらいでは、恐怖をまぎらわすこともできなかった。
手のひらを見つめる。
手の震えは一向に治まらない。
指の1本1本には、妻の首を絞めたときの感触がまだ生々しく残っている。
この手で妻を殺した――
いまさら再確認することではないが、いまさらだからこそ、それを信じたくないという思いがあった。
あれは夢だったのだと、悪い夢を見ていたのだとそう思いたかった。
しかし、現実を否定すればするほど、それはかえって指に残る感触をまざまざと甦らせ、それどころか、妻に掻きむしられた手の甲の傷さえも疼(うず)かせるのだった。
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