甦る妻

星 陽月

文字の大きさ
6 / 55

【チャプター 6]

しおりを挟む
 午後1時――
 中沢は西新宿のオフィス街にある喫茶店に入った。
 ランチの時間は2時までだが、客の姿はまばらだった。
 窓際の空いている席に腰を下ろすと、中沢は窓の外を眺めるでもなく眼を投げた。
 解雇によって退職したにもかかわらず、気づくと中沢は会社のあるオフィスビルの前まで来てしまっていた。
 しばらくのあいだ、彼はビルを見上げて立ち尽くしていた。
 それからは行くあてもなくただ新宿の街を彷徨い、西口公園まで足を運ぶとベンチに坐り、いまの時間まで園内を眺めていた。
 席に着いてから5分ほどは過ぎたというのに、ふたりいる店員は注文を取りにくるどころか、水さえも持ってこようとしなかった。
 視線を向けてもまったく気づかずにいる。
 いや、というより、無視されているといったほうが正しいだろう。
 中沢は腹立たしさを覚えて声をかけようとし、だが、上げかけた手を止めた。

(まあ、いいさ……)

 こんなことで腹を立てるのも馬鹿らしい。
 無視するならそれでいい。
 どうせ食欲もない。
 いまは珈琲でさえ喉を通りはしないだろう。
 テーブルの上に置いた手が、小刻みに震えている。
 妻を殺した恐怖は、時間が過ぎていくほどに増幅していくようだった。
 恐くてしかたがなかった。
 いまこうしているあいだにも妻の死体が発見され、捜査の手が迫ってきているのではないかと思えてならない。
 それだけに、店の自動ドアが開いて客が入って来るたびに、ビクンと身体を強張らせ、息をつまらながらその客へと眼を走らせた。
 背中にはいやな汗が貼りついている。
 恐怖をまぎらわそうと、中沢は煙草を喫おうとした。
 上着の内ポケットに手をやり、そこで、ランチタイムの2時までは喫煙席でも禁煙であることを思い出す。

「クソッ!」

 ふいに苛立って、中沢はまたも店員へと眼を向けた。
 ふたりはやはり、中沢の存在に気づかない様子だ。

(まったく、どういうつもりなんだ!)

 苛立ちがさらなる苛立ちを呼んで、中沢は舌打ちした。
 だが、その程度の苛立ちくらいでは、恐怖をまぎらわすこともできなかった。
 手のひらを見つめる。
 手の震えは一向に治まらない。
 指の1本1本には、妻の首を絞めたときの感触がまだ生々しく残っている。

 この手で妻を殺した――

 いまさら再確認することではないが、いまさらだからこそ、それを信じたくないという思いがあった。
 あれは夢だったのだと、悪い夢を見ていたのだとそう思いたかった。
 しかし、現実を否定すればするほど、それはかえって指に残る感触をまざまざと甦らせ、それどころか、妻に掻きむしられた手の甲の傷さえも疼(うず)かせるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

処理中です...