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【チャプター 26】
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「もう、こうするしかないんだよ……」
中沢は、鋸(のこぎり)の刃を手首の関節にあてた。
だが、中沢の手は固まったように動かない。
意思とは裏腹に身体が拒絶しているのだ。
よほど精神に以上をきたしているか、氷のような冷酷さで心を乱すこともない人間でないかぎり、死体をバラバラに切断するなど恐ろしくてとてもできるものではない。
酒を呷り、わずかに狂気を孕(はら)んだ程度ではそれも当然のことだった。
それを証拠に、中沢はいっぺんに酔いから醒め、恐ろしさに慄(おのの)いている。
それでもなお、鋸を持つ手に力をこめようとする。
だがやはり、その手は動かない。
まるで自分の中のべつの自分に抑えつけられているかのようだった。
時間だけが過ぎていく。
浴室の窓には朝の気配が訪れていた。
手のひらがじっとりと汗を掻いている。
恐ろしさに慄き揺れる眼は真っ赤に充血し、額からも汗が噴き出している。
粒となって噴き出した汗は、重力に負けて重なり合いながら頬につたい落ちた。
中沢は額と手のひらの汗を拭い、改めるように妻の右腕を押さえると、手首の関節にもう一度鋸の刃をあてた。
烈(はげ)しく胸を叩く鼓動が、うるさく耳で鳴っている。
気を落ち着かせようと大きく息を吸い、手に意識を集中させた。
力をこめる。
鮫の刃が妻の手首に沈みこむ。
血が滲み出して、刃先を赤く染める。
「うわあああああッ!」
血を見たとたん、中沢は声をあげていた。
鋸(のこぎり)を持つ手を離し、襲いかかる戦慄に思わず後ずさった。
(無理だ。こんなこと、僕にはできない……)
震える手で頭を抱える。
(どうして、こんなことをしなければならないんだ!)
中沢は胸の中で叫んだ。
これがほんとうに得体の知れない何者かによる罠であり実験だとするなら、その理由を教えてほしかった。
それが無理ならせめて、なぜに自分なのかを。
たとえこれが、ただのゲームだとしても、いや、ゲームならばこそ、それなりの説明があって然るべきではないのか。
これではまるでモルモットだ。
人に対しての尊厳や尊重というものがまったく損なわれている。
尊厳と尊重?……。
いや、そんなものは初めからないのだ。
その者たちには、人間に対しての尊厳や尊重などはなから持ち合わせていないのだろう。
その者たちにとって人間は所詮モルモットにすぎず、その程度の存在でしかないのだ。
「僕がいったいなにをしたっていうんだ……」
苦痛を吐き出すように中沢は言った。
もうなんども、おなじ人間を殺している。
それは苦痛となって当然のことだろう。
(このままじゃ、ほんとにモルモットだ。抵抗しなきゃだめだ。実験材料になんてなるものか!)
しかし、そのすべは――
妻の死体をばらばらにすれば、もう生き返ってくることはないだろう。
その思いに鋸を手にしたが、それはとてもできることではなかった。
なら、どうすればいい。
そのとき、ある考えが脳裡をかすめた。
それは、この家ごと妻の死体を焼いてしまうということだった。
だがすぐに、中沢はその考えを改めた。
そんなことをすれば、妻を殺したうえで家に火を放った犯人としての逃亡生活を余儀なくされ、それこそ罠を仕組ん だ者たちの思う壺になる。
(いっそのこと、妻を殺したと警察に……)
妻の死体をこのままにしておけば、また生き返ってくるだろう。
ならばいますぐに警察へと出頭し、妻が死体であるうちに現場検証させてしまえばいい。
そうすれば妻の遺体は司法解剖される。
それなら、もう甦ることはできないのではないか。
その思いに矢も盾もたまらず浴室を出ると、中沢は2階へと上がっていった。
着替えをすませて玄関へ向かう。
中沢は、鋸(のこぎり)の刃を手首の関節にあてた。
だが、中沢の手は固まったように動かない。
意思とは裏腹に身体が拒絶しているのだ。
よほど精神に以上をきたしているか、氷のような冷酷さで心を乱すこともない人間でないかぎり、死体をバラバラに切断するなど恐ろしくてとてもできるものではない。
酒を呷り、わずかに狂気を孕(はら)んだ程度ではそれも当然のことだった。
それを証拠に、中沢はいっぺんに酔いから醒め、恐ろしさに慄(おのの)いている。
それでもなお、鋸を持つ手に力をこめようとする。
だがやはり、その手は動かない。
まるで自分の中のべつの自分に抑えつけられているかのようだった。
時間だけが過ぎていく。
浴室の窓には朝の気配が訪れていた。
手のひらがじっとりと汗を掻いている。
恐ろしさに慄き揺れる眼は真っ赤に充血し、額からも汗が噴き出している。
粒となって噴き出した汗は、重力に負けて重なり合いながら頬につたい落ちた。
中沢は額と手のひらの汗を拭い、改めるように妻の右腕を押さえると、手首の関節にもう一度鋸の刃をあてた。
烈(はげ)しく胸を叩く鼓動が、うるさく耳で鳴っている。
気を落ち着かせようと大きく息を吸い、手に意識を集中させた。
力をこめる。
鮫の刃が妻の手首に沈みこむ。
血が滲み出して、刃先を赤く染める。
「うわあああああッ!」
血を見たとたん、中沢は声をあげていた。
鋸(のこぎり)を持つ手を離し、襲いかかる戦慄に思わず後ずさった。
(無理だ。こんなこと、僕にはできない……)
震える手で頭を抱える。
(どうして、こんなことをしなければならないんだ!)
中沢は胸の中で叫んだ。
これがほんとうに得体の知れない何者かによる罠であり実験だとするなら、その理由を教えてほしかった。
それが無理ならせめて、なぜに自分なのかを。
たとえこれが、ただのゲームだとしても、いや、ゲームならばこそ、それなりの説明があって然るべきではないのか。
これではまるでモルモットだ。
人に対しての尊厳や尊重というものがまったく損なわれている。
尊厳と尊重?……。
いや、そんなものは初めからないのだ。
その者たちには、人間に対しての尊厳や尊重などはなから持ち合わせていないのだろう。
その者たちにとって人間は所詮モルモットにすぎず、その程度の存在でしかないのだ。
「僕がいったいなにをしたっていうんだ……」
苦痛を吐き出すように中沢は言った。
もうなんども、おなじ人間を殺している。
それは苦痛となって当然のことだろう。
(このままじゃ、ほんとにモルモットだ。抵抗しなきゃだめだ。実験材料になんてなるものか!)
しかし、そのすべは――
妻の死体をばらばらにすれば、もう生き返ってくることはないだろう。
その思いに鋸を手にしたが、それはとてもできることではなかった。
なら、どうすればいい。
そのとき、ある考えが脳裡をかすめた。
それは、この家ごと妻の死体を焼いてしまうということだった。
だがすぐに、中沢はその考えを改めた。
そんなことをすれば、妻を殺したうえで家に火を放った犯人としての逃亡生活を余儀なくされ、それこそ罠を仕組ん だ者たちの思う壺になる。
(いっそのこと、妻を殺したと警察に……)
妻の死体をこのままにしておけば、また生き返ってくるだろう。
ならばいますぐに警察へと出頭し、妻が死体であるうちに現場検証させてしまえばいい。
そうすれば妻の遺体は司法解剖される。
それなら、もう甦ることはできないのではないか。
その思いに矢も盾もたまらず浴室を出ると、中沢は2階へと上がっていった。
着替えをすませて玄関へ向かう。
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