甦る妻

星 陽月

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【チャプター 52】

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「おまえ、なぜ飲まないんだァ」

 喉を潰したようなしわがれた声。
 妖鬼は立ち上がるとグラスを手に取り、中沢に突き出した。

「飲め、さあ、飲むんだ」

 中沢は首を強くふって拒絶した。

「なぜだ、なぜ飲まないんだよう」

 妖鬼は執拗にグラスを突き出す。
 そのためにグラスの中のビールは半分ほどがこぼれ出していた。

「どうして、そんなに飲ませたいんだ」

 中沢は怯まずに訊いた。

「かかか。なにを言い出す。いつも飲んでいるではないか。わたしの注いだビールを上手そうに。だから飲め。おまえが飲まなければ、変化してしまうんだぞ」
「変化だと? どういうことだ。それを飲まないとどうなると言うんだ」
「気づかないのか。わたしが現れたのも、その変化のひとつだということを。おまえがいままでと違うことをすれば、この世界は変化しつづけていくんだよ」
「なに!」

 あの声が言っていた、「なにかが変わる」とはそういうことだったのか。

「変化しつづけたら、この世界はどうなる」
「知れたことさ。かかかッ」

 そう言うや否や、妖鬼は裂けた口を大きく開き、中沢へと跳びかかった。
 中沢は逃げようとはしなかった。
 逃げようと思えば逃げられたはずなのに、彼は妖鬼が跳びかかってくる瞬間に瞼を閉じただけだった。
 妖鬼は中沢の首に喰らいついていた。
 牙が肉に喰いこみ、血が滴り落ちていく。
 それでも中沢は瞼を閉じたまま、声も立てず、身動きひとつしなかった。

「おまえの肉を喰ろうてやる。おまえの血を飲み干してくれるう」

 妖鬼はさらに牙を首に喰いこませる。
 中沢は痛みを堪えながら眉根をゆがませた。

「い、いいさ……、おまえの望むままに……、肉を喰らい、血を飲み干せばいい……」
「かかかかッ!」

 妖鬼が首の肉を強引に喰いちぎった。
 とたんにその箇所から鮮血が飛沫をあげ、床にざざっと飛び散った。

  ぐちゃり、
  ぐちゃり、
  ぐちゃり……。

 妖鬼は喰いちぎった肉を音を立てて咀嚼(そしゃく)した。

「おまえの肉は美味いなァ」

 似たりと嗤うと咀嚼した肉を、妖鬼はごくりと呑みこむ。
 するとまた、喰いちぎった箇所に喰らいつき、今度は血を飲みはじめた。

  ずちゅ、
  ずちゅ、
  ずちゅる……。

 中沢はされるがままになっていた。

(これでいい。これですべてが終わる……)

 中沢は口許で薄く笑った。
 意識が朦朧としていく。
 遠のいていく意識の中を、妻との幸福だった日々がフラッシュバックのように次々と流れていった。
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