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チャプター【56】

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 店内に、人の姿はなかった。
 避難勧告の通達は、行き届いているようだった。
 店内のテーブルやイスを弾き飛ばし、蘭は奥の壁に叩きつけられていた。
 2挺の銃は、手から放していない。
 銃を持ったまま壁に手をつき、蘭は立ち上がろうとしている。

「グ、フ、フ。どうした。おれの瞬動を、見切っていたんじゃなかったのかァ?」

 獅子男の声がした。
 姿は見えないが、店内に入ってきているらしい。
 そのとき、また、蘭を重い衝撃が襲った。
 1発、2発、3発。
 連続的に、衝撃が蘭を襲う。
 そのたびに、蘭の身体が跳ねる。
 4発目の衝撃が襲ったとき、蘭の身体は壁を突き破り、店舗裏の路上に放り出されたように倒れこんだ。
 蘭が突き破って崩れた壁の穴が、がらがら、とさらに崩れ落ちて大きくなる。
 獅子男が姿をあらわにして、壁の穴から出てきた。
 その体躯が、2メートルほどのもとの大きさにもどっていた。

「どうだ。少しはおとなしくなったか?」

 獅子男が蘭を見下ろす。
 蘭は倒れたまま動かない。

「いや、そう見せかけておいて、きさまはなにをしでかすかわからないからなァ。渾身の一発をお見舞いしておくとしよう」

 獅子男は左腕を大きくふりかぶると、蘭の顔へ拳をふり下ろしていった。
 ごきり、と鈍い音がした。
 銃を持つ蘭の手が緩み、指先が、ぴくぴく、と動く。
 だが、それもすぐに止まり、そのままぴくりとも動かなくなった。

「ぐふう。これでようやく、きさまの血を啜り、はらわたを堪能できるぞ」

 獅子男はその場に屈みこむと、蘭の着ているアーマー・スーツのファスナーに爪をかけた。
 と、ふいに、爪をかけたその手が止まった。

「ん?……」

 獅子男は貌を上げた。

「なんだ? この匂いは」

 鼻をひくひくさせて、大気の中を探った。

 肉が焼ける匂い――

 獅子男はそう確信した。
 嗅覚の優れた獅子男には、人間の鼻では嗅ぎ取れない匂いを嗅ぎ取ることができる。
 それが、10キロ先から漂ってきた匂いであってもだ。
 しかし、大気の中に、肉の焼ける匂いなど漂ってはいない。
 なのに獅子男は、はっきりとその匂いを嗅いでいた。
 それも、すぐ間近にである。
 訝るように、獅子男は毛で覆われた眉根をよせた。
 そのとき、獅子男はある異変に気づいた。
 手首を切り落とされた右腕の切断面から、湯気のようなものが上がっていた。

「なに!――」

 獅子男は右腕を上げ、切断面を見た。
 それは、湯気ではなく煙であった。
 赤々とした肉の組織から、煙が滲み出てくるのだ。
 ふと、気づけば、身体中の毛の間から、煙が上がっているのだった。

「おれの身体が燃えているのか!」

 獅子男は立ち上がり、身体のそこかしこを叩いた。
 それでも、煙はあとからあとから上がってくる。

「どういうことだ、これは!」

 獅子男は狂喜乱舞するかのごとく、身体中を叩きながら動き回った。
 しかし、煙は、獅子男を包みこむように立ちこめた。

「ぐ、うッ……」

 ふいに、獅子男が動きを止め、貌をしかめて苦しみはじめた。
 とつぜん、全身を焼かれるような痛みが走ったのだ。

「あぐ……、ぐく、く……」

 獅子男は、痛みをこらえて蘭を見た。

「きさまァ……、このおれに、またなにかしたのかッ……」

 視線の先の蘭は、立ち上がっていた。
 うつむいていた顔をゆっくりと上げると、鼻が変形していた。
 獅子男に殴られ、鼻骨が砕けたのだ。
 蘭は、手にしている銃をホルスターに収め、右手の指で無造作に鼻を掴み、ごきりともとにもどした。

「なにを言っている……。ナノマシンの効果が、現れただけのことだ……」
「なに! 人間ごときの科学力が、こ、このおれに通用するはずがない」
 
 そう言ったとき、獅子男の身体が火に包まれた。

「ぐあああ! あが、あがが。熱いッ! 身体が燃えるうッ!」

 獅子男は燃え上がる己の火を消そうと、必死に路上を転げ回った。

「フン。人間の、いや、久坂博士の科学力を、甘く見るんじゃないよ……」

 蘭は改めて右のホルスターから銃を抜くと、ふらつく足で獅子男に近づいていき、銃口を向けた。
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