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チャプター【57】

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「やめろ……、撃つな。撃つな……」

 火だるまになりながら、獅子男は両の手のひらを蘭に向けて突き出し、制すように言った。

「おまえを撃たない理由がどこにある」

 蘭は、トリガーにかけた指に力を加えた。

「おれを殺せば、九鬼の居場所がわからなくなるぞ」
「おまえに聞かずとも、捜し出すさ」
「いままで、見つけることができなかったのにか」
「これまではな。だが、今回、おまえが姿を現したということは、なにか事を起こすつもりで地下から出てきたんだろう? ならば、やつも同じだ。捜し出すことなど、そうむずかしいことじゃない」

 蘭がトリガーを絞ろうとする。

「やや、ま、待て。ただ九鬼の居場所を教えるということじゃないんだ。これは、あんたに関わることなんだよ。聞けば、悠長なことは言ってられないはずだ」
「――――」

 蘭は、トリガーにかけた指の力を緩め、

「一応、聞いてやる。ただし、重要でないと判断したら、そくざに弾(はじ)く」

 言った。

「わ、わかった。実はと言うと、おれはあの九鬼に、いいようにこき使われているだけなんだ。九鬼のやつめ。船長のころはまだよかったが、アビスタントになってからは、まるでしもべのごとく扱いだ。アビスタントでなければ、あんなやつ――」
「おい!」

 獅子男が言うのを、蘭が制した。

「弾かれたいのか」

「あ、いや、す、すまない。こんな話じゃないんだ。あんたの娘のことだよ」
「なに!――」

 蘭は動揺し、思わずトリガーにかかった指に力をこめていた。
 1発の銃弾が発射し、獅子男の頬をかすめるように飛んでいった。

「わひゃあ! ななな、なんで撃つんだよ。肝心なことは、まだなにも言ってないんだぞ!」
「黙れ! 私の娘がどうしたんだ!」

 蘭は詰め寄った。

「やめてくれ。銃口を向けるなよ。それでなくとも、おれの身体は燃えてるんだぞ……。身体中が痛くてしかたないんだよ……」

 獅子男は弱々しい声で言った。
 確かに、獅子男の身体は燃えつづけいる。
 全身の毛は燃えつき、炎こそは弱くなっているが、皮膚は黒焦げになり、周囲には肉の焼ける匂いが漂っている。
 脅えた貌さえも、判別がつかないほどに焼けただれていた。
 蘭は銃を下した。

「このままだと、私が撃たなくとも、おまえは死ぬ。命は助ける。だから、早く話せ」
「ああ、わかった……。九鬼は、あんたの娘をさらいにいった。おれたちセリアンが、渋谷と新宿で暴れるのと同時に、あんたの家を襲うという計画だったんだ……」
「なぜ、わたしの娘を……」
「詳しいことは知らない……。ただ、九鬼はこう言っていた。これで、女王が復活すると」
「女王が復活する?……。どういう意味だ」
 
 蘭の問いに、獅子男は力なく頸(くび)をふった。
 そのまま、頸をがっくりとうなだれた。

「いま、救護班を呼んでやる」

 蘭は、左耳に指先をあてた。
 耳穴には、イヤフォン型の通信機が差しこまれていた。

「ま、待て……」

 通信しようとする蘭を、獅子男が止めた。

「どうやら、おれはもうだめなようだよ……」

 獅子男の声は、やはり力なく小さい。

「弱気なことを言うな。久坂博士が助けてくれる」
「いや、自分のことは、よくわかっている……。それにおれは、月よりの感染者、最初の5人のひとりだ。もし助かったとしても、おれは人間にはもどれない。正確に言えば、いまおれは、人間だった水野の肉体を奪った地球外生命体だ。そんなおれは、実験体にされるだけだ……」
「それは違う。おまえが協力的であれば、別の道がある。わたしのようにな。久坂博士が、その道を与えてくれる」
「あんた、その久坂博士とは、どういう関係なんだ……」
「私を助けてくれた人だ」
「そうか……。それであんたは、エリミネーターになったというわけか……」
「それ以上、しゃべるな。助かるものも、助からなくなるぞ」
「だから、もう無理なんだよ、蘭。ただ、最期に頼みを聞いてくれ……」
「なんだ」
「おれ……、ぬ……、だ……、あ………、を……、めば……、る………」

 獅子男の声は小さく、途切れ途切れにしか聴こえない。
 蘭は銃をホルスターに収め、獅子男の傍らに膝を折って屈みこんだ。

「なんだ。もう一度言ってくれ」
「おれは死ぬ……」

 獅子男は貌を上げ、

「だが――あんたの血を飲めば助かるんだよォ!」

 そこでとつぜん、牙を剝いて蘭に跳びかかった。
 獅子男の牙が、蘭の首筋に襲いかかる。
 しかし、獅子男の牙が蘭の首筋には届く前に、眼の下から上部が、ずるりと後方へ滑り落ちていった。そ
のとたんに、獅子男は崩れ落ちていた。
 蘭は立ち上がった。
 崩れ落ちた獅子男を見下ろした。
 そこには、身体がばらばらになった獅子男の残骸があった。
 蘭は、肉眼では追えぬ疾(はや)さで、獅子男の身体を手刀で斬り刻んだのだった。

「馬鹿なやつだ……。結局、こうなってしまったか……」

 獅子男のばらばらになった残骸を見下ろす蘭の眼は、どこか悲しげであった。
 だが、それはほんの一瞬のことで、くっと顔を上げたその眼には、すでに険しい光が満ちていた。

「菜々――」

 娘の名を呟くと、蘭は踵を返してその場から駆け出していた。
 ばらばらとなった獅子男の残骸は、もう炎は消え、黒い灰の塊と化していた。
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