【完結】Switchなんて聞いてない──氷のエリート様が年下の溺愛Domに溶かされるまで──

牛丸 ちよ

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Subとしての生活

14 Holic【3】

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 店内には優雅な曲が流れていた。案内された席に座る。
 奥から料理人服の男が現れテーブルまで来たかと思うと、杜上へ親しげに話しかけた。それから俺の方を向いてこの店のオーナーシェフだと名乗る。
 男は直々にドリンクのオーダーをとり、苦手な食べ物がないかを聞いてからキッチンに戻っていった。ちゃっかりメニューも回収されている。今夜は彼がもてなしてくれるようだ。

「彼とは以前ご縁があって、店に来いと声をかけてもらっていたんですよ。でも一緒に行ってくれる人がいなかったので……ちょうど良かったです。助かりました」

「はあ……」

 こいつの交友関係はどうなっているんだ。
 若くして開業医をしているし、所作からは育ちの良さを感じるし、彼も大概特別な人間に思える。
 ただの患者にこんな時間を割いて構っていていいのか。

 給仕がテーブルにドリンクと前菜を運んできた。
 グラスを掲げて乾杯の仕草をし、唇を濡らす。

「ノンアルコールなんて、意外です」

 俺のグラスが酒ではないことはオーダーを聞いていればわかる。
 酒は仕事の付き合いでしか飲まないのだ。
 意外がられるのは初めてのことだった。プライベートで誰かと食事することはなかったから。

「パフォーマンスが下がるものをわざわざ好む気が知れん」

「なるほど。では僕は……飲みたいものを飲みますよ」

 彼のグラスは赤ワインだ。

「そうしてくれ。気を使わなくていい」

「けっこう緊張してるんです。お酒の力を借りないと」

「それこそ意外だな。センセイが余裕無いなんて」

「センセイはやめてくださいよ。千裕と呼んでください」

 そういえばそんな下の名前だったな、と思い出す。

 昼と変わらず料理を前にした杜上は饒舌で、ほどほどに聞き流しつつ食事を楽しんだ。
 料理が出るタイミングや量、味。人気の店である理由がよくわかる。
 杜上の解説あってこそ発見したことも多く、退屈しない。

「──昨日、どうするつもりだったんですか?」

 そう切り出され、昨日の電話での会話を思い返す。
 電話口で俺の話を遮った自覚はあったらしい。
 いま思うと、あのときはそうしてくれて助かったように思う。
 口に出していたら情けなくてますます自分が嫌になっていただろう。

 黙っていると、杜上が言葉を続けた。

「あなたが潜在性Switchであること以前に、あなたが置かれている状況──お勤めの会社が特異であることは理解されていますか?」

「わかっている。……急に医者の顔に戻るじゃないか、センセイ」

 どこかのタイミングではしなければならない話だったろう。これが今日の本題なのだから。

 杜上は俺の皮肉に少し困った顔をしつつ、ワインを一口飲んで言う。

「この社会はSubでもDomでも生きていけるようにできているんですよ」

「だが会社プロヴィデーレではやっていけない」

 フォークで肉を刺し、口に運ぶ。

「あなたにとってプロヴィデーレ社の存在は大きいんですね」

 どうやら俺に転職を検討させたいようだ。

「おまえにわかりやすく言うと、俺は自分の優秀さを証明するのが趣味なんだ。そのへんの環境では簡単すぎてつまらない」

「わかりやすい」

 俺は思いやりとかいう足の引っ張り合いが一番嫌いだ。
 プロヴィデーレ社はどこまでも実力主義で、年功序列やら仁義やらくだらない言葉が出てこないところが好みだった。それに、全国から優秀なDomが集まるため社員のレベルが高く、それなりに勝負になる。

「でももうこの趣味も終わりだな」

 Domに戻るまで耐えたところで、またSubに転換する可能性に怯え続けなければならない。
 無理だ。
 どうしたって俺は以前の俺のままでいられない。

 空になった皿が回収されていくのを眺めていた。
 ささやかなデザートとコーヒーが出てきたが、手をつけない。
 ぼんやりと明日のことを考える。朝イチで休暇明けのメールを一斉送信して……いや、俺は昨日の時点で人生の幕引きケジメについて答えを出しているのに、仕事の心配をするなんておかしな話だ。
 明日なんかない。

 目の前のこの男は、あの電話でなにを感じ取ったのだろう。
 考えを見抜いたからこそ、こんなふうに呼びつけて対話しようとしているのだろうか。
 ああ、めんどくさいな。なぜ俺は杜上と会うことを良しとした?
 これ以上ヘンに説教されるなら、「なにか勘違いしてないか? 会社を辞めるだけだ。おまえの望み通り、転職するよ」──そう嘘をついて終わらせよう。

「大慈さん、このまま一緒にお店を出ませんか」

 予想とは違う言葉に驚くよりも、その言葉の含みに──いや、言葉の含みを瞬時に理解できてしまった自分に──すかさず笑い飛ばさなかった自分に、驚いた。

 素直にハイとは言えず、わざと冷たい言葉で返す。

「なんだおまえ、そういう趣味だったのか」

「どこかで気付くと思っていたんですけれどね。小紅さんから普通のCareの話、聞く機会はありませんでした?」

「あったよ。だから誰にもおまえとの詳しい話はしてない」

 いつもそうというわけではなかったが、杜上とのPlayは生々しかった。
 自分で処理するよう言われるばかりで、彼に触れるよう命令されることはついになかったが。

 Subに対するケアとしてのCare──業務的なPlayの範囲は法的に広く解釈されており、同意の上であれば性行為も問題ないとされている。しかし後からSubが手のひらを返して訴訟した場合、Domはかなり不利になる。
 だから、小紅の言葉を借りるなら「マトモなCare従事者なら風俗みたいなことはしない」らしい。
 杜上には杜上のやり方があるのだと思っていたが……。

「あ」

 杜上が小さく声をこぼす。
 俺が彼のワイングラスをつかみ、勝手に飲み干したからだ。

 唇を舐め取り、喉を通っていった刺激の余韻を味わう。

 不思議なのは、この時点まででちっとも不愉快じゃないことだ。
 彼の誘いの意図を理解しても、構わないと思えてしまっている。
 それは俺が自棄になっているからだろうか。

 そうだとしても、最期の時間にこの男と過ごすことを選ぶなんてな。

「これが美味いのか?」

「僕は好きですよ」
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