【完結】Switchなんて聞いてない──氷のエリート様が年下の溺愛Domに溶かされるまで──

牛丸 ちよ

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新しい生活

26 Shift【1】

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「ギラスのあの顔、さいっこ~だったね」

 昼休憩を終えた小紅は、午前中のことを何度も思い出しては上機嫌になっていた。
 午前中のこととは、俺がDomに戻ったことを知らない鷹政が赤っ恥をかいたことだ。いつものようにCommandでちょっかいを出そうとして失敗し、やり返されてしょぼくれていた。
 Domの力が衰えていないことを再確認できたから礼を言ったのだが、小紅はそれが特に面白かったようだ。

「これからまた忙しくなるな」

「行儀の良いおーじサマはおしまい? そうこなくっちゃ」

 小紅は鼻歌を歌いながらパソコンに向かう。その手元にジュースはなかった。

 オフィスの空気は少々ぎこちない。
 午前中の鷹政の件で俺がDomに戻ったことはすぐ広まった。また勢力図が変わるのではないかと、みなが出方をうかがっているのだ。

 戻ったとはいえ、いつまた転換するかわからない。それも各々の判断を難しくさせていた。
 俺自身、どうせまたSubに堕ちるときが来ると思うと、気持ちにブレーキがかかりそうになる。
 けれどDomに戻った実感が腐らせていた闘争本能を呼び起こす。抑制剤の服用を止めてから体調もすこぶる良く、エネルギーに満ちている。俺はまた己の証明のため働きたいと思うのだった。

「でもまだ本調子って感じじゃないよね」

「そうか?」

「ギラスに対しては昔通りだけど、他の社員にはまだSubのときみたいな接し方じゃん。ぼくサマにも吠えないし」

「吠え……?」

「しょっちゅう《早くやれ》ってCommandぶつけてきてたじゃん。早く早く早く! ワンワンワワワン!」

 片眉を上げて顔をしかめた。そんなに急かしたりし……していたな、そういえば。
 プロジェクトチームのメンバーに対し、効率を上げるほどRewardの喜びもひとしおだろうとギリギリまで負荷をかけていた。

「別に責めてないよ。業務量が多すぎて身体が保たないかもってとき、わざとおーじサマにメロりながら無理やり身体動かしてたこともあるし」

 メロ、の意味はいまいちわからないが、話の流れからそれがReward中毒になることを指しているとわかる。Subの身体の感覚を知った以上、小紅は軽いノリで話しているが結構なホラーだと理解できてしまう。

「あ、大丈夫だからね。おーじサマはぼくサマの好みじゃないよ。キミのCommandは好きだから利用するけど、お付き合いはできない」

「告白してもないのに人生で初めてフラれた」

 そのとき、俺の業務端末が鳴った。電話だ。だいぶ前に俺がとってきた案件を引き継いだチームからだった。
 応答してすぐ、震えた声から良い話ではないと察する。どうやらトラブルが発生し、対応が後手になって先方の社長を怒らせてしまったらしい。
 信頼回復のため奔走したがうまくいかず、契約解除の一歩手前になって俺に電話してきたようだ。詳細を聞けば聞くほど「そこまで手遅れになってから相談されても……」という気になるが、仕方がない。
 聞き耳を立てている小紅へ目配せした。頷きが返ってくる。俺たちは椅子にかけていたジャケットを手に取って立ち上がった。



   ■



「Command、こっそり使えばもっと簡単だったのに、なんで?」

「使うほどのことでもなかった」

「ふーん」

 会社への帰り道、緊張が解けたらしい小紅はあくびを噛み殺す。

 火元になっている社長の連絡先を知っていたため、直接電話したうえで会社へ訪問した。相手は俺のことを覚えており、深くお詫びをしたところ俺と会社の顔を立ててくれた。相手に借りができたが、今回動く金額を思うとはくるだろう。
 それに、窓口は俺が良いと言ってくれたため仕事を取り戻せそうだ。

 Domに戻って二日目だが、すでにSubだったときよりやりやすいと感じている。
 燃えたこのプロジェクトも、元はと言えばクライアントの社長がSub嫌いのNeutralで有名だから、俺の手元から離れたのだ。わざわざ第二性を開示することはないが、何かの拍子に発覚したときが怖いからという上司の判断で。

「やっぱさー、大手企業のプロヴィデーレだからっていうより、熱意のあるおーじサマだから契約してくれたクライアントって多いんだよ」

「そんなことはわかっている。それでも引き継いだならどうにかするのが仕事だろう」

「それ、今回のポカした社員にも言った?」

「言った」

「かわいそ」

 そう言いながら、小紅は変なポーズをした。なんだそれはと聞いたら「かわうそのポーズ」と返ってきた。

「早速仕事が増えたわけだし、ホントに忙しくなりそうだね」

「おまえはもう俺にくっついて回る必要ないだろ」

 小紅が俺と行動を共にするようになったのも先天的Subとしての同情心からだ。
 Domに戻ったいま、彼の使命は果たされたと言えよう。

「さみしいこと言わないでよ。ぼくサマに秘書してもらって働きやすかったでしょ?」

「……まあな」

 俺のやり方がわかっている小紅はとにかく便利だった。今後も力を貸してくれるというのなら、都合は良い。


 やっと帰社し、自分の仕事を進めた。
 窓の外が暗くなり、オフィスの電灯が点く。定時を過ぎてひとりまたひとりと社員が退勤し、壁時計の針が左上を指すころ小紅も帰った。
 いつまでも残業をするのはもちろん仕事が残っているからだ。……あとは、どこへ帰るべきか迷っている。
 小紅とつるむ理由がなくなったように、千裕のマンションに帰る理由ももうない。いまの俺にCareは必要ないし、彼もSubではない俺を必要としないだろう。
 いつもなら、このくらいの時間になると帰宅しない俺に痺れを切らして千裕から連絡が来る。スマホに通知が来ないのはつまりそういうことなのだ──

 ──机に置いていたスマホが震える。電話の着信だった。
 ディスプレイに表示されているのはちょうど考えていたその人の名だ。

 躊躇ちゅうちょする間にもそれはバイブレーションを続けている。
 やっと手に取って耳に当てると、いつもと変わらない穏やかな声が聞こえた。
 
『お疲れさまです。迎えに行ってもいいですか?』

「……ああ」
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