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新しい生活
33 Emerge【2】
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到着したのはアルミチャックキッチンだった。かつて千裕とバインミーを食べた店だ。小紅はそれを知らない。
カウンターの席に座って注文をする。小紅がフォーを頼み、俺も同じものにした。
つい、店内を見渡してしまう。平日のこの時間帯は診療時間だから、千裕と会う心配はないのに。……なぜそんな心配をするんだ。会ったとしても堂々としていればいい話じゃないのか。
「……そわそわしてるけど、ギラスになんか言われたの? テレワークブースから戻るの遅かったよね」
「そうじゃない。気にするな」
「ふーん」
料理はすぐに出てきた。
蒸した鶏肉と刻みネギが浮かぶ透き通ったスープに、白い半透明のライスヌードルが沈んでいる。小皿には味変用のレモンとパクチー。シンプルな見た目だ。千裕なら美しいと言うかもしれないし、この匂いもとても良い香りだと喜んだかもしれない。
「鶏スープのフォーはね、胃に優しい。胃がそう言ってる」
「おしゃべりな人間は臓器もおしゃべりなのか」
小紅は出てきた料理の写真をスマホで撮っていた。
「このお店、ずっと来たかったんだよね。せっかくだからインスタにあげちゃう」
ときどき、小紅が同い年とは思えないときがある。感性が若々しいというか。何が楽しいんだか。
仕事で必要になることもあるため、流行りのSNSアカウントは一通り持っている。けれどプライベートで運用したことはなかった。
「さっさと食え」
次の予定があるため、あまりゆっくりもしていられない。
スプーンを手に取り、熱いスープをすくって飲んだ。やわらかくしょっぱい。塩分が疲れた身体に効く。
千裕もこの味を知っているのだろうか。
■ ■ ■
翌朝、二日酔いが去っても体調が万全ではない感覚があった。
寄る年波には勝てないということなのか。そんなことを考えながらさらに翌朝を迎えると、やはり頭痛がする。
その次の日も。
さすがに二日酔いは関係がないと思い、風邪のたぐいを疑い始めた。
だが、風邪とも違う気がする。熱もないし、この独特な頭痛には既視感があるからだ。
……嫌な予感がする。
久々に小紅が同僚のDomにちょっかいを出されていたため、目障りで間に入ってやり返した。
自分がまだCommandを使えるか確認するためでもあり、その威嚇はちゃんと効いた。効きが弱い気もしたが……。
昼食をとって鎮痛剤を飲んでみたが、夕方になっても変わらず鈍い頭痛は続いている。
どう考えても、この不調はSubに転換する予兆だ。過去に経験したのと同じ流れをたどっている。
昨日の定期通院では話さなかった。異常を訴えなければ検査されないからだ。へたなことをしてプロジェクトチームから外されても困る。それに、鷹政と働いている以上は弱みを握らせるわけにはいかない。
周囲は──特に小紅はかならず怪しむが、どうにかごまかすしかない。
問題は、完全に転換したあとのCommand耐性だ。Sub dropを起こせば一発でバレてしまう。
病院に黙っているなら抑制剤も手に入らない。無防備なままSランクDomのCommandが飛び交う社内にいると毎晩悪夢を見る。刺激を受け続けた脳が過覚醒状態から抜けられないためだ。できればもう味わいたくない。
頭は悩みでいっぱいだが、手は黙々とキーボードを叩いて明日の資料を作成していた。
周りからは仕事に集中しているように見えるが、実際は考え事でボーっとしているのである。ハッと現実に戻るたび、資料の中身が増えていることに自分で戸惑う。入力した覚えがないので慌てて見返し、内容がまともであることを確認してホッとする。その繰り返しだった。
効率が悪くてすっかり夜になってしまっている。社員はちらほら退勤し始めていた。隣の小紅もいつの間にかいない。
もうこんな時間か。
丸まっていた背筋を伸ばし、椅子の背もたれに体重を預けた。少し空腹を感じる。
「…………」
ふいに、机に置いていたスマホが震えた。メッセージの受信だ。
手に取り、画面を確認する。わかってはいたが、連想した名前がそこに表示されていないのを見て安堵した。言いようのない苦しさと共に「は、」と息を吐く。
そして、小紅にクセを指摘されたことを思い出してすぐにスマホを置いた。
いまのこれは、それじゃない。着信のバイブレーションにすぐさま反応してしまったが、鳴る前からスマホを見ていたのは偶然だ。ここにいない人間に頭の中で言い訳をする。
まぎらわしいタイミングで連絡をしてくるな──メッセージの送信主にも理不尽にイラついてしまう。
「あ」
しかし、思いついてしまった。
既読無視しようとして気が変わる。スマホをもう一度持ち、返信画面を開いた。
カウンターの席に座って注文をする。小紅がフォーを頼み、俺も同じものにした。
つい、店内を見渡してしまう。平日のこの時間帯は診療時間だから、千裕と会う心配はないのに。……なぜそんな心配をするんだ。会ったとしても堂々としていればいい話じゃないのか。
「……そわそわしてるけど、ギラスになんか言われたの? テレワークブースから戻るの遅かったよね」
「そうじゃない。気にするな」
「ふーん」
料理はすぐに出てきた。
蒸した鶏肉と刻みネギが浮かぶ透き通ったスープに、白い半透明のライスヌードルが沈んでいる。小皿には味変用のレモンとパクチー。シンプルな見た目だ。千裕なら美しいと言うかもしれないし、この匂いもとても良い香りだと喜んだかもしれない。
「鶏スープのフォーはね、胃に優しい。胃がそう言ってる」
「おしゃべりな人間は臓器もおしゃべりなのか」
小紅は出てきた料理の写真をスマホで撮っていた。
「このお店、ずっと来たかったんだよね。せっかくだからインスタにあげちゃう」
ときどき、小紅が同い年とは思えないときがある。感性が若々しいというか。何が楽しいんだか。
仕事で必要になることもあるため、流行りのSNSアカウントは一通り持っている。けれどプライベートで運用したことはなかった。
「さっさと食え」
次の予定があるため、あまりゆっくりもしていられない。
スプーンを手に取り、熱いスープをすくって飲んだ。やわらかくしょっぱい。塩分が疲れた身体に効く。
千裕もこの味を知っているのだろうか。
■ ■ ■
翌朝、二日酔いが去っても体調が万全ではない感覚があった。
寄る年波には勝てないということなのか。そんなことを考えながらさらに翌朝を迎えると、やはり頭痛がする。
その次の日も。
さすがに二日酔いは関係がないと思い、風邪のたぐいを疑い始めた。
だが、風邪とも違う気がする。熱もないし、この独特な頭痛には既視感があるからだ。
……嫌な予感がする。
久々に小紅が同僚のDomにちょっかいを出されていたため、目障りで間に入ってやり返した。
自分がまだCommandを使えるか確認するためでもあり、その威嚇はちゃんと効いた。効きが弱い気もしたが……。
昼食をとって鎮痛剤を飲んでみたが、夕方になっても変わらず鈍い頭痛は続いている。
どう考えても、この不調はSubに転換する予兆だ。過去に経験したのと同じ流れをたどっている。
昨日の定期通院では話さなかった。異常を訴えなければ検査されないからだ。へたなことをしてプロジェクトチームから外されても困る。それに、鷹政と働いている以上は弱みを握らせるわけにはいかない。
周囲は──特に小紅はかならず怪しむが、どうにかごまかすしかない。
問題は、完全に転換したあとのCommand耐性だ。Sub dropを起こせば一発でバレてしまう。
病院に黙っているなら抑制剤も手に入らない。無防備なままSランクDomのCommandが飛び交う社内にいると毎晩悪夢を見る。刺激を受け続けた脳が過覚醒状態から抜けられないためだ。できればもう味わいたくない。
頭は悩みでいっぱいだが、手は黙々とキーボードを叩いて明日の資料を作成していた。
周りからは仕事に集中しているように見えるが、実際は考え事でボーっとしているのである。ハッと現実に戻るたび、資料の中身が増えていることに自分で戸惑う。入力した覚えがないので慌てて見返し、内容がまともであることを確認してホッとする。その繰り返しだった。
効率が悪くてすっかり夜になってしまっている。社員はちらほら退勤し始めていた。隣の小紅もいつの間にかいない。
もうこんな時間か。
丸まっていた背筋を伸ばし、椅子の背もたれに体重を預けた。少し空腹を感じる。
「…………」
ふいに、机に置いていたスマホが震えた。メッセージの受信だ。
手に取り、画面を確認する。わかってはいたが、連想した名前がそこに表示されていないのを見て安堵した。言いようのない苦しさと共に「は、」と息を吐く。
そして、小紅にクセを指摘されたことを思い出してすぐにスマホを置いた。
いまのこれは、それじゃない。着信のバイブレーションにすぐさま反応してしまったが、鳴る前からスマホを見ていたのは偶然だ。ここにいない人間に頭の中で言い訳をする。
まぎらわしいタイミングで連絡をしてくるな──メッセージの送信主にも理不尽にイラついてしまう。
「あ」
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既読無視しようとして気が変わる。スマホをもう一度持ち、返信画面を開いた。
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