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新しい生活
38 Rise【2】
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Subになっちゃったら……か。
コーヒーで口の中のものを胃に押し込み、ふむと息をこぼす。
相手にされないとわかったからか、随分まわりくどい。それはともかくとして、まだ俺に関わろうとするなんてつくづく変わり者だ。この会社において俺と関わる価値は、もう前ほど無いとわかっているだろうに。
「小紅、おまえは優秀な男だ」
「ちょっと、話を逸らさないでよ」
「最後まで聞け。おまえは他の会社に行けばいくらでも出世できるだろ。この会社に居続けるのはなぜだ?」
「……なんなのさ、急に」
「ただ評価されたいんじゃない。勝ち取りたいんだろ。DomもSubも押しのけて、小紅巴を証明したいんだ」
彼は黙っている。俺の見立てが間違いならすぐに否定しているだろう。
長い沈黙の後、ぽつりと言葉がこぼれた。
「ぼくサマ、学生のときはインターンで引く手あまただったし、どこにいってもその場で内定もらってたんだけど」
「ああ」
「必ずね、人事に言われるんだ。『Subでこんなに優秀な人は初めて。期待しているよ』って」
俺が人事でも同じことを言っただろうし、実際、どこかのタイミングで彼にそう言ったことがある。
言う側から──あのときの俺からすれば褒め言葉だった。言われた小紅は喜んでいるように見えたが、思い返せばあれは愛想笑いの顔だ。
「どこの会社もさ、表向きは平等採用の顔して、実際のところSubの採用には慎重じゃんね」
「……そうだな」
Subは大抵、数年で寿退社してしまうからだ。人事にとってはDomを採用するにこしたことはなく、SubをとるくらいならNeutralをとったほうがいい。
「でも、Subの採用が少ないと世間の目がある。だからマシなSubを探してる。……転職したSubの話したの、覚えてる? 彼さ、いつも言うんだ。『ここでは評価してもらえるけど、みんなと同じ評価軸では扱われてない。結局同じだね』って」
昔の俺ならわからなかった話だろう。
SubはSubとしてしか評価されない。Domは決して「Domのわりに優秀」「Domなのにがんばっている」とは言われないのに。
「プロヴィデーレの人事はね、僕に対して『Subなのに』とは一度も言わなかった。言わなかっただけでそう思っていたかもしれないけど。『あなたの優秀さを発揮してほしい』って──それだけで、ぼくサマには充分だった。皮肉だよね、どこよりも時代遅れな社風なのに、入り口は公平なんだ。ま、入ってみれば案の定だったわけだけど……泣き寝入りなんかしない」
箸を持つ彼の手が震えている。そこにあるのは怒りだ。見つめるのは礼を欠く気がして、彼の横顔に視線を移す。
小紅はいつになく真剣な顔で壁に張り出された社内表彰式の記事を見つめている。かつては俺の名もあったものだ。現在のそれには鷹政を筆頭に見知ったDomの名前が並んでいる。事実優秀な実績を収めている彼らが表彰されることに異論はないが、その中に小紅がいないことへ今の俺なら違和感を感じ取れる。
「こう言うとおまえは嫌がるかもしれないが……わかるぞ」
小紅は少し驚いた顔でこちらを見る。
「おーじサマが……わかるわけないじゃん……」
そうだな。おまえの苦労の十分の一も知らない。
だが、まったく知らないというわけでもなくなった。
「俺は、Domであることが優秀さのすべてだと思っていた。だが……最近は思うところができた。Domにしか見向きしない上司にも、Subだと侮る鷹政にも、俺を認めさせてやるまでは成仏できん。第二性で判断されてたまるか、がんばっているのは俺だ。だから、おまえの気持ちがほんの少しだけわかった気がする」
……そう言いながらも、できるならDomでありたいとSubへの転換を黙っているから、都合の良い話ではあるが。
そんな俺の浅はかさまで見通しているかはわからないまま、小紅はやっと表情をやわらかくした。
「それが、ぼくサマの質問に対するおーじサマの答えなんだね」
「そうだ。俺がSwitchで、なんだろうと、モチベーションには影響しない。むしろ新卒のころくらい燃えている」
「……なら、ぼくサマも安心してがんばれるよ」
「何目線なんだ、それは」
「へへっ」
彼はいつもように元気に笑うと、弁当に箸をつけた。大きな口を開けておかずを頬張る。
俺も自分の食事を続けた。
(……不思議なものだな)
初めてSubになったときは、自分がこんな考え方ができるなど思いもしなかった。
千裕に飼われている間、無為に過ごす虚しさばかり感じていたが、ああやって俺に時間を与えてくれたから今があるのかもしれない。
無駄な時間などどこにもなかった。
昼食を終え、テーブルのゴミをまとめて捨てる。
ソファに座ったままスマホをいじる小紅へ声をかけた。
「……小紅」
「ん?」
どうやらゲームをしているようで、画面から目を離さないまま聴覚だけこちらに向けている。
大した話ではないため、咎めることもなく言葉を続けた。
「おまえはよくやってる」
すると、小紅はギョッとした顔をして操作途中であろうスマホをテーブルに置いた。
「な、なに、急に。真顔でさ。しかもCommandじゃないじゃん」
「仕事の発破ではない。ただ思ったことを言っただけだ」
「え……こわ……」
「おい。失礼だぞ」
「だって理由もなくそんなこと言うの、普段のおーじサマじゃ考えられないよ」
「理由はある。俺がこうなるまで、Domならばしなくていい苦労をしながら働く者がいると知れなかった」
このごろは会社の俺への態度に不満を感じているが、同時に小紅の待遇にも腹立たしく思うことがある。
「しかもおまえは、その上で手を抜かず、駄々もこねず、気高く働いている。敬意を払いたい」
昔の俺ならば、弱いから余計な苦労をするのだと切り捨てていただろう。
他人事でなくなってやっと、考えが変わった。それ自体が幼稚に思えて恥ずかしく、口に出すことへ抵抗があったが、小紅には伝えたかった……わけだが……。
「うえーっ、きもちわる」
舌を出して茶化すような態度をとり、小紅はうつむいてしまった。
意図が伝わらなかったかもしれない。日頃の俺の態度をかえりみれば、からかいと思われても仕方がないだろう。
忘れてくれ──そう言おうとしたとき、下を向いたままの彼が独り言のように呟いた。
「ありがと」
そして、「目にゴミが入ったから、先に行ってて」と言われた。
いつまでも顔を上げない様子から、相当痛いのだろう。そっとしておくことにする。
コーヒーで口の中のものを胃に押し込み、ふむと息をこぼす。
相手にされないとわかったからか、随分まわりくどい。それはともかくとして、まだ俺に関わろうとするなんてつくづく変わり者だ。この会社において俺と関わる価値は、もう前ほど無いとわかっているだろうに。
「小紅、おまえは優秀な男だ」
「ちょっと、話を逸らさないでよ」
「最後まで聞け。おまえは他の会社に行けばいくらでも出世できるだろ。この会社に居続けるのはなぜだ?」
「……なんなのさ、急に」
「ただ評価されたいんじゃない。勝ち取りたいんだろ。DomもSubも押しのけて、小紅巴を証明したいんだ」
彼は黙っている。俺の見立てが間違いならすぐに否定しているだろう。
長い沈黙の後、ぽつりと言葉がこぼれた。
「ぼくサマ、学生のときはインターンで引く手あまただったし、どこにいってもその場で内定もらってたんだけど」
「ああ」
「必ずね、人事に言われるんだ。『Subでこんなに優秀な人は初めて。期待しているよ』って」
俺が人事でも同じことを言っただろうし、実際、どこかのタイミングで彼にそう言ったことがある。
言う側から──あのときの俺からすれば褒め言葉だった。言われた小紅は喜んでいるように見えたが、思い返せばあれは愛想笑いの顔だ。
「どこの会社もさ、表向きは平等採用の顔して、実際のところSubの採用には慎重じゃんね」
「……そうだな」
Subは大抵、数年で寿退社してしまうからだ。人事にとってはDomを採用するにこしたことはなく、SubをとるくらいならNeutralをとったほうがいい。
「でも、Subの採用が少ないと世間の目がある。だからマシなSubを探してる。……転職したSubの話したの、覚えてる? 彼さ、いつも言うんだ。『ここでは評価してもらえるけど、みんなと同じ評価軸では扱われてない。結局同じだね』って」
昔の俺ならわからなかった話だろう。
SubはSubとしてしか評価されない。Domは決して「Domのわりに優秀」「Domなのにがんばっている」とは言われないのに。
「プロヴィデーレの人事はね、僕に対して『Subなのに』とは一度も言わなかった。言わなかっただけでそう思っていたかもしれないけど。『あなたの優秀さを発揮してほしい』って──それだけで、ぼくサマには充分だった。皮肉だよね、どこよりも時代遅れな社風なのに、入り口は公平なんだ。ま、入ってみれば案の定だったわけだけど……泣き寝入りなんかしない」
箸を持つ彼の手が震えている。そこにあるのは怒りだ。見つめるのは礼を欠く気がして、彼の横顔に視線を移す。
小紅はいつになく真剣な顔で壁に張り出された社内表彰式の記事を見つめている。かつては俺の名もあったものだ。現在のそれには鷹政を筆頭に見知ったDomの名前が並んでいる。事実優秀な実績を収めている彼らが表彰されることに異論はないが、その中に小紅がいないことへ今の俺なら違和感を感じ取れる。
「こう言うとおまえは嫌がるかもしれないが……わかるぞ」
小紅は少し驚いた顔でこちらを見る。
「おーじサマが……わかるわけないじゃん……」
そうだな。おまえの苦労の十分の一も知らない。
だが、まったく知らないというわけでもなくなった。
「俺は、Domであることが優秀さのすべてだと思っていた。だが……最近は思うところができた。Domにしか見向きしない上司にも、Subだと侮る鷹政にも、俺を認めさせてやるまでは成仏できん。第二性で判断されてたまるか、がんばっているのは俺だ。だから、おまえの気持ちがほんの少しだけわかった気がする」
……そう言いながらも、できるならDomでありたいとSubへの転換を黙っているから、都合の良い話ではあるが。
そんな俺の浅はかさまで見通しているかはわからないまま、小紅はやっと表情をやわらかくした。
「それが、ぼくサマの質問に対するおーじサマの答えなんだね」
「そうだ。俺がSwitchで、なんだろうと、モチベーションには影響しない。むしろ新卒のころくらい燃えている」
「……なら、ぼくサマも安心してがんばれるよ」
「何目線なんだ、それは」
「へへっ」
彼はいつもように元気に笑うと、弁当に箸をつけた。大きな口を開けておかずを頬張る。
俺も自分の食事を続けた。
(……不思議なものだな)
初めてSubになったときは、自分がこんな考え方ができるなど思いもしなかった。
千裕に飼われている間、無為に過ごす虚しさばかり感じていたが、ああやって俺に時間を与えてくれたから今があるのかもしれない。
無駄な時間などどこにもなかった。
昼食を終え、テーブルのゴミをまとめて捨てる。
ソファに座ったままスマホをいじる小紅へ声をかけた。
「……小紅」
「ん?」
どうやらゲームをしているようで、画面から目を離さないまま聴覚だけこちらに向けている。
大した話ではないため、咎めることもなく言葉を続けた。
「おまえはよくやってる」
すると、小紅はギョッとした顔をして操作途中であろうスマホをテーブルに置いた。
「な、なに、急に。真顔でさ。しかもCommandじゃないじゃん」
「仕事の発破ではない。ただ思ったことを言っただけだ」
「え……こわ……」
「おい。失礼だぞ」
「だって理由もなくそんなこと言うの、普段のおーじサマじゃ考えられないよ」
「理由はある。俺がこうなるまで、Domならばしなくていい苦労をしながら働く者がいると知れなかった」
このごろは会社の俺への態度に不満を感じているが、同時に小紅の待遇にも腹立たしく思うことがある。
「しかもおまえは、その上で手を抜かず、駄々もこねず、気高く働いている。敬意を払いたい」
昔の俺ならば、弱いから余計な苦労をするのだと切り捨てていただろう。
他人事でなくなってやっと、考えが変わった。それ自体が幼稚に思えて恥ずかしく、口に出すことへ抵抗があったが、小紅には伝えたかった……わけだが……。
「うえーっ、きもちわる」
舌を出して茶化すような態度をとり、小紅はうつむいてしまった。
意図が伝わらなかったかもしれない。日頃の俺の態度をかえりみれば、からかいと思われても仕方がないだろう。
忘れてくれ──そう言おうとしたとき、下を向いたままの彼が独り言のように呟いた。
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いつまでも顔を上げない様子から、相当痛いのだろう。そっとしておくことにする。
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