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第二章
19:勇気と強さをくれたのは
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※若干マイナス思考なメリッサが出てきます。
カインが森で遭遇した人物。ジュリアと呼ばれた女性に、メリッサは覚えがあった。
それは数か月前。
ダナン国から出航した船の中で、自室として与えられた個室に籠っていた時のこと。
メリッサは自分の容姿を気にするあまり、家を出てから、ずっと帽子を目深に被り、髪と瞳を目立たないよう隠してきた。
もちろん、長い髪は束ねて無理矢理帽子の中に隠しての移動だ。
多少帽子の形がいびつになった所で、家族から忌み嫌われている髪を晒すよりマシと、彼女は終始うつむいたまま。
他人からの視線を気にするあまり、無意識に張りつめていた緊張の糸が切れたのは、部屋に入った後だった。
食事は毎食、船内の食堂に集合して食べると聞いたが、後で船員に頼み込み部屋に持ってきてもらおう。
なんてことを考えながら、ずっと被っていた帽子を取り、まとめた髪を下す。
「ふう……」
小さく息を吐き出せば、身体の中に溜め込んだ緊張が吐息と一緒に零れ落ちた。
出来るだけ人と会わないようにしなければいけない。
他の乗船者たちの気分を悪くしないように、行動しなければいけない。
心の奥から芽吹いた負の感情は、どんどん渦を巻きメリッサの全身を巡っていく。
そのまま姿の見えない鎖に変わった感情は、強迫観念となってメリッサの心、脳、身体、彼女のすべてを縛り付けていった。
(大丈夫、大丈夫……お部屋から出なければ大丈夫。お屋敷にいた時と同じよ。……そうだ。夜中、皆さんが寝静まった後に湯浴みをさせてもらえるように頼まなきゃ)
ドクドクと、平常時より速くリズムを刻む心臓の音に、手が無意識に胸元へのびた。
いつの間にか止めていた息を吸い、メリッサは何度も落ち着けと自分へ言い聞かせる。
――ガチャッ。
しばらくの間、酸素の補給と心を落ち着けるため、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
そんな最中、不意に通路へ通じる唯一のドアが開く音が聞こえた。
「えっ!?」
突然の音に驚いて、メリッサは無意識に伏せていた顔をあげドアの方を振り向く。
すると、通路側のドアノブを掴み、中途半端に開いたドアの向こうで唖然とたたずむ女性と目が合う。
装飾品をつけず、地味な色味のワンピースを着たショートカットの彼女。
女性にしては珍しい短めなブラウンの髪と、こちらを見つめる茶色い瞳。その二つがまずメリッサの目に留まった。
「あっ、悪い、部屋間違った」
女性は一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべたものの、すぐに自分のミスに気づいたらしく、ペコリと頭を下げた。
「……って、何やってんの? アンタ」
「……っ」
しかし、その謝罪はメリッサの耳に届かなかった。
謝罪後、顔を上げた女性が目にしたのは、何故かベッド下に隠れようと頭を押し込むメリッサの姿。
自分の姿を隠さなければと焦るあまり、奇行に走った無知な令嬢の姿を前に、ショートヘアーの女性――ジュリアの戸惑いは大きくなったに違いない。
メリッサの懇願により解放されたジュリアは、どういう訳か、彼女を追って来たイザークと共に、一家団欒の時間を過ごしていたダラットリ家の輪の中に入った。
その発端は、数か月ぶりに再会した知人を、メリッサが歓迎したからである。
「先程は手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。この辺は、あまり人の来ない場所と認識していたため、メリッサ様やガヴェイン様を狙う者が身を潜めているのかと、つい……」
「メリッサを狙うなんて、そんなことをするわけないだろっ! アタシたちはただ、食いものを探しに来て、森の中うろついてただけ。お願いだから、頭あげてくれよ!」
平謝りするカインの様子にジュリアは狼狽え、何度も頭を上げてくれと頼みこんでいた。
女性なのだからと、ガヴェイン用に造ってあった椅子に強制的に座らされたため、自分より姿勢を低くするカインの姿を見て困惑している様だ。
そんな二人のやりとりを見つめるメリッサは、自然と目を細め、クスクスと口元に手を当て笑いをこぼす。
「先程、メリッサも言っていたが……二人は、アザットへ来る船で一緒だった、ということでいいのか?」
すると、メリッサの隣に座るガヴェインが、妻とその隣に座る女性を交互に見つめ、首を傾げた。
「その通りです。船に乗った初日に、アタシが自分にあてがわれた部屋と、隣のメリッサの部屋を間違えて開けちゃって。そうしたら、メリッサのやつ、いきなりベッドの下に――」
「ああっ! ジュリア、お願いします。そのお話はしないでくださいっ!」
次の瞬間、ガヴェインの質問に答えるジュリアの口から、予期せぬ暴露話が飛び出した。
酷く慌てたメリッサは、アタフタと忙しなく両腕を動かしながら、咄嗟にジュリアの口を塞ごうと口元へ手を伸ばす。
だが、彼女の細腕はすぐにジュリアに捕らえられてしまう。
作戦の失敗にメリッサは落胆するものの、その様子を見たジュリアの口角は上がり、ニッといたずらっ子のような笑みが彼女の口元に浮かぶ。
「もう、隠してないんだな」
その後しばらく、ジュリアはケラケラと笑い声をあげ続けた。
しかし、ほんの一瞬、真顔になった彼女の表情に驚いて瞬きをすると、次に目を開いた時、目の前にいたのは慈愛に満ちた表情を浮かべ目を細める知人だった。
「……へっ?」
「髪と目だよ。船の中じゃ、必死に隠そうとしてただろう? だけど、今はもう隠してない。その勇気と強さをメリッサにくれたのは……そっちの旦那様、なんだろ?」
彼女の口から、突然自分へ向けられた言葉。その意味がわからずメリッサは首を傾げる。
すると、メリッサの手首を握ったままのジュリアは、反対方向に小首を傾げ、目線をメリッサの背後にいるガヴェインへ向けた。
ジュリアの言葉を聞いて思い出すのは、船で移動を始めた初日。二人が出会った日の夜のことだった。
――トントン、トントン。
「ど、どちら様、でしょうか?」
もうそろそろ夕食の時間が近いのかもしれない。
なんてことを考えながら、メリッサが自室で大人しくしていた時。
彼女の耳に、ドアをノックする音が聞こえた。
突然の訪問者に驚きつつ、何か用件を伝えに来た船員かもしれないと思い、メリッサはドアへ近寄り声をあげた。
「あと少しで夕食の時間だってよ。食堂に行ったら、アンタの姿が見えないから呼びに来たんだ」
しかし、こちらの予想に反して聞こえてきたのは女性の声だった。
しかも、聞き覚えのあるそれと、彼女が紡ぐ言葉に、メリッサは震える手でドアノブを掴み、扉を開ける。
扉用に装飾が施された一枚板。
それを目の前から退けてみると、メリッサの瞳に見えたのは、「ほら、さっさと行かないと食いっぱぐれるぞ!」とこちらへ手を差し出す女性の笑顔だった。
メリッサはこの日初めて自分を嫌悪しない人物と出会った。
そして航海中、夏に咲くエネルギー溢れる花のようなジュリアの手で、毎日のようにひきこもる部屋から強引に連れ出されることになる。
カインが森で遭遇した人物。ジュリアと呼ばれた女性に、メリッサは覚えがあった。
それは数か月前。
ダナン国から出航した船の中で、自室として与えられた個室に籠っていた時のこと。
メリッサは自分の容姿を気にするあまり、家を出てから、ずっと帽子を目深に被り、髪と瞳を目立たないよう隠してきた。
もちろん、長い髪は束ねて無理矢理帽子の中に隠しての移動だ。
多少帽子の形がいびつになった所で、家族から忌み嫌われている髪を晒すよりマシと、彼女は終始うつむいたまま。
他人からの視線を気にするあまり、無意識に張りつめていた緊張の糸が切れたのは、部屋に入った後だった。
食事は毎食、船内の食堂に集合して食べると聞いたが、後で船員に頼み込み部屋に持ってきてもらおう。
なんてことを考えながら、ずっと被っていた帽子を取り、まとめた髪を下す。
「ふう……」
小さく息を吐き出せば、身体の中に溜め込んだ緊張が吐息と一緒に零れ落ちた。
出来るだけ人と会わないようにしなければいけない。
他の乗船者たちの気分を悪くしないように、行動しなければいけない。
心の奥から芽吹いた負の感情は、どんどん渦を巻きメリッサの全身を巡っていく。
そのまま姿の見えない鎖に変わった感情は、強迫観念となってメリッサの心、脳、身体、彼女のすべてを縛り付けていった。
(大丈夫、大丈夫……お部屋から出なければ大丈夫。お屋敷にいた時と同じよ。……そうだ。夜中、皆さんが寝静まった後に湯浴みをさせてもらえるように頼まなきゃ)
ドクドクと、平常時より速くリズムを刻む心臓の音に、手が無意識に胸元へのびた。
いつの間にか止めていた息を吸い、メリッサは何度も落ち着けと自分へ言い聞かせる。
――ガチャッ。
しばらくの間、酸素の補給と心を落ち着けるため、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
そんな最中、不意に通路へ通じる唯一のドアが開く音が聞こえた。
「えっ!?」
突然の音に驚いて、メリッサは無意識に伏せていた顔をあげドアの方を振り向く。
すると、通路側のドアノブを掴み、中途半端に開いたドアの向こうで唖然とたたずむ女性と目が合う。
装飾品をつけず、地味な色味のワンピースを着たショートカットの彼女。
女性にしては珍しい短めなブラウンの髪と、こちらを見つめる茶色い瞳。その二つがまずメリッサの目に留まった。
「あっ、悪い、部屋間違った」
女性は一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべたものの、すぐに自分のミスに気づいたらしく、ペコリと頭を下げた。
「……って、何やってんの? アンタ」
「……っ」
しかし、その謝罪はメリッサの耳に届かなかった。
謝罪後、顔を上げた女性が目にしたのは、何故かベッド下に隠れようと頭を押し込むメリッサの姿。
自分の姿を隠さなければと焦るあまり、奇行に走った無知な令嬢の姿を前に、ショートヘアーの女性――ジュリアの戸惑いは大きくなったに違いない。
メリッサの懇願により解放されたジュリアは、どういう訳か、彼女を追って来たイザークと共に、一家団欒の時間を過ごしていたダラットリ家の輪の中に入った。
その発端は、数か月ぶりに再会した知人を、メリッサが歓迎したからである。
「先程は手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。この辺は、あまり人の来ない場所と認識していたため、メリッサ様やガヴェイン様を狙う者が身を潜めているのかと、つい……」
「メリッサを狙うなんて、そんなことをするわけないだろっ! アタシたちはただ、食いものを探しに来て、森の中うろついてただけ。お願いだから、頭あげてくれよ!」
平謝りするカインの様子にジュリアは狼狽え、何度も頭を上げてくれと頼みこんでいた。
女性なのだからと、ガヴェイン用に造ってあった椅子に強制的に座らされたため、自分より姿勢を低くするカインの姿を見て困惑している様だ。
そんな二人のやりとりを見つめるメリッサは、自然と目を細め、クスクスと口元に手を当て笑いをこぼす。
「先程、メリッサも言っていたが……二人は、アザットへ来る船で一緒だった、ということでいいのか?」
すると、メリッサの隣に座るガヴェインが、妻とその隣に座る女性を交互に見つめ、首を傾げた。
「その通りです。船に乗った初日に、アタシが自分にあてがわれた部屋と、隣のメリッサの部屋を間違えて開けちゃって。そうしたら、メリッサのやつ、いきなりベッドの下に――」
「ああっ! ジュリア、お願いします。そのお話はしないでくださいっ!」
次の瞬間、ガヴェインの質問に答えるジュリアの口から、予期せぬ暴露話が飛び出した。
酷く慌てたメリッサは、アタフタと忙しなく両腕を動かしながら、咄嗟にジュリアの口を塞ごうと口元へ手を伸ばす。
だが、彼女の細腕はすぐにジュリアに捕らえられてしまう。
作戦の失敗にメリッサは落胆するものの、その様子を見たジュリアの口角は上がり、ニッといたずらっ子のような笑みが彼女の口元に浮かぶ。
「もう、隠してないんだな」
その後しばらく、ジュリアはケラケラと笑い声をあげ続けた。
しかし、ほんの一瞬、真顔になった彼女の表情に驚いて瞬きをすると、次に目を開いた時、目の前にいたのは慈愛に満ちた表情を浮かべ目を細める知人だった。
「……へっ?」
「髪と目だよ。船の中じゃ、必死に隠そうとしてただろう? だけど、今はもう隠してない。その勇気と強さをメリッサにくれたのは……そっちの旦那様、なんだろ?」
彼女の口から、突然自分へ向けられた言葉。その意味がわからずメリッサは首を傾げる。
すると、メリッサの手首を握ったままのジュリアは、反対方向に小首を傾げ、目線をメリッサの背後にいるガヴェインへ向けた。
ジュリアの言葉を聞いて思い出すのは、船で移動を始めた初日。二人が出会った日の夜のことだった。
――トントン、トントン。
「ど、どちら様、でしょうか?」
もうそろそろ夕食の時間が近いのかもしれない。
なんてことを考えながら、メリッサが自室で大人しくしていた時。
彼女の耳に、ドアをノックする音が聞こえた。
突然の訪問者に驚きつつ、何か用件を伝えに来た船員かもしれないと思い、メリッサはドアへ近寄り声をあげた。
「あと少しで夕食の時間だってよ。食堂に行ったら、アンタの姿が見えないから呼びに来たんだ」
しかし、こちらの予想に反して聞こえてきたのは女性の声だった。
しかも、聞き覚えのあるそれと、彼女が紡ぐ言葉に、メリッサは震える手でドアノブを掴み、扉を開ける。
扉用に装飾が施された一枚板。
それを目の前から退けてみると、メリッサの瞳に見えたのは、「ほら、さっさと行かないと食いっぱぐれるぞ!」とこちらへ手を差し出す女性の笑顔だった。
メリッサはこの日初めて自分を嫌悪しない人物と出会った。
そして航海中、夏に咲くエネルギー溢れる花のようなジュリアの手で、毎日のようにひきこもる部屋から強引に連れ出されることになる。
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