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侍女

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 朝方近くまでジスランに執拗に抱かれ、「愛している」と囁かれた。

 それまでジスランに愛されたい、キスをされたいと思っても与えられなかったものを、コレットはたっぷりと享受することができたのだ。

 これ以上の幸せなどない。

 気絶するように寝て、太陽が中天に上る頃になって目が覚めると、エマが優しく風呂に入れてくれた。
 変わらずコレットの世話をしながら、エマは胸の内に秘めていた言葉を伝えてくれる。

「ブリュイエール領にご一緒できず、申し訳ございませんでした」
「気にしないで。エマはここでのお仕事があったのでしょう?」

 ジスランに愛された体を見られるのは恥ずかしいが、エマ以外の者ではさらに抵抗がある。

 エマは二十二歳と歳が近いこともあり、コレットのよき姉のような存在でもあった。
 そんな彼女に殊勝に謝られると、つい笑ってしまう。
 エマに対して怒るなどあり得ないのに、「どうしてそんなことを言うの?」とおかしくなってしまうのだ。

「……お嬢様は本当にこの城で目覚められてから、明るくなりましたね」

 ふとエマがコレットのことを「お嬢様」と呼び、若干の違和感を覚える。
 不思議に思ってバスタブから振り向くと、エマは涙を流し微笑んでいた。

「ど、どうしたの? エマ。どこか痛いの?」

 焦って今度こそ全身を振り向かせ、コレットは濡れた手でエマの両手を握りしめた。

「いいえ……。お嬢様、旦那様のお許しもありましたし、今こそ真実を話させて頂きます」

 濡れた目に決意を浮かべたエマは、コレットにまた前を向かせ女主人が湯冷めをしないようお湯を足す。

「私は、もとはブリュイエール伯爵の元にいた侍女でした。私の実家はエモニエ男爵家と言い、二番目の兄は……今は遠い場所にいます」
「あ……」

 忘れたくても忘れられない名前を耳にし、コレットは血の気を引かせる。また振り向いてエマに謝罪しようとするが、その前に「いいのです!」と強い声がした。

「兄のことでお嬢様にどうこう言いたい訳ではないのです。むしろその逆です」
「……どういうこと? 私を憎く思っているのではないの?」

 憎しみは、カロリーヌからたっぷりと汚泥に似たものをぶつけられた。今さら自分への恨みが増えたところで、あれ以上衝撃的なものはないだろう。
 だからと言って、「申し訳ない」という気持ちにならない訳ではない。

「私は行儀見習いとしてブリュイエール伯爵家でお嬢様の侍女をしていました。そこで私は信じられないことを知って……。どうしてもお嬢様を救って差し上げたいと思ったのです。一番上の兄にはもう決まった女性がいたので、私は交流が広く人付き合いのいい二番目の兄に、舞踏会でさりげなくお嬢様に話しかけてくれないかと……頼んだのです」
「……それで……、シプリアン様は……」

 だが彼が話しかけてくれても、コレットが心を動かすことはなかった。
 逆に男性と話している現場をデジレに見つかり、手ひどい折檻を受けてしまう。そう言えばあまり記憶がハッキリしていないけれど、あのあと侍女の誰かが部屋の前で泣いていた気がする。

「私は長い間、お嬢様に負い目を感じていました。兄のことはいいのです。元より事業で外国に行きたいと言っていた人ですし、むしろ今はのびのびとした便りが実家に送られてきています」

 それを聞いて、僅かばかり救われた気持ちになった。
 自分などに声を掛けて破滅させられた人とその家族に、恨まれて当然という気持ちになっていたのだ。

「ですから、私は先日ブリュイエール領に同行できませんでした。〝事件〟を知っている私が生きていると知れば、元の旦那様や奥様にどういう反応をされるか怖かったのです。それを申し上げましたら、現在の旦那様も『分かった』と仰って……」
「そうだったのね。エマが行きづらいと思った気持ちもよく分かったわ。もう気にしないで」

 コレットが理解を示すと、エマが安堵して少し微笑する気配がある。

「私にとってもジスラン様……旦那様の登場は天からの使いかと思うほど、喜ばしいことでした。あの方が現れたことで、ブリュイエール家は正しい方向に向かうと思っていたのです。私もお嬢様と一緒にこのシャブラン城に向かうことになっていて、内心安堵していました」
「私は……、あの舞踏会のあと、ずっとジスラン様に保護されていたのではないの?」

 いまは様々なことが解決したと思っていても、コレットの記憶にいまだ穴が空いているのは変わりない。すべてをまるっと思い出した訳ではないのだ。

「身の回りの物を引き取ったり、ご両親に最後のご挨拶を……ということで、一度だけブリュイエール家に戻られたことがありました」

 そこでエマの声がぐ……と低くなり、コレットの髪を梳いていた手が止まる。

「旦那様はその日丁度、先日ここを訪れられたクリステル様のお父上とお話がありました。クリステル様のお父上オーブリー伯爵は、前々から六大伯爵の当主の一員として、デジレ様と懇意にされていました。オーブリー伯爵からデジレ様の情報を何か教えてもらえないかと、旦那様もあちこち奔走されていたのです」
「あぁ……」

 コレットは納得の溜め息をつく。
 確かにこの城で気がついて以来、ジスランは側にいてくれたが侯爵としての仕事にも追われていた。同時に自分を守るため、ブリュイエール家周辺のことも調べようとしてくれていたのだ。

「そこの隙を……突かれました。私は先にシャブラン城でお嬢様の住居を整えていて、お供をすることができませんでした。あの時も私は役立たずだったのです。お嬢様を乗せた馬車の一団は、カロリーヌ様がやとった刺客に襲われ……壊滅しました。最後はカロリーヌ様がお嬢様に馬乗りになり……、短剣を振りかざしたそうです。これは、一人だけ命からがら生き延びた者の証言です」

 エマの声が涙に揺れ、背後から静かに嗚咽する声が聞こえる。

「私は二度も……お嬢様を救い損ねました。ですが、旦那様はそんなお嬢様を救ってくださったのです。ずっと決まった女性がいなかった旦那様がお嬢様を奥方に……と連れて来られた時は、シャブラン城の皆が歓迎し喜びました。ですからお嬢様の記憶がない間も、城の者たちは旦那様に協力して無理に思い出させることはありませんでした」
「……どうやってジスラン様は、私を救ってくださったのかしら?」

 その疑問は本当に最初から抱いていたものだ。

 あの暗い森の中で、確かに自分は何者かに何度も刺されて血を流していた。忍び寄る死の気配も覚えているし、あのまま自分が死ぬのだと疑わなかった。

 それがどうして、いまこうしてピンピンとしているのだろう。
 だがコレットの問いに、気持ちを持ち直したエマは小さく微笑みかけた。

「それは、旦那様ご自身からお聞きになるか、お嬢様がお一人で思い出してくださいませ。私も真実を知った時は驚きました。ですがそれは、旦那様の確固たる愛ゆえだと信じて疑いません。お嬢様と出会った舞踏会の夜から、旦那様はお嬢様を守ると心に誓っていらしたのですから」
「……分かったわ」

 大事なことを、第三者から聞くというのもきっといけないのだろう。

 極端な例えだが、ジスランが本当は自分を愛していたということをエマから伝え聞いたとしても、真実と思えなかっただろう。

 自分が本当に求めることこそ、たとえ痛い思いをしてでも自らの手で探り、掴み取った方がいい。コレットはそう思った。



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