伝統民芸彼女

臣桜

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手入れ3

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「あはは! ひい爺ちゃん若いね!」
「なんだ、よせよ。俺は若者文化も知ってたいだけだ。気持ちは絹さん一筋だよ」
 緩く笑うひい爺ちゃんの顔を見て、俺は少し安心していた。
 ひい婆ちゃんが死んで意気消沈していたけど、このままひい爺ちゃんまで生きる元気をなくしてしまったら困ると思ってたんだ。
「拓也」
 と、ギンが呼び掛けてきた。
「そこから先は拭いという作業になる。拭いから先は拓也がやってくれんか?」
 不思議に思いながらもそれをひい爺ちゃんに伝えると、「気を付けろよ」と言って俺にギンの本体を渡してくる。
「きっとその九十九神の女の子は、拓也に手入れをして欲しいんだな」
 納得した様な表情を見せて、ひい爺ちゃんは俺に刀の刃先を上に向けるよう言った。それからひい爺ちゃんに言われた通り、俺は拭い紙を持って刃を親指と人差し指で摘まむようにして、そっと上へ、上へと拭ってゆく。
「おお……」
 刀身は錆びてはいなかったけど、所々変に黒く変色していた。それが俺が軽く拭っただけで、黒い染みはかなり薄くなった。
「すげぇなぁ、拓也。これが絹さんの力の一端なんだな」
 感心しているひい爺ちゃんと一緒に、いつの間にかすぐ近くまで寄ってきた二人もニコニコとしている。
「拓也、気持ちいいぞ」
 拭い終わって顔を上げると、ギンを侵していた黒い染みはかなり薄まっていて、紫銀の隻眼が感謝のこもった視線でこちらを見ている。
「ギン、ありがとうな。あと、上手に使えなくてごめん」
 ハヤテの死の痛みをまだ胸に宿しつつ、俺は自分の無力さと向き合いつつあった。
 それに呼応したのか、ギンの全身と彼女の本体がぼんやりと白銀に光った気がする。
「ほれ、拓也。次はお前の好きなポンポンだ。軽くまんべんなく粉を掛ける気持ちでやってみろ」
「うん」
 チラッとギンを見ると、嬉しそうな顔をしている。それを見て安心してから、俺は丁寧に打粉で刀身に粉を掛けてゆく。
「ひい爺ちゃん、この刀の手入れって俺がやっても年齢的に大丈夫なの?」
「ん? 美術品として登録されてる刀なら、年齢は関係ねぇんじゃないのか? 俺は詳しい事は分からん。だが、この刀を家の外に持ち出すんじゃないなら、家族の誰も文句言わねぇと思うぞ」
「大丈夫、この刀の本体を外に持ち歩く事はないから。ケガレ……ひい婆ちゃんも戦ってた、黒いケガレっていうのとかとは、俺が気持ちを集中させて人の目には見えない刀を作るんだ。だから、この刀はここに置いたまま」
「そうか」
 ひい爺ちゃんがこんなにも呑み込みがいいのは、やっぱりひい婆ちゃんと七十年以上の付き合いがあるからだろうな。槐の話では、ひい婆ちゃんはひい爺ちゃんと出会う前から、この力を持ってたみたいだし。
「拓也、その辺でいい。そしたらもっかい拭ってやれ」
「分かった」
 指を切らないように気を付けながら、もう一回さっきの紙とは別の紙でゆっくりと刀身を拭ってゆくと、ギンの本体は輝くような美しさを取り戻した。
「拓也、そうしたら刀を一回鞘に納めろ」
「え? 柄とか付けなくていいの?」
「そのまんまだ」
 言われた通り俺は恐る恐る刀を鞘に納め、教えられる通り油塗紙を畳んで油を付け、もう一度鞘から刀を出してから、拭った時と同じように刀身に油を塗ってゆく。
「……拓也、爺ちゃんさっきも言ったが、絹さんの事が好きだったからって、無理にその跡を継ごうとしなくていいんだからな」
「うん」
 汚れが酷かったから、ひい爺ちゃんに二、三回は油を塗るようにと言われ、俺は塗り過ぎないように気を付けながら作業を行ってゆく。
「……まぁ、でも。拓也ぐらいの歳だと新しいもんには興味を持って、何でも体験してみたいと思うのは分かるつもりだ。でも、拓也が九十九神と話せて特別な力を貸してもらえるとしても、それが関わる悩みを解決するのは拓也自身だ。それだけは覚悟しとけ」
「うん、分かってる」
 油を塗っているうちに刀身は元の美しい白銀を取り戻し、ギンを見れば彼女もまた元の姿を取り戻していた。
 ひい爺ちゃんに言われて茎と呼ばれる部分にも軽く油を塗り、そこからまた柄などを元の状態に戻してゆく。初めてだから手こずったけど、ひい爺ちゃんが優しく教えてくれた。
「綺麗になったなぁ……。ひい爺ちゃん、ありがとう」
「ああ、爺ちゃんも拓也が絹さんが大切にしてたもんを大切にしてくれて、何だか嬉しいんだ」
 そう言ってひい爺ちゃんは道具を片付け始め、俺はギンの本体をちゃんと握ってみた。
「いいのう。男が刀を構える姿というのは」
「いややわぁ。妬けてまう」
 ぎらりと光る刀身に吸い込まれるように見惚れていると、それまで黙っていた二人からそんな声が漏れて、俺は焦って刀を鞘に納める。
 わ、これって時代劇の人とか簡単にやってるけど、ある程度長さのある物を納めるって難しいんだな。
 そう思って剥き出しになっていた刃がしまわれ、気が抜けて周囲にも目が向くようになった時だった。
「わっ!」
 ふと、襖から槐の顔だけが見えていて、俺は飛び上がらんばかりに驚いて声を上げる。
 生首か!
 その声に驚いたひい爺ちゃんも、しまおうとした道具を落としてしまう始末だった。
「どうした、拓也」
「い、いや……。槐、入るなら入れよ。生首かと思った」
 まだ心臓をドキドキさせたままそう言うと、槐は襖をスッと通り抜けて和室に入ってくる。
 そして俺の目の前に立ち、ギンの本体をしげしげと見るのだった。
「ふぅん……。拓也にしてはやるじゃねぇか」
 これは……、褒めてるつもりなんだろうか。
「拓也、また見えねぇ女の子がいるのか?」
 カタン、と文机の引き出しを閉じてひい爺ちゃんが言い、俺は曖昧に笑う。
「うん。やっぱり変な風に見えるかな?」
「……まぁ、最近の絹さんだったら歳のせいにもできたけどな、拓也の歳で独り言は危ねぇ奴に見られるかもな」
 そう言ってひい爺ちゃんは「よっこらしょ」と立ち上がり、畳の上を歩いて襖の引き手に手を掛け、ほんの少しだけ俺を振り返った。
「拓也はいいなぁ。俺も本当は絹さんが見ていた世界を、ちょっとでも覗いてみたかった」
 曾孫の俺に「やめておけ」と保護者の意見を言いつつ、ひい爺ちゃんもやはり不思議の世界への憧れは持っていたようだった。
 生身の人間は俺一人になった和室で、俺はギンの本体をそっと刀掛けに戻す。
「拓也、ありがとのう」
「こちらこそ、……色々してくれたのに不甲斐なくてごめん」
 自分の責任で彼女たちを大変な目に遭わせてしまった後始末が取れた今、俺は再びハヤテの事を思って心を重たくさせていた。
 あの北の部屋で一人で寝かされて、寂しくないだろうか。
「……俺、ちょっとハヤテ見てくる」
 立ち上がって和室を出ると、三人もそのまま足音を立てずについてきた。
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