伝統民芸彼女

臣桜

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魂の行く先

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 廊下を曲がって奥、大きな家の人気のない方へ来ると、夏だというのに空気がヒヤリとしている気がする。
 家の北側は窓があっても日が入らない。だからこっちはいつも暗くてジメッとした印象があり、小さい頃はこっち側に一人で来るのが怖かった。
 家族はほとんど畑にいて、ひい爺ちゃんは居間で七海は外出してる。
 今まで外に繋がれていたとは言え、やっと入れた家の中で独りぼっちにされて、ハヤテはどんな気持ちなんだろう。
 北の部屋の前に立ち、さっきの和室とさして変わらない襖を前にして、俺は祈るような気持ちで目を閉じた。ひとつ呼吸を整えて、静かに襖を開ける。
「……ハヤテ」
 薄暗くてひんやりとした空気の部屋には、家で使わない家具が置かれたり、果物が置かれていたりする。
 ハヤテはその余ったスペースに寝かされ、体の上にバスタオルを掛けられて、その前に水の入ったコップと犬用のおやつが置いてあった。
「ハヤテ」
 この犬の形をしたバスタオルの塊は何だろう、と、心のどこかでハヤテの死を受け入れられない自分が思う。
「ハヤテ」
 バスタオルの上からそっと腹の膨らみに触れても、それは上下していなかった。
「ハヤテ」
 そっとバスタオルをめくると――、まるで寝ているようなハヤテが現れた。
「……っ」
 その顔を見た途端に目頭が熱くなり、俺は目を瞬かせて涙が零れ落ちそうになるのを我慢する。
「ごめんな、ハヤテ」
 優しく頭を撫でた毛の感触は同じだったけれど、その下の皮膚はもう温もりを失っていて、博物館でこっそり触ったヒグマの剥製に似た印象を受けた。
「ハヤテ」
 ハヤテの顔に顔を押し当ててみても、冷たい感触しかない。
 もう撫でてもハヤテは喜ばないし、尻尾も振らない。暑い夏に冷やしたキュウリをあげても、嬉しそうに食べないんだ。
「ごめんな」
 クロに腎臓が悪いと指摘されていたとしても、ハヤテを死なせてしまったのは俺だという自覚がある。
 あの真っ黒で恐怖の塊のような死神がハヤテの側に立っていて、倒すべき相手が分かっていたというのに俺は死神を倒せなかった。
 ケガレたちはきっとハイエナみたいな雑魚で、ハヤテを実際に死に至らしめるモノじゃない。
 けれど、あれが『いいもの』だとは思えなかったし、あれが死んでしまったハヤテに群がろうとするのを、俺はクロに任せるしかできなかった。
 結局、飼い主として俺はハヤテを守れなかったんだ。
「槐、ひい婆ちゃんは死神を倒せたのか?」
 側に座っている槐に尋ねると、彼女は静かに答える。
「あれは倒すもんじゃねぇ。追い払うもんだ。どんな存在であれ、神は神。人が殺せるもんじゃねぇべ」
「そっか」
 さっきから、溜息ばっかりついてる気がする。
「拓也、気に病むな。命の糸はいずれどこかで途切れる。じゃが、その糸を切るのはあやつであり、お主が切った訳ではない」
「それはそうだけど……、助けられなかった、救えなかったっていうのが結構キテるんだ」
 家の外で蝉がうるさく鳴いているのは聞こえているが、この部屋はひんやりとしている。
「拓也、人の癖に誰かを救ってあげるとか、そういう風に思うのは驕りだ」
 ひい爺ちゃん、爺ちゃんと同じ事を槐に言われ、俺は何も言葉を返せず黙るしかない。
「……まぁ、傷心の拓也はんに言葉被さんでもええやないの。拓也はん、元気出して」
 藤紫が立ち上がり、その途端にフワッと藤の花のいい香りが北の部屋を満たし、天井から雨のように藤の花が垂れ下がって、風になびく幻を見た気がした。
 失意で暗くなった俺の目が藤紫を追うと、目の前に立った藤紫は俺に向かってにっこりと微笑み、身を屈めてハヤテの事もひと撫でする。
 それから、彼女は絹の糸のように艶やかな声で歌いながら、ゆっくりと舞い始めた。
 指の先まで神経を行き渡らせた手が、芸術品のような美しさで空気を撫でてゆく。
 腰を落として艶やかな仕草で舞う藤紫の着物の裾、水木結びって言うらしい後ろに長く垂れた帯が空気に触れる度、そこから藤紫の優しい気持ちが伝わってくるようで、彼女の美しい舞いを見ながら俺はいつの間にか涙を流していた。
 ここはハヤテが寝かされているひんやりとした北の部屋だというのに、まるで暖かな日差しを花房の間から漏らす藤のカーテンに包まれて、その酔うほどに強い香りに包まれている気がした。
 あの透明なハヤテは、この美しい藤の幻を見られているんだろうか?
 この藤の香り、美しい舞が、歌声が届いているんだろうか?
 ――分からない。
 分からないけれど、どうかハヤテもひい婆ちゃんも、同じ場所で穏やかでいられますように。
 俺とハヤテのために舞ってくれる藤紫の心が嬉しくて、彼女の舞いが終わった後、俺は鼻を啜って腕で涙を懸命に拭うしかできない。
「相変わらず見事な舞じゃのう」
「三毛もいたら良かったのにね」
「ミケ?」
「絹が弾いていた三味線の九十九神よ。藤紫の舞には、いつも三毛が音を付けていたの」
 あれかな? 三味線の皮には三毛猫の皮が使われてたっていう……。だとしたら猫っぽい外見をしてるんだろうか?
 涙を拭いながらぼんやりとそんな事を思っていると、目の前に藤紫が座ってやっぱりにっこりと微笑む。
「どぉどした?」
「うん、凄く綺麗だったよ。どうもありがとう、藤紫」
 本当に、三人とも性格は違えどいい人(?)たちばかりだけど、藤紫は本当に優しいな。
「拓也はんはわてのご主人様やもん。どないな命令されても、わては従順に聞くだけや」
 その言葉は男にべた惚れした大人の女性のような言葉で、まだ高校生の俺には強い言葉だ。
 思わず顔が赤くなり、胸がドキドキとしてしまう。
 男にとって「ご主人様」って言葉は何だか胸に悪い。そのまま勘違いしてしまいそうだ。
 ただでさえこの三人の中で藤紫は一番女らしいのに、何ていうか……罪な人だなぁ。
「拓也、藤紫の色香に負けておるな」
「当たり前だ。藤紫は存在が色気みたいなもんだし」
 確かに、ニポポと日本刀から見れば、本体だけで比べても藤紫の色気は圧倒的だ。
 それに槐とギンは嫉妬したりするのかな? とちょっと野暮な事を考えつつ、俺はハヤテの死に対する気持ちが少し和らいでいたのに気付いた。
 まだ部屋は藤の香りに満たされていて、藤紫の艶やかな舞が作り出した優しい空気が残っている。
「ハヤテの魂は……、クロがちゃんと守ってくれたのかな」
「そうじゃの。あやつは愛想は悪いが仕事はちゃんとする奴じゃ」
「クロは強いの?」
 俺がそう尋ねると、ギンは「うぅん」とうなる。
「果たして強いという事が何を尺度とするかによるか、じゃがな。だがあやつは穢れ相手なら鬼神のような戦いぶりを見せるぞ」
「そうか……。ハヤテの魂はどこへ行ったのか分かる?」
 俺の問いに三人は顔を見合わせる。
「何て言うたら、ええんやろね?」
「穢れが人の情念の暗黒面だとしたら、純粋な魂は四十九日を掛けて清められてから、行くべき場所へ行く。槐たちはそう思ってる」
「その四十九日の間、魂はどこで何をしてるんだ?」
 俺は死後の世界というものに興味津々だ。
 別に霊とかに興味があるとかじゃないけど、今まで自分が知らなかった世界を知る事ができるなら、やっぱりそれは知的好奇心と言う奴に負けてしまう。
「綺麗な魂は、現実とはちゃう世界を歩いて四十九日の禊をしてはる。拓也はんにも『見える』ようになれば、そこここを歩いてる魂が分かるのかもしれへんね」
「そこらへん……」
 多少ゾッとしたのは、正直な所だ。
 いわゆる『幽霊』というものが、死んだ後に霊界とかそういう特別な場所に行くんじゃないのか? 俺たちが普段生活している世界と変わらない場所を、彷徨って歩いている――?
 そう思うと背筋がゾワゾワとする気がする。
 もしかしたらひい婆ちゃんだっているかもしれなく、相手がひい婆ちゃんなら幽霊になってても会いたいって思う。でも見ず知らずの人の幽霊がそこら辺を歩いているのを思うと、やっぱり不気味に感じてしまう。
「成仏しかけている魂は清らかな匂いがしての、それを穢れが狙う事もある。絹のお役目の一端には、穢れから魂を守るという事もあるし、以前説明したように、穢れが人の心に巣食って悪さをしようとするのを、阻止するという事もある」
 それは……、こういう世界が見えない人にはやらなくて当たり前の事だが、俺にとっては他人事ではない。
 槐が言うように、「誰かを救う」という気持ちは傲慢かもしれない。でも目の前で見過ごせないものがある時は、できるだけ何かをしたいと思うぐらいには、俺は常識人のつもりなんだ。
 その境界線を見極めるのは――、難しいなぁ。
「綺麗な魂を狙うっていうのは、憎たらしいのかな」
 小学生の時に学校の図書館で『蜘蛛の糸』の話を読んだ事がある。一人だけ助かろうとした主人公が蜘蛛の糸を登っていくと、地獄の亡者たちが後から後から自分も助かりたいと追ってきて――最後には全員地獄に戻ってしまう。確かそんな話だ。
「穢れは自らも救われたいと思っておる。だからわしらのような存在や、綺麗な魂のいい匂いを嗅ぐと、自分たちも連れて行って一緒に浄化されたいと願うのじゃろうな」
「そっか……」
 あいつらも救って欲しいって思ってるんだな。
 ケガレは絶対的な悪という訳でもなく、あの死神ですら一応は神だから倒すべき相手じゃない。ゲームの世界では悪い敵やモンスターを倒して終わりだが、現実はそうじゃないんだ。
「救うって……なんだろうね」
「このたくらんけ」
 ……はい、久し振りに頂きました。槐のたくらんけ。
「驕るなって何度言ったら分かるんだ」
「……仰る通りです」
「拓也はただの人間だ。神でも仏でもねぇ。目の前にある問題で、自分にできる事をすればいいんだ。……ったく。人が人を救えてたら世界はもっとどうにかなってる」
 さっきの手入れの時に少しだけ槐と心が通じたように感じたのは、幻想だったらしい。もうすっかりいつもの辛辣な槐さんに戻ってる。
「ふふ、拓也はんは優しいんやもんね」
 藤紫が俺にしなだれかかってくると、フワリと藤の花の香りがする。
「まったく藤紫は主に甘いな。藤紫はべっぴんだから、ほれ見ろ。拓也の鼻の下が伸びて、みったくねぇ顔になってる」
「は、鼻の下なんて伸びてないよ!」
「どれ、拓也。わしが見てやろう」
「やめてよギン」
 いつもの綺麗な姿を取り戻した彼女たちにからかわれ、俺はハヤテの亡骸が側にあるのに、心が癒されているのを感じていた。

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