伝統民芸彼女

臣桜

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不穏

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 その日の夕食のテーブルは、何ていうか最悪だった。
 ただでさえひい婆ちゃんが死んだ後でみんな疲れ果てているのに、ハヤテまでもが後を追うように死んでしまった。九十を超えた人間ならそろそろ……という覚悟はあるけど、ペットの場合は「痛い」とか「具合が悪い」とか言わないから、突然の時は本当に突然だ。
 彩乃と一緒に買い物に行って帰って来た七海は泣いて部屋に閉じこもり、ひい爺ちゃんと婆ちゃんは元気がなく、母さんは無理に元気を出すように沢山料理を作った。
「拓也、沢山あるんだから食べなさいね。これから暑くなるんだから体力つけないと」
 そう言って俺は若い男だからという理由で、皿にてんこ盛りになった料理を勧められる。
 いつものように「食べらんないよ」と言える雰囲気でもない俺は、胃袋がギブアップを告げるまで淡々と食事を口に運ぶのだった。

「苦……しい」
 リバースしてしまいそうなほど詰め込んだのに、母さんは丁寧に水密まで剥いてくれた。好物だから食べない訳にいかないじゃないか。
 文句を言いたいような、「仕方ないよなぁ」という気持ちで水密を食べていると、居間の方であまり耳にしたくない言葉が聞こえてくる。
「……で、父さん。母さんの遺産とかはどうなるんだ? ……あんまりこういう事は言いたくないんだが」
 爺ちゃんが話しにくそうに言って、父さんと母さんも気まずそうにひい爺ちゃんを見る。婆ちゃんは飯は要らないと言って早々に寝ていた。
 俺は関係ないし、あまり聞きたくない。
 そう思って水密の皿を流しに置くと、俺は自分の部屋に上がろうと歩き出す。
 本当はあまり聞きたくなかった話だが、遠方からの親戚が顔を出しに来たのも、ひい婆ちゃんと交流があったというのもあるだろうし、ひい婆ちゃんの実家が物凄い金持ちだという事もある。
 俺は相続とかの事はよく分からんが、ひい婆ちゃんの親とかの遺産で結構な額がひい婆ちゃんの預金にあるという事は、生前のひい婆ちゃんの昔話にチラッと聴いていた。だが自分の爺ちゃん婆ちゃんや父さん母さん、親戚たちがひい婆ちゃんの遺産についてどうこう……というのは正直聞きたくなかった。
 そのまま居間を通り過ぎようとした時、「キィ」と小さな声がしてハッとし、居間の中を見回すと隅の方に小さなケガレがいた。
「っ……!」
 ゾワッと全身が毛羽立った。
「なんで家に……」
 これ以上、誰かが死ぬのか?
 そう思って思わずクロの姿を探したが、見える場所にクロの姿はない。
 槐たちに何が起こっているのか聞かないと。
 そう思った俺は、居間を抜けてひい婆ちゃんの部屋へ向かった。

「皆、いる?」
 スラッと襖を開けると槐とギンがにらめっこをしている。もとは美少女と美女だというのにその変顔のクオリティはなかなかのもので、思わず俺は噴き出していた。
「どした、拓也」
 鼻を押し上げて目尻を下げていた槐が真顔になり、俺を見てくる。……切り替えの早い人だな。一方ギンは畳に手をついてカラカラと笑っていた。
「い……いや、あの。う、うぅんっ」
 美少女の変顔というのはかなり印象深かったので、俺は一度咳払いをして気持ちを誤魔化し、言い直す。
「居間に小さなケガレを見たんだけど、まただれか死神に狙われてるのか?」
 今度は真剣に尋ねると、三人は顔を見合わせる。そして俺の問いに返事をしたのは藤紫だった。
「拓也はん。確かに穢れの気配はするけど、イミの気配も死神の気配もしぃひんえ。この通り槐はんも『えまーじぇんしー』になってはらへんし」
 藤紫……どこから英語覚えたんだろ。
「槐……確かに笑ってないね」
 あれは怖かった。
「んだ。穢れの気配は感じるが、藤紫の言う通りイミや死神の気配はしねぇ。どれ、ちょっと見てみるか」
 そう言って槐は立ち上がり、襖をすり抜けて歩いて行ってしまった。
「槐……大丈夫かな。ケガレに見つかったら……」
「大丈夫じゃ。小さなケガレ一匹や二匹ぐらいなら、わしらに近付く事もできん。あれらは根は臆病なんじゃ」
「ふぅん」
 ギンの言葉に安心しながらも俺はやっぱり槐が心配で、「ちょっと行ってくるね」と二人に声を掛けてから一度部屋を出た。
「槐……?」
 パチンと電気を付けて居間に向かって廊下を進むと、すぐに槐の後姿が見えた。居間の入り口に立っていて、小さな顔を上下左右にゆっくり動かしながらその場を見張っているようだった。
 家族たちは槐の存在にまったく気付いていなくて、代わりに俺の姿には気が付いた。相変わらずお互いに目を逸らしながら遺産の事について話していて、俺は喉が渇いたふりをして一度台所に牛乳を飲みに行った。
「槐、戻ろう」
「んだな」
 自分たちの話の世界に入っている大人たちは、俺が独り言を言ったのにも気付いていないようだった。
「端的に言えば、今は心配ねぇな」
 ひい婆ちゃんの部屋に戻って槐が開口一番に言ったのは、その言葉だ。ホッとして畳の上に胡坐を掻くと、槐が続きを説明してくれる。
「あれは拓也の家族の心の闇に引かれてきたもんだ。だから人が死ぬとかじゃねぇ。けどな、小さい穢れも積もり積もったらどうなるかはもう分かるな?」
「うん」
 思い出すだけで気分が悪くなるのは、診察台のハヤテに小さなケガレが集まって、まるで軍隊アリが獲物に群がるようだと思った今日の昼。
「でもあのケガレが増える事はないの? きっと俺の家族、いまひい婆ちゃんとハヤテの死で参ってて、おまけに遺産の話とかしてるから心が荒んでるんだと思う」
 自分の家族に対して「荒んでる」なんて言葉使いたくないけど、きっとそうなんだ。
 俺だって疲れ切って本当は泣き寝入りしたいし、もし酒が飲める歳なら飲んでるんじゃないかな。
 人一人が、犬一匹が死ぬっていうのは、世界中の人口とか世界中の犬の数とかから比べたら、確かに一という数字なのかもしれない。けど、そのたったの一と密接に関わっていた人間には、心から愛していた存在なんだ。
 毎日の生活で接していた人、生き物がいなくなってしまったというのは、体験した事がある人しか分からないと思う。
「拓也の家族が暗い気持ちをあまりにも引きずりすぎたら、それに伴って穢れの量も増えるじゃろう。増えすぎた穢れはいずれ死神を呼ぶ。穢れに付きまとわれた人間は、鬱とやらになる事もあるし、事故などにも遭いやすくなる」
「……マジか」
 ギンの話を聞いて気持ちがズンと重たくなり、家族にこれ以上の不幸が起こる事を予想して気持ちは最悪なほどに落ち込んでいた。
「こういう時こそ拓也はんの出番やないの? 子供やさかい大人の事情には口挟めへんかもしれへんけど、大人の知らない場所でわてらを使うて穢れを払う事はできるんやえ」
「そうだね、藤紫」
 確かにその通りだ。俺が大人が抱えている問題を解決できる訳じゃないし、さっき槐が言った通り俺は目の前にある自分にできる事をコツコツ頑張っていくしかない。
「まぁ、あまり事を悲観するな。穢れはよく目を凝らしてみれば、そこら辺に沢山おる。そのいちいちに構っていればきりがない。絹も自分が介入するのが必要な場合をちゃんと見極めておったぞ」
「ひい婆ちゃんもそうだったのか」
 確かに毎日、日本のどこかで誰かが亡くなっていて、その度に俺やひい婆ちゃんのような人、そして九十九神、死神、クロのような存在が動き回っているんだろう。
 その他にも人の影を差した心にもケガレが付きまとうのなら、それにいちいち構っていたら俺たちのような存在は疲弊して、いざという時に戦えないのかもしれない。
「ギンが言った通り、拓也にはまだ経験が足りねぇ。これから色んな経験を積んで、槐たちの力を借りて介入する必要があるって時だけ、穢れたちに関わればいい。拓也みてぇなひよっこが全部の穢れを相手にしようなら、一日でけちょんけちょんだ」
 ひよっこでけちょんけちょんか。
「まぁ……、様子を見てみるよ。皆にお願いしたいのは、槐には穢れの力が強くなって家族に危険がないか見張って欲しいし、藤紫にはそうならないようにあのいい匂いで家族たちを癒して欲しい。いざとなったらギンの出番をお願いしたいんだ」
 こうやって指示するのは偉そうでちょっと恥ずかしいけど、特に槐たちは突っ込む事なく頷いてくれた。
「ふふ、拓也はんが初めてご主人様らしいこと言うてくれはった。わて、気張ろっと」
 しっとりとした黒目を細めて微笑む藤紫を「可愛いな」と思ったが、槐の氷の視線が怖くて俺は天井を見上げた。
 一つ、彼女たちに訊きたくて訊けない事がある。
 ひい婆ちゃんが亡くなる時の事だ。
 いま俺は三人の姿しか見えないが、ひい婆ちゃんはもっと大勢の九十九神に囲まれ、慕わていたはずだ。けど心臓発作みたいな突然のものに対して、ひい婆ちゃんは自分を狙う穢れや死神が見えていたんだろうか? そして、庭に倒れて意識を失ってゆくひい婆ちゃんを、槐たちはどんな気持ちで見守っていたんだろう。
 主が命令を出さないと九十九神たちは力を発揮できない。大好きな主が恐らくケガレに付きまとわれ、死神に命の糸を刈り取られるのを……どういう気持ちで見ていたんだろう。
 きっと凄く悔しかっただろうし、悲しかっただろうな。
 だからそれを彼女たちに「どんな気分だった?」「あの時、ひい婆ちゃんは苦しがってた?」とか、軽々しく訊いたらいけないんだ。
 もう少し彼女たちと仲良くなってから、訊ける雰囲気になったら訊こう。
 そう思った俺は時計を確認してから、もう少し彼女たちと話してから部屋に戻ろうと思うのだった。

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