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尊の傷 編
傷
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「大丈夫!?」
声を掛けた私に向かって、尊さんは小さく首を横に振る。
「尊、救急車を呼ぶか?」
風磨さんが声を掛けたけれど、彼はまた首を左右に振り、出入り口を指さした。
「……すまない。今日はもう帰ってくれるか?」
震える声で言ったあと、彼は我慢しきれなかったのか、大股に歩き出し洗面所に向かった。
「尊さん……っ」
私は小走りに彼を追いかけていく。
「行こう。あとは朱里さんに任せる」
風磨さんが言い、エミリさんと春日さんと一緒に部屋を出ていった。
尊さんは洗面所に入ったかと思うと、便器の蓋を開けて嘔吐する。
いつも悠然としていた彼が、ずっとしまい込んでいたトラウマを引きずり出され、体を震わせてすべてを吐き出そうとしている。
(……私が支えるんだ)
深呼吸した私は、スイートルームのキッチンに向かって冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本持ってくる。
それからティッシュボックスを彼の横に置いた。
嘔吐した時に必要な物をなぜ知ってるかって、以前にもこういう場面に遭遇した事があったからだ。
必要な物を用意したあと、私は腕時計と指輪を外し、腕まくりをして手を洗う。
「尊さん、全部吐けますか? お手伝いしましょうか?」
彼の口の中に指を入れるのも辞さない覚悟で言ったけれど、その頃には吐ききっていたようだった。
「…………悪い……」
彼は涙でグシャグシャになった顔で謝り、ティッシュで洟をかみ、うがいをしてから水を飲む。
吐瀉物を流したあとだったけれど、まだ嘔吐感があるなら、すべて吐いてしまったほうがいい。
「大丈夫。全部吐いていいんですよ」
私は尊さんの髪を撫で、微笑みかける。
そんな私の顔を見て、彼はクシャリと表情を歪めると、また新たな涙を流した。
「っ…………すまない……っ、――――すまないっ、あかり!!」
震えて謝罪する尊さんを見て、すべてを察した私は静かに涙を流した。
そして可哀想な彼を抱き締める。
「……あかりさんって、お姉さんですか? 妹さん?」
尊さんは身じろぎして私の腕を振り払おうとしたけれど、そんな事させない。私はさらに力を込めて、ギュッと彼を抱き締める。
「教えてください。本当のあなたを知りたいんです」
私たちは洗面所の壁にもたれ、床に座り込む。
尊さんの冷え切った手を握っていると、やがて彼がかすれた声で言った。
「……妹だ。歳はお前と同じ。生きていたら二十六歳だ。…………死んだのは、四歳」
それを聞き、胸の奥を冷たい手で握られたような感覚に陥った。
――酷い。
同時に、そんな幼子まで殺そうと思った、怜香さんへの怒りがこみ上げる。
「…………二十二年前の十一月三十日、母は妹をつれて買い物に行った。金曜日の夕方は、好きな菓子を二つ買っていい日だったな……。……俺は荷物持ちのために同行を頼まれたけど、……面倒で断ってしまったんだ」
震える声で、彼はポツリポツリと過去を話す。
私の誕生日の前日に、彼は母と妹を亡くしていた。
あまりにやりきれなくて、私は涙を流しながら尊さんを抱く腕に力を込めた。
「……でも、『悪いな』って思ってあとから追いかけた。…………そしたら、目の前で」
尊さんの言葉がふつりと切れ、焦点の合わない目が虚空を見つめる。
「…………母は、とっさに妹を庇った。でも、信じられないぐらい飛ばされて、……すげぇ飛んだんだ。……車が電柱にぶつかって、タイヤが空回りしてゴムが焼ける匂いがした。母も、妹も動かなくて、…………手足が変な方向に曲がってて、全身傷だらけで……」
尊さんの呼吸が乱れていく。
「……妹の遺体を見てしまった時、大きなショックを受けた。……本当に、惨かった。だから無意識に忘れようとしたんだろうな。篠宮家に引き取られたあとの俺の精神状態も、ろくなもんじゃなかった。心を閉ざしつつも、それだけが生きがいみたいに勉強に打ち込んだ。誰にもぶつけられない怒りと憎しみを常に燃やしていて、父が『いつか自分の武器になる』と言った事を貪欲に吸収していった。その中で、つらい思い出は一時的に薄れていった。……いや、封じたと言っていい」
彼は私の肩口に顔を埋め、嗚咽に似た息を吐く。
私は尊さんの心の傷に触れ、眉間にギュッと皺を寄せて涙を流す。
そして覚悟を決め、本当の彼を知るためにさらに質問した。
「私が商品開発部に配属された時、尊さんは当然私の事をフルネームで認識していたでしょう? どう思いました?」
尋ねられた彼は、痛々しく笑った。
声を掛けた私に向かって、尊さんは小さく首を横に振る。
「尊、救急車を呼ぶか?」
風磨さんが声を掛けたけれど、彼はまた首を左右に振り、出入り口を指さした。
「……すまない。今日はもう帰ってくれるか?」
震える声で言ったあと、彼は我慢しきれなかったのか、大股に歩き出し洗面所に向かった。
「尊さん……っ」
私は小走りに彼を追いかけていく。
「行こう。あとは朱里さんに任せる」
風磨さんが言い、エミリさんと春日さんと一緒に部屋を出ていった。
尊さんは洗面所に入ったかと思うと、便器の蓋を開けて嘔吐する。
いつも悠然としていた彼が、ずっとしまい込んでいたトラウマを引きずり出され、体を震わせてすべてを吐き出そうとしている。
(……私が支えるんだ)
深呼吸した私は、スイートルームのキッチンに向かって冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本持ってくる。
それからティッシュボックスを彼の横に置いた。
嘔吐した時に必要な物をなぜ知ってるかって、以前にもこういう場面に遭遇した事があったからだ。
必要な物を用意したあと、私は腕時計と指輪を外し、腕まくりをして手を洗う。
「尊さん、全部吐けますか? お手伝いしましょうか?」
彼の口の中に指を入れるのも辞さない覚悟で言ったけれど、その頃には吐ききっていたようだった。
「…………悪い……」
彼は涙でグシャグシャになった顔で謝り、ティッシュで洟をかみ、うがいをしてから水を飲む。
吐瀉物を流したあとだったけれど、まだ嘔吐感があるなら、すべて吐いてしまったほうがいい。
「大丈夫。全部吐いていいんですよ」
私は尊さんの髪を撫で、微笑みかける。
そんな私の顔を見て、彼はクシャリと表情を歪めると、また新たな涙を流した。
「っ…………すまない……っ、――――すまないっ、あかり!!」
震えて謝罪する尊さんを見て、すべてを察した私は静かに涙を流した。
そして可哀想な彼を抱き締める。
「……あかりさんって、お姉さんですか? 妹さん?」
尊さんは身じろぎして私の腕を振り払おうとしたけれど、そんな事させない。私はさらに力を込めて、ギュッと彼を抱き締める。
「教えてください。本当のあなたを知りたいんです」
私たちは洗面所の壁にもたれ、床に座り込む。
尊さんの冷え切った手を握っていると、やがて彼がかすれた声で言った。
「……妹だ。歳はお前と同じ。生きていたら二十六歳だ。…………死んだのは、四歳」
それを聞き、胸の奥を冷たい手で握られたような感覚に陥った。
――酷い。
同時に、そんな幼子まで殺そうと思った、怜香さんへの怒りがこみ上げる。
「…………二十二年前の十一月三十日、母は妹をつれて買い物に行った。金曜日の夕方は、好きな菓子を二つ買っていい日だったな……。……俺は荷物持ちのために同行を頼まれたけど、……面倒で断ってしまったんだ」
震える声で、彼はポツリポツリと過去を話す。
私の誕生日の前日に、彼は母と妹を亡くしていた。
あまりにやりきれなくて、私は涙を流しながら尊さんを抱く腕に力を込めた。
「……でも、『悪いな』って思ってあとから追いかけた。…………そしたら、目の前で」
尊さんの言葉がふつりと切れ、焦点の合わない目が虚空を見つめる。
「…………母は、とっさに妹を庇った。でも、信じられないぐらい飛ばされて、……すげぇ飛んだんだ。……車が電柱にぶつかって、タイヤが空回りしてゴムが焼ける匂いがした。母も、妹も動かなくて、…………手足が変な方向に曲がってて、全身傷だらけで……」
尊さんの呼吸が乱れていく。
「……妹の遺体を見てしまった時、大きなショックを受けた。……本当に、惨かった。だから無意識に忘れようとしたんだろうな。篠宮家に引き取られたあとの俺の精神状態も、ろくなもんじゃなかった。心を閉ざしつつも、それだけが生きがいみたいに勉強に打ち込んだ。誰にもぶつけられない怒りと憎しみを常に燃やしていて、父が『いつか自分の武器になる』と言った事を貪欲に吸収していった。その中で、つらい思い出は一時的に薄れていった。……いや、封じたと言っていい」
彼は私の肩口に顔を埋め、嗚咽に似た息を吐く。
私は尊さんの心の傷に触れ、眉間にギュッと皺を寄せて涙を流す。
そして覚悟を決め、本当の彼を知るためにさらに質問した。
「私が商品開発部に配属された時、尊さんは当然私の事をフルネームで認識していたでしょう? どう思いました?」
尋ねられた彼は、痛々しく笑った。
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