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不穏 編
慢心と油断
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「違うわよ~。顔のいい副社長だったらファンになっちゃうでしょ。上村さんがいるから、もう副社長を一人の男性として見る事はないけど、イケメン枠として心の栄養にはしたいのよ」
それを聞き、私は一旦安心する。
「なら良かったです。顔はいいと思うので、どうぞ拝んでください」
「あはは、現金ねぇ」
綾子さんはひとしきり笑ったあと、腕時計をチラッと見て時間を確認してから言う。
「何も起こらなければいいけどね。橘さんたちも、そこまで馬鹿じゃないと信じたいわ」
「そうですね。何も起こらないに越した事はないんですが、勘違いした人って自分が間違えてるって思わないもんですから」
「それなのよ」
綾子さんは溜め息をついてから、「ちょっとお手洗い行ってくるわね」と午後の仕事が始まる前に急ぎ足に立ち去っていった。
その日は雨で、私は東十条にある自宅に向かって徒歩で歩きつつ、傘に跳ね返る雨音を聞いて不安を抱く。
(そろそろ朱里が落ちる時期だな……。篠宮さん、支えてくれるといいけど)
長い間、ハッキリとした因果関係は分からなかったけれど、毎年梅雨が始まる六月近くになると、朱里は調子を崩し始める。
トリガーとなるのは雨音だそうだ。
一度、梅雨時期の商店街でてるてる坊主を見て、酷く取り乱した事もある。
それらと彼女のお父さんが亡くなった時期が結びついていると知ったのは、だいぶあとの事だったけれど、いまだに思い出せていないという事は、よほどショックな出来事だったのだと思う。
これから朱里は篠宮さんと結婚して、ルンルン新婚生活を送る。
ただでさえ、あの強烈な元経理部部長が義母になり、義一家は経営者一族、母方も音響大手企業との事で、大変な環境での嫁入りとなるのに、余計な苦労はしてほしくない。
(……まぁ、あのクソババアは塀の中だろうけどね)
少し前に開かれた初公判では、マスコミが詰めかけて大変な事になったらしいけれど、篠宮さんもそのご家族も、マスコミに囲まれてもいっさい動じずやり過ごしたそうだ。
私は傍聴に行かなかったけど、篠宮さんの話では『しょぼくれたババアになってた』らしい。
本人は否認を続けているみたいだけど、実行犯の受刑者、そしてその家族も証言している事もあり、篠宮怜香に軽くない罪があるのは明らかだ。
篠宮さんと出会った頃を思い出しても、彼は今にも何かやらかしそうな〝ヤベー奴〟っぽい雰囲気があった。
誰かを加害する事はなくても、溜め込んだストレスから自暴自棄な行動をとってもおかしくなかったのに、よく耐えていたもんだと思う。
その心の支えになっていたのが朱里だっていうなら、お互い長い間求め合っていた事もあるし、過去は振り返らずに幸せになってほしいなと願っている。
(涼さんが現れたからか、割と朱里と篠宮さんの幸せを願えてるじゃん、私)
私は建物の入り口で傘を閉じ、パタパタと水気を切ってから屋内に入っていく。
ポストを覗くと、ダイレクトメールやチラシばかりで嫌になる。
(紙の無駄遣いだっての)
薄暗い階段の中、私の足音が響く。
(結局、今日は遅くなったから帰りに牛丼食べちゃったけど、正解だったな。雨にも降られたし、お風呂入ってさっさと寝よ。……あ、そうだ。昼間にポチった荷物が届くの待たないと)
キーケースから鍵を出して鍵を開け、家の中に入って溜め息をつく。
傘を置いて靴を脱ぎ、1DKの家に入って鞄を置いた時――。
タイミングよくピーンポーン……とチャイム音が鳴り、私はまた溜め息をついた。
(時間は……、二十時前か。二十時以降の指定にしたけど、早めに持ってきたのかな)
踵を返して玄関に向かった私は、念のためドアスコープを覗く。
(……あれ、いない? 置き配してピンポン鳴らした?)
その時の私は、何も考えずにドアを開けて本当に無防備だったと思う。
少し前に涼さんに防犯を心配されたけれど、繁華街から離れた立地にある住宅街で、かつ通りに面したビルだから、変な人が入っても人目を気にするだろうと思っていたのだ。
女性の一人暮らしは二階以上が推奨されるのも分かっていながら、「まさか自分が……」みたいな慢心もあった。
その日の油断を、私は一生後悔する事になる。
ドアを開けて荷物を取ろうとした瞬間、ガンッと思いきり頭を殴られた。
「!?」
目の前に星が散ったような痛みを覚えてよろけた時、誰かが私の首を思いきり絞めてきた。
「っ~~~~!!」
後ろから羽交い締めにするように首を絞められたから、相手が誰か分からない。
油断したから息を大きく吸う事もできず、「……あ、やばい……」と思ううちに苦しさの限界が訪れ、――――意識がブラックアウトした。
**
それを聞き、私は一旦安心する。
「なら良かったです。顔はいいと思うので、どうぞ拝んでください」
「あはは、現金ねぇ」
綾子さんはひとしきり笑ったあと、腕時計をチラッと見て時間を確認してから言う。
「何も起こらなければいいけどね。橘さんたちも、そこまで馬鹿じゃないと信じたいわ」
「そうですね。何も起こらないに越した事はないんですが、勘違いした人って自分が間違えてるって思わないもんですから」
「それなのよ」
綾子さんは溜め息をついてから、「ちょっとお手洗い行ってくるわね」と午後の仕事が始まる前に急ぎ足に立ち去っていった。
その日は雨で、私は東十条にある自宅に向かって徒歩で歩きつつ、傘に跳ね返る雨音を聞いて不安を抱く。
(そろそろ朱里が落ちる時期だな……。篠宮さん、支えてくれるといいけど)
長い間、ハッキリとした因果関係は分からなかったけれど、毎年梅雨が始まる六月近くになると、朱里は調子を崩し始める。
トリガーとなるのは雨音だそうだ。
一度、梅雨時期の商店街でてるてる坊主を見て、酷く取り乱した事もある。
それらと彼女のお父さんが亡くなった時期が結びついていると知ったのは、だいぶあとの事だったけれど、いまだに思い出せていないという事は、よほどショックな出来事だったのだと思う。
これから朱里は篠宮さんと結婚して、ルンルン新婚生活を送る。
ただでさえ、あの強烈な元経理部部長が義母になり、義一家は経営者一族、母方も音響大手企業との事で、大変な環境での嫁入りとなるのに、余計な苦労はしてほしくない。
(……まぁ、あのクソババアは塀の中だろうけどね)
少し前に開かれた初公判では、マスコミが詰めかけて大変な事になったらしいけれど、篠宮さんもそのご家族も、マスコミに囲まれてもいっさい動じずやり過ごしたそうだ。
私は傍聴に行かなかったけど、篠宮さんの話では『しょぼくれたババアになってた』らしい。
本人は否認を続けているみたいだけど、実行犯の受刑者、そしてその家族も証言している事もあり、篠宮怜香に軽くない罪があるのは明らかだ。
篠宮さんと出会った頃を思い出しても、彼は今にも何かやらかしそうな〝ヤベー奴〟っぽい雰囲気があった。
誰かを加害する事はなくても、溜め込んだストレスから自暴自棄な行動をとってもおかしくなかったのに、よく耐えていたもんだと思う。
その心の支えになっていたのが朱里だっていうなら、お互い長い間求め合っていた事もあるし、過去は振り返らずに幸せになってほしいなと願っている。
(涼さんが現れたからか、割と朱里と篠宮さんの幸せを願えてるじゃん、私)
私は建物の入り口で傘を閉じ、パタパタと水気を切ってから屋内に入っていく。
ポストを覗くと、ダイレクトメールやチラシばかりで嫌になる。
(紙の無駄遣いだっての)
薄暗い階段の中、私の足音が響く。
(結局、今日は遅くなったから帰りに牛丼食べちゃったけど、正解だったな。雨にも降られたし、お風呂入ってさっさと寝よ。……あ、そうだ。昼間にポチった荷物が届くの待たないと)
キーケースから鍵を出して鍵を開け、家の中に入って溜め息をつく。
傘を置いて靴を脱ぎ、1DKの家に入って鞄を置いた時――。
タイミングよくピーンポーン……とチャイム音が鳴り、私はまた溜め息をついた。
(時間は……、二十時前か。二十時以降の指定にしたけど、早めに持ってきたのかな)
踵を返して玄関に向かった私は、念のためドアスコープを覗く。
(……あれ、いない? 置き配してピンポン鳴らした?)
その時の私は、何も考えずにドアを開けて本当に無防備だったと思う。
少し前に涼さんに防犯を心配されたけれど、繁華街から離れた立地にある住宅街で、かつ通りに面したビルだから、変な人が入っても人目を気にするだろうと思っていたのだ。
女性の一人暮らしは二階以上が推奨されるのも分かっていながら、「まさか自分が……」みたいな慢心もあった。
その日の油断を、私は一生後悔する事になる。
ドアを開けて荷物を取ろうとした瞬間、ガンッと思いきり頭を殴られた。
「!?」
目の前に星が散ったような痛みを覚えてよろけた時、誰かが私の首を思いきり絞めてきた。
「っ~~~~!!」
後ろから羽交い締めにするように首を絞められたから、相手が誰か分からない。
油断したから息を大きく吸う事もできず、「……あ、やばい……」と思ううちに苦しさの限界が訪れ、――――意識がブラックアウトした。
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