【R-18・連載版】部長と私の秘め事

臣桜

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ようやくの帰宅 編

芯の通った生き方

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「私、節度と礼儀のある、大人の女性でいたい。…………でも今は、疲れ切ってるのもあって気持ちがグダグダで。…………『もうやだ』って言いたい」

「言っていいよ。それだけの目に遭ったんだから」

 尊さんは私の頭を撫で、額にキスをくれる。

 その優しさにウルッときた私は、彼に抱きついて胸板に顔をグリグリと押しつけ、溜め息混じりに言う。

「…………もうやだ」

「ん」

 尊さんはトントンと私の背中を叩いてあやしてくれる。

「……ごめんなさい。尊さんだって物凄く心配してくれただろうし、戦ってくれたし、今日は出社もしたのに、私ばっかり……」

「朱里は被害者なんだから、そう感じて当たり前だ。しかも犯人は九年付き合った田村だろ? やりきれない感情があるのは仕方ない」

「…………うん」

 私は頷き、溜め息をつく。

「……これが、知らない人に誘拐されたなら『何あいつ!』って犯人を憎んで、悪者にして終わりにできたんだと思います。今後、裁判が開かれたとしても、『私は被害者です』って堂々と主張して『相手に罰を与えてください』って言えたと思います。でも……」

 私はもう一度溜め息をつく。

「……人間、どこでどう道を踏み外すか分かんねぇよな。怜香だって俺の母の事がなければ、善人でいられたかもしれない。親父にやり返すように伊形と浮気してたし、ストッパーが働かなくて人殺しを依頼するし、憎い女の子供であっても、小さい子供に『死ね』って言ってた女だから、もともと褒められた性格ではなかったかもしれない。……それでも、犯罪者にはならずに済んだだろう」

「そうですね」

 怜香さんは歯車がかみ合わなくなった事で、運命を違えた。

 何か一つ間違えた事で止まれなくなった人は、坂道を転げ落ちる石のように猛スピードで破滅の道を歩んでいく。

「俺だって、母が遺してくれた教えや精神がなければ、復讐のために鬼になっていたかもしれない。……誰だって、どうしても許せないものがある時、道を踏み間違える可能性はあるんだよ」

 私は尊さんの鼓動に耳を澄まし、彼の手を握って目を閉じる。

「人間って心の生き物だ。他の生き物は命を守るために群れで逃げ、生きるために仲間と連携して狩りをする。……でも人間は自分のちっぽけなプライドを守るために人を殺すし、他者の人生を否定する。小学生でも『気に食わない』っていう理由だけでいじめをして、相手を自死するまで追い詰める。大人になれば角が丸くなるかと言われたらそうじゃなく、家庭を持って子供がいても陰湿な真似をする奴はいる。年寄りになっても同じだ。……そういう鬼にならないために、俺たちは誇りを胸に掲げないとならない」

「……はい」

 誰よりも実感の籠もった穏やかな声を聞き、私はクタクタになった心に一本スッとした芯が宿るのを感じる。

「疲れ切った時は『もう嫌だ』と駄々をこねて泣いてもいい。誰だってそういう時はある。でも、どれだけ精神的に揺らいでも、一線だけは越えたら駄目だ。その一歩を踏みとどまり、寝るなり食うなり、体を動かすなり、買い物をするなりして発散して、自分の芯を中央に戻す。そうやって、また日の当たる場所を歩いていくんだ」

 私は、この優しくて温かい声の裏に、とてつもない悲しみと闇が潜んでいる事を知っている。

 尊さんは誰よりも痛みを知っているから、こんなにも優しくなれる。

 それを分かっているからこそ、私は「彼に似合う女性でいたい」と強く願うのだ。

「……朱里は可愛いよ。誰よりもいい女だ。優しいし、芯が強いし、プライドが高くて心が透き通ってる」

 いきなり褒められ、私は目を丸くして顔を上げる。

 すると尊さんは愛しげに目を細め、私の頭を撫でながらチュッとキスをしてきた。

「お前はどんな事があってもへこたれない、竹のようにまっすぐでしなやかな女だ。強い孤独と悲しみを抱えながらまっすぐ歩き、ここまできた。俺が側で支えてるから、泣いてもいいし愚痴を言ってもいい。……でも、それが終わったらまた、明るい食いしん坊に戻って日々楽しそうに生きてくれ」

「ん……、ふふっ。……やっぱり食いしん坊なんだ」

 クシャッと笑うと、尊さんも笑顔になって額にキスをしてくる。

 それからほっぺにもキスをし、あむっと軽く囓ってきた。

「頬袋囓らないでくださいよ!」

「やっぱり頬袋だったか」

 私たちは冗談を言い合い、明るく笑う。

 不思議と、先ほどまで癇癪を起こす寸前に近かった気持ちが、大分和らいでいるのを感じた。

「……私、一歩間違えていたらグレていたと思います。ちょうど、尊さんに橋で助けてもらった頃。あの時が転機だったのかな。……〝忍〟のお嫁さんになりたいって真剣に思っていたから、人生の暗黒期でもグレずに自分を保てていたんだと思います」

 そこで私はニコッと笑い、両手で尊さんの頬を包むと気持ちを込めてキスをした。

「あなたはいつでも、私の歩く道を照らしてくれますよね。……だから、ずっと昔から好きだったんです。私には尊さんしかいない」

 私の言葉を聞き、尊さんは嬉しそうに目を細め――――、優しいキスをしてきた。
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