風と雨の神話

臣桜

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第一部・神話2

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「子供」


 閉めきった部屋の中から、元気な生声が聞こえた。部屋の外でやきもきとしていた者達は、一様に安堵の溜め息を吐き、口々に祝いの言葉を部屋の中の若い夫婦に告げた。
 風が吹いた。
 家屋をガタガタと鳴らして春一番の様な強烈な風が通り過ぎ、同時に乾いて埃っぽかった空気が湿り気を帯び、あっという間に雨が降り出した。
 災いの黒い雨ではない。かつての美しい世界を潤していた恵みの雨だ。
 人々は歓声を上げで屋外に飛び出し、水が悪くなってしまった為に清める事も出来なかった体に、雨を一身に浴びた。
 赤子が一つ、泣いた。
 それに呼応するかの様に雷鳴が遠く轟く。
 一つ。
 また一つ。
 風は乱舞し、黄砂の為に埃っぽく澱んでいた空気を一掃した。
 乾いてひび割れていた大地を、たちまち雨が潤して水溜まりをそこここに作る。細くなっていた川は次第にかつての水量を取り戻そうとしていた。
 雨はそれから数日間降り続き、そして『火の三日間』以来晴れた事の無い雲が切れ、実に絶えて久しかった陽光が、地上の生き物を照らした。


 生れた子供が特別な存在である事を、誰もが信じて疑わなかった。
 人々は幼い子供に希望を見出し、明日を見る事を思い出した。
 残酷な闇を持つ歴史上で、『英雄』や『救世主』と呼ばれた者は、そこまで名を知らしめた原因の中で己の力量というものはほんの僅かしかなく、その他の大部分は大衆の勝手な期待や願望を押し付けられてそうなってしまった者が多い。
 だが、神によってリ・ヴァイブルと名付けられたその少年は、真の奇跡の力を持って生れ、成長すると共に人々の異様なまでの期待に見事に応えた。
 子供らしい面は微塵も見せる事はない生まれ持っての『救世主』ぶり。
 それは人々により一層の支持と期待を持たせ、両親には名声と権力と誇りと淋しさを与えた。
 大き過ぎる力を持つには、未熟な者ではその力を持て余して悲惨な運命を辿る事も多い。
 そういう面では、彼の子供らしからぬ振る舞い・落ち着きは良い面へと働いたのだろう。
 だが、親としては子供というものは保護の対象であり、自分に甘えるものである。
 神童である実の息子の栄誉を誇りに思いつつ、村人からの供物に囲まれて両親は人知れず溜め息を吐き続けていた。


 子供が親元で十歳になるまでの間、辺境の小さな村に過ぎなかったそこは、荒廃した世界の中で最も豊かな土地となった。
 豊かな土地の噂を聞き、他の土地から人が移り住み、其処で獲れた農作物を得る為に多くの商人や国の役人が訪れた。
 崇め奉られる地位に甘んじる事なく少年は質素な生活を望んで、曲がった所も無く健やかに成長した。
 成長途中のしなやかな四肢や、少女と見紛う程に華奢に整った顔の造作も手伝って、少年はそれは熱狂的な程に慕われていた。
『救世主』がこの地におわす限り、世界に破滅は無い。
 人々はそう信じている。
 だが、少年は知っている。
 そう思う事が出来るのはこの土地に住んでいるほんの僅かな者にしか過ぎない。
 彼の使命は世界中の人々に、笑顔と希望を再び与える事なのだ。
 そして彼はある晩言った。
「私を旅立たせて戴けないでしょうか」
 突然の言葉であった。
 両親は激しく驚き、だがその一方で「やはり……」と諦めにも似た感情を味わっていた。
 少年が真の救世主ならば、こんな場所にいつまでも燻(くすぶ)っている訳がない。
 風を読み、雨を呼ぶ力は本来のものなのか、それとも啓示を受けてのものなのか、それは分からないが少年の日頃の憂いた表情を見れば、彼が何を望んでいるのかは解っていたつもりだ。
 両親は静かに、独り立ちさせるには若過ぎる子供を世に送った。
『救世主』が自分達の村から何時の間にか旅立ってしまった事に気付いた村人達は、初めこそは混乱し、不安と恐怖に苛まれた。
「あの方がいなければ……」「此処もいずれ他の土地と同じ運命を辿る」「我々は選ばれた、幸福を約束された者ではなかったのか?」
 次々と、保身しか考えていない言葉が少年の両親に浴びせられる。
 何故行かせたのか?
 親が子を黙って旅立たせるのか?
 村の一員である自覚はないのか?
 彼らは、じっと沈黙する事でそれに耐えた。
 だが、やがて少年が立ち去っても何も起こらなさそうな事に気付いた村人達は、次第に少年の両親に対する興味を失い、豊かに回復した自分達の土地や経済を切り盛りするのに熱中していった。
『救世主』の両親として持て囃されていた二人は、ひっそりと帰るとも分からぬ息子の安否を気遣いつつ、かつては下心と建前との仮面を被った者達でひしめいていた屋敷で暮らした。
 一度、特殊な〝力〟――肉体としての力であっても、権力であっても――を持ってしまうと、それまでの人間関係をそのまま保つ事は難しくなってしまう。
 変らぬ友情を誓った筈の友人でも、例え本人は自分が知覚し得る限り「善意」や「友情」で接していると信じていても、目の前に被せられた特殊なフィルターを通してでしか彼らを見る事は出来なくなってしまう。
 少年の両親も仕方の無い事なのだと重々分かってはいた。
 自分達本人ですら、『救世主』と呼ばれる息子をどう扱って良いのか正直迷っていたのだ。
 特殊な力を持っていたとしても、少年が歳相応の精神であれば、両親としても迷いを吹っ切って普通の子供として接する事が出来ただろう。
 だが、少年は生まれた時から、大の大人以上の分別と良識と知能とを持っていた。
 実の両親に対する態度も、見様によっては馬鹿丁寧な代物であった。
 母親は何度涙を流したか知れない。
 確かに、『救世主』と呼ばれる息子は誇り以外の何者でもない。
 だが、それ以上に彼女は辺境の村の娘に過ぎず、ささやかな恋愛の末に結ばれた男の子が欲しいと思った女に過ぎなかった。
 普通の子供が欲しかったのだと、涙交じりに少年に八つ当たるには、少年は神聖な存在過ぎた。
 そして母は諦めるしかなくなる。
 自分の息子は神がこの世界を救う為に遣わした使徒であり、自分はその母体として使われたのだと。
 本来生まれるべきだった子供は、母体を受け渡すという大役の代わりに、天上の美しい楽園に居るのに違いない、と。
 ある意味、自己完結的な発想かもしれない。
 それでも、超越的な力が人間界に存在した余波としての「歪み」は、この様にしてでしか清算されないのだ。
 両親は、ただ息子が果たすべき使命を無事に終えて戻る事を祈るしか出来ず、かつては完全に彼らと同じであった村人達とは一線を引いた状態でひっそりと生きていった。


**


「千日の復活」

 彼をある程度まで成長させてくれた肉体の親を残し、幼い救世主は飛んだ。
 風を自らの力として、天高く舞い上がり広大な世界の現状を見た。
 そして、驚愕する。
 ――この世界は死んでいる!
 彼が飛び立った故郷である村の周辺は、かろうじて小さな緑の円が守られている。
 空気もそこだけは澄み、大地も清浄な土を育んでいた。
 しかし、その他の土地は皆全て、黄砂によって形成された黄色い雲に覆われ、地は荒廃し、都市は灰色の固まりと化し、水は灰色に濁っていた。
 のったりとした、死の空気。
 それが、世界中を覆っていた。
 誰も何も求めない。希望を失い、大切な者を守る力も無く、ただ死んで行く。
 それだけに己は生まれたのかと、自らを呪い、全てを呪う。
 救世主の父なる神が、彼に使命を言い渡した時に世界の惨状については聞いていたが、実際自分の目でそれを確認したのはこれが初めてであった。
 幼い救世主は一粒の涙を流し、それを片手で拭ってから世界中を駆け巡った。
 雨を呼び、緑を増やし大地に潤いを与えた。
 風を呼び、乾燥した空気や澱んだ空気を吹き飛ばした。
 綺麗な水を与えられた緑の生命達は、次第にかつての繁殖力を取り戻し、ゆっくりとだが確実に大地を鮮やかに緑色に戻していった。瑞々しい緑は、汚れた空気を吸って正常な空気を吐き出した。
 毒に成り果てていた木の実は、元の豊潤な味わいを取り戻した。
 家畜は元気を取り戻し、人々に再び乳や肉を分け与えた。
 取り払われた黄砂の雲の奥から、見えなくなって久しい太陽が人々の前に姿を表し、火を使わなくても景色を見る事の出来る光を与え、ぶ厚い布を纏わなくても生活出来る気温を取り戻し、健康的に日焼けした肌を取り戻した。
 千日という時間、幼い救世主は大空を飛び続け、主に与えられた命をこなした。
 全ては父なる神の子であり、自らの兄弟である人々の為。
 全ては至高なる気高き神の為に。
 千日をかけて、世界中の人々の顔は絶望から笑顔へと変わっていった。
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