風と雨の神話

臣桜

文字の大きさ
3 / 19

第一部・神話3

しおりを挟む
「神話のはじまり」

 天命を受けた少年が、救済の飛翔を始めて千日目。
 世界はかつての姿を完全に取り戻していた。
 変わってしまった地形は元には戻す事は出来なかったが、大自然の恩恵を直接享受する事の出来る姿を取り戻した。
 高い、高い天の上で幼い救世主は自らの成し得た成果を見、微笑んだ。
 そして、――――落ちた。

 小さな体は弾丸の様に大地を目掛けて落下し、彼を守る風はその体を優しく受け止めて優しく大地に横たわらせた。
 少年の体は疲れきっていた。
 薄い胸が小刻みに上下し、荒い呼吸が大地を生温かく湿らせた。
 そこは人一人いない大草原。
 遥か彼方にうっすらと、青い山脈の峰々が見えた。ただ、それだけ。
 草。草。草。
 緑。緑。緑。
 そして、絶望的な程に高く蒼い天。
 この世界を絶望に追い込める事の出来る、小さな、そしてたくましい生命達に囲まれて、幼い救世主は安らかに小さな吐息を吐いた。
 その吐息には、自らが天命を果たす事の出来た歓び。達成感。そして、父なる神への誇りがこめられている。
 白い面を、風がそっと撫でてゆく。
 碧い髪が、はらりと風に舞い、静かに汗ばんだ頬に張り付いた。頬に掛かるそれを払う事もせずに、少年はゆっくりと静かに目蓋を閉ざした。
 荒かった呼吸が次第に静まり、体中の苦痛と負担が安らいでゆく。
 また、風が吹いた。
 大地を覆う緑をザワザワとかき鳴らし、それはあっという間に遠くへ旅立っていった。
 かつては少年と同化して世界を駆け巡った風。
 しかし、いま少年はただの肉となり、その命の火を消そうとしていた。
 ――静寂。
 耳が痛くなる程の静寂と、何一つ見る事の叶わぬ無明の闇の中、少年はゆっくりとその目を開いた。
 闇に対する恐怖はない。――むしろ心地良い程の安堵がある。
 ――果たすべき役目は終えた。
 世界を救うという使命を果たすためだけに、この世界に受肉し生を受けた少年は、この上も無い満足感と幸福感を得ていた。
 人間としての生きる喜び、悲しみ、怒り、楽しみ、恋すら知らずに彼は、そのあまりにも短すぎる生を終えた。
 それに対する感慨は何一つ無い。
 主の命を果たす事のみが、彼の幸せであった。
 人間としてでなく、神によって創られた生命ゆえの哀れな存在。
 だが、それを言われても少年は天使の様な笑みを浮かべて答えるだろう。「それでいいのだ」と。
 ――光が射す。
 美しく澄んだ音が、急速に彼を包み始めていた。
 ――光の音。
 ――それは、天上の音楽。
 闇が光に変わり、死の静寂が存在のある静けさへと変わった。
 これ以上無い喜びと、安堵の表情が少年の顔に広がる。
「主よ……」
 美しい唇から、至高なる者の名が呟かれた。
〝よくやった、リヴァ。安心して光に身を委ねなさい〟
「はい………」
 至上の幸福感に包まれながら、少年は彼を包み込む光を抱き締めて、光に溶けた。
 光は少年が溶けた瞬間、彼の美しく透明な存在を表すかの様な一層美しい音をたてた。
 そして光は音と共に静かに薄まり、摘み取られる様に消えた。
 少年の魂は光と共に還り、あるべき場所へと帰った。


 一人の旅人が草原を歩いていた。
 旅先から故郷に帰るところだろうか、背にある荷物は大きく膨らみ、日に焼けた顔も帰郷の喜びと期待に彩られている。
 確実な足取りで、しっかりと大地を踏み締めて彼は歩き続ける。
 ふと、彼は何かに目を留めて僅かに顔を上げた。
「…………何だ?」
 風が背の高い草を揺らすなか、どこまでも続く緑の中に異質な色を発見したのだ。
 生い茂る緑の中に、ぽつり、と碧があった。
 まるで、天の欠片が落ちていた様だった。
 ――近付く。
「人……………か?」
 余りにも不自然すぎるシチュエーションに、「行き倒れ」や「餓死」などの言葉が男の胸によぎる。
 急ぎ足で背丈の高い草をかき分けて進むと、男はそこへ辿り着いた。
 そして、彼の顔は驚愕と悲しみに彩られる。
 ――子供がいた。
 すらりとした白い手足は、まだまだ成長途中のものだった。細い肩。美しく整った顔。
 風が碧い髪と、長い睫毛をそっと揺らす。
 ――美しい子供だった。
 だが、その白い肌が生きる者の白さでない事を、男は一目見ただけで分かった。既に少年の魂は、その肉体(うつわ)に留まってはいない。
 不思議と、その形の良い唇は微かに喜びの形に留まったまま、固まっていた。
 鮮やかな緑のなか、この世の全ての悲しみを集めたかの様な碧があった。
 ――壮絶な死がそこにあった。
 ――壮絶な生ももまた、そこにあった。
「何だって……こんな所で……」
 涙が零れる。
 大の男が、少年の亡骸を目の前にしてみっともない位に、ぼろぼろと涙を零していた。
 胸に深い痛みと悲しみが、くっきりと刻まれる。
 誰もいないこんな場所で、どうしてこんな子供がこうして独り死んでいるのかは誰も知らない。その理由も分からない。
 ――家族は?
 ――名は?
 ――どうしてこんな事に?
 ――どうしてそんなに幸せそうに笑っている?
 とめどなく涙が溢れ、動かぬ少年の肌を濡らした。
 母親も、父親も少年の死を知らぬ中、見知らぬ男だけが一人少年のために涙した。
 しばらくして男は背負っていた荷を降ろすと、腰に下げていた剣を使って穴を掘り始めた。草が生い茂っているので、穴を掘るのは容易ではない。だが、大切な剣を泥まみれにしながらも、男は少年を葬るために汗を流して穴を掘り続けた。
 少年をもっと良い場所に連れて行っても良かった。近くにある村や街まで連れて行って、共同墓地に入れてもらっても良かった。
 だが男は、この少年はこのままこの地に眠らせた方がいいと感じたのだ。
 そして、参列者がたった一人の葬儀が行われる。
 誰も知る事のない、小さな葬儀。
 最後に男は荷物に括って下げていた苗を外し、根の部分を覆っている麻布を取ると少年の墓の側に埋めた。それは土産用に買った、南の方に生えるという大樹の苗だ。
 小さな死を、これから育つ小さな生が守る様に、と祈りを込めて男は苗を植えた。
 旅人はもう一度少年に黙祷を捧げると、暫く少年の墓前に立っていたが、ゆっくりと去っていった。
 草を踏み締め、胸に深い悲しみを刻んで、彼を待つ家族の元に帰ってゆく。
 ――そして、草原に元の静寂が戻った。


 風が吹き、雨が降り、一体いくつの時代が過ぎただろうか。
『緑の王国』と呼び親しまれる国の辺境に、一本の大樹に守られた小さな村が、ひっそりと息づくようになる。
 村は中心に大樹を抱き、そこから放射状に小さな村を形成していた。
 大樹は緑の葉を茂らせ、天に向かって大きく枝を伸ばし、横に広げ、彼の元に生活する人間達を見守った。彼らの生と死、喜怒哀楽、儚い恋の物語を見守り続けた。
 風に吹かれ、雨に降られながら彼らは互いに守り合いながら生きる。
 人々は樹を守った。
 樹は人々を守った。
 遠い昔に大樹の苗を買ってくれた、一人の男の願いを守るために、大樹は小さな亡骸を守りつつ永い時を生きる。
 その大樹に、透き通った美しい少年の精が見られるのは先の話。
 その村が「風の村」と呼ばれる様になってからの、儚く悲しい恋の話――。

 第一部・完
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。  転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。  しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。  凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。  詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。  それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。  「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」  前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。  痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。  そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。 これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...