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第三部雨・9
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「変革」
「何だ、出掛けるのか? 昨日この街に来たばっかりだというのに……忙しい奴だな。『新人狩り』の疲れはとれたのか?」
ユヴァの姿を見とめてアレクが言い、男達が笑った。
新人狩りを経て、一応この街の住人として認められたのだ。酒場に入って来ても昨日の様に話し掛けるまで無視されるという事はない。
酒場の奥にあるアレクの場所までゆっくりと歩み進んだユヴァは、アレクの前で立ち止まり黙って彼を見ている。
その姿を、他の男に酒を注ぎながらレナが揺るぎ無い視線を送っていた。
「あぁ? どうした?」
燃え盛る炎の様な色の赤毛が、少し揺れてユヴァを見上げる。生きて来た歳を刻み付けた額の小皺が、眉を上げると深みを増した。
「あんたを殺す」
それだけ言って、ユヴァはいきなり電光石火で抜刀するとアレクに斬り掛かった。
何の躊躇いも無い太刀筋は、正確に首を狙っている。
ユヴァには人に斬り掛かる前の興奮や躊躇い、緊張や殺意が全く無かったため、流石のアレクも予想だにしない攻撃に太い首をむざむざ晒す事になる。
だが力と恐怖でこの街の荒くれ者を統括しているだけあり、素晴らしいまでの反射神経と戦士の直感で、間一髪の所で一撃死を免れた。
「うおっ!」
ビロード張りのソファーからアレクが転がり落ち、大理石のテーブルの上にあった食器類が音を立てて床に散乱する。
異変を感じた者がいきなりボスに剣を向けた新人に気付いた頃には、ユヴァは既に何撃かを繰り出していた。
ボスらしからぬ無様さで、ユヴァの冷酷無比な攻撃を何とか鞘に収めたままの剣で防いでいたアレクが、一瞬の隙を突いてやっと抜刀する。
剣を抜きざまユヴァの攻撃を撥ね返し、獣の唸りを上げる。
「貴様ぁ……何のつもりだ」
赤い獅子を思わせる咆哮に、周囲に押し掛けて来ていた男達が背筋を震わせる。
巨躯のアレクだというのに、凄まじい怒りを発する事で更に体が大きく見える。髪は逆立ち、射殺す程の眼光がユヴァを貫く。
いつもは投げやりな喧燥に包まれている酒場は、異様な緊張をもってしんと静まり返る。
緊張感を孕んだ空気のなか、誰かがぐびりと音をたてて生唾を飲み込む音が聞こえた。
アレクが剣を構えたために迂闊に攻撃出来なくなったユヴァは、対峙したままレナを連れてここから出ようと思った動機を考える。
「…………何となく」
それを聞いて、アレクは爆笑しだした。
ひとしきり笑ってから「あぁ……」と溜め息をつき、死刑執行人の様な目で言う。
「面白ぇ。こんな面白ぇ奴は初めてだ。嫌いじゃねぇ。……だがな、折角の挑戦者だが……一対一で戦るほど俺は慈悲深くねぇんだ。……殺っちまいな」
最後の一言は、二人を囲んでいた男達に向けて発せられた。
瞬間、統率された軍隊の様に剣が鞘から抜かれる金属音が酒場中に響く。女達は厨房の方に一固まりになっていた。
祈るでもなく、青ざめるでもなく、レナはカウンターにもたれかかりながら、男達の壁の向こうに見えるユヴァの茶金髪を眺めている。
期待というものは知らない。
元から全てを諦めているから、こんな状況になっても何も感じない。
目の前で殺し合いがある事も多々あった。だから、戦闘に関しても特に恐怖心はない。
ただ、ユヴァが殺された時は、その死を憶えておこうと思っていた。
人の死で『変化』は無いとユヴァは言った。が、自分に『変化』をもたらした男の死は、忘れないでおこうと思ったのだ。
木の床をドタドタと硬いブーツの底で踏み荒らす音がし、剣撃や傷を受けた者の上げる声が聞こえ始めた。
ユヴァは壁を背にし、斬り掛かってきた中央の男の喉笛を掻き切ると同時に、右側の男の剣を脛当てで防ぎ蹴り飛ばす。
その間に空いている片方の手で、腰にある剣の一本を抜くと両手で攻防を始めた。
元は右利きの一刀流だが、度重なる多勢相手の戦闘でユヴァは両手で戦う技を我流で得ていた。獲物は一刀流用の武器なので多少大きくて扱いにくいが、慣れてしまえばどうにでもなる。
ガタガタと台所の窓枠が激しく揺れ、ふと見ると外は風が吹き荒れて暴風雨になっている。雨は一年中降っているものの、ここは地形の影響であまり強い風は吹かない。
珍しい事もあるものだと思いながら、レナは首を男達に向け直す。
あの中心でたった一人で全員を相手に戦っている男が、自分のために戦っているのを思うと不思議だった。今まで、誰も自分の『ため』に何かをしてくれた事はない。
そして、ユヴァの事を『生きている』と思う。
何もかもが死んで腐敗しているこの街で、自分以外の何かのために戦っているユヴァは、明らかに他の男達と違う。
その違いは『生きている』事だ。自分の命を、他人の人生に関わらせている。
ふと、湧き起こる思いがあった。
ユヴァが自分のために『生きている』のならば、自分もユヴァのために『生きる』べきではないのだろうか?
ユヴァと同じ様にすれば、きっと自分もユヴァの様に色々な事が分かる様になるかもしれない。
――何ができる?
自分が、『ユヴァのため』にできる事。
レナは真紅の瞳で辺りを見回し目標を発見して、するべき事を考え付くと、思わず笑い出した。
レナの回りにいた娘達はぎょっとしてレナを見やる。
今まで一度たりともニコリともしなかったレナが、目の前で嬲り殺しが行われているのを見て肩を震わせて笑っているのだ。
それに構わずレナは笑い続けた。
初めて、生まれて初めて自分でものを考えて行動をする、記念すべき行動だ。
もし殺されたとしても、自分から『望んで』『ユヴァの為に』して行動を起こした結果なのだ。
このままこの街で腐っていく事を考えると、何とも『素敵』な死に様だ。
あぶくの様に次々と『こころ』の表面に浮かんでくる『想い』、『感情』。
止めど無く湧き出てくるそれに、憎悪と嫌悪しか知らなかった感情はついていけずに涙と笑いが同時に出る。
それすら、レナにとっては『快感』であった。
性交渉で得る肉体的な快楽では、全く及ばない『こころ』の快楽。
心の奥に仕舞われていた感情に触れ、この上も無い『こころ』の快楽を得ながら、レナは包丁の柄をしっかりと握り締めた。
ユヴァの持つ騎士の剣は、多くの血を吸って刃を鈍らせていた。
ユヴァ自身、深いものも浅いものも多くの傷を負っている。
だがそのまま着ていた騎士の鎧と、多少邪魔臭いがバサリと羽織ったマントのお陰で、すぐさま命に関わる様な致命傷はない。
しかしこの調子で傷を受けていれば出血多量でどんどん体力がなくなってしまう。
勝つか負けるかは、既に考えていなかった。
ただ、目の前にいる敵を斬る。斬る。斬る。蹴り飛ばし、肘を食らわせ、足を払い、斬る。
ユヴァの剣は切り結ぶ事を想定せず、死神の鎌の様に確実に一撃死を狙って繰り出されるので、それを防ぎきれなかった者はバタバタと絶命していった。
大抵は無防備な首元を狙っているので、辺りは頚動脈から吹き出る血で地獄絵図の様な光景になっていた。ユヴァ自身、己の血と返り血で全身を紅く染めている。
脅威的な強さだった。
騎士時代、『人殺しの剣』を磨いていただけあって技術はさる事ながら、直感や白兵のセンスもあり、初めは絶望的だった戦いも今ではそうとは言えなくなっている。
何よりも、死を恐れていない心がユヴァの剣を一層冴え渡らせている。
男達のように、名を挙げるとかアレクに気に入られようとか、怒りや殺意などのドス黒い感情などがない分、数段動きに差がある。
加えて、ユヴァに倒された前列の者達の屍が生け垣となり、男達は足場が悪い中戦わなくてはならなくなっていた。
少しでもバランスを崩して隙を見せれば、ユヴァの凶刃が首を襲う。
逆に、ユヴァは初めの立ち位置から少しも移動していなかった。その方がこちらにとっては有利だと考える冷静さもまた、ユヴァの優勢の要因である。
自分の手は汚さずに高みの見物を決め込んでいたアレクも、予想外のユヴァの強さに顔を顰めて獰猛に唸っていた。
腕に手を掛けてくる女主人を振り向きもせずに乱暴に突き飛ばし、ユヴァの戦い振りを見詰めている。
隙が出来れば飛び道具などで仕留めてやるつもりでいるのだが、自分がけしかけた男達が邪魔になってそれも叶わない。
だが、まだ焦燥するまでに至っていない。
ユヴァの強さを感心する心の余裕まである。
一人で相手をするには、一騎当千と誉めてしまっても良い程の働きぶりをみせているのだが、いかんせんやはりこちらには人数がいる。
手下は数多く失ってしまうが、このまま放っておけば運が良ければ誰かが仕留め、そうでなくてもその内出血多量で逝ってくれるだろう。
喉で低く笑ったアレクの腕に、またも女が手を掛けて来る。女の事は気にも留めずに、やはりそちらを見ないで腕を振って突き飛ばそうとした瞬間、
「っ……げ…………?」
左手の方向から首に衝撃があり、咄嗟に左手にあった『もの』を剣の柄で思い切り殴り飛ばし、首に手を遣る。
――首には、異物が生えていた。
硬い、棒の様なモノ。
呼吸がままならなくなっていた事に気付き、己の身に何が起こったのかを理解した瞬間には、目の前に一つだけ輝く翡翠色の目があった。
ゴガッ!
物凄い勢いで、落とされた首が壁にぶつかって鈍い音をたてる。
そして、赤い毬が床に落ちて、ほんの僅かにバウンドするとゴロリと転がった。
――静寂。
「……これで、この街のボスは俺だ。……そうだな?」
右腕を不自然にぶらりと下げたユヴァが、動きを止めた男達に向かって静かに呟いた。
屍の山を踏み、血で全身を朱に染めた隻眼の戦士がゆらりと立つ姿を見、誰かが剣を落とした。
木の床と重たい金属がぶつかる不快な音がひとつ響き、それに触発された様に次々と同じ音が連鎖する。戦いを放棄し、敵意がない事を証明するために剣を捨てたのだ。
――と、けたたましい笑い声がした。
鬼神の姿に圧倒的な恐怖と狂気を感じ、気圧されていた男達はぎょっとして笑い声がした方向を見る。
――レナが、笑っていた。
白に近い、グレーの長い髪を振り乱し、冷たく整った顔を解放された水門の様に怒涛の如く押し寄せる笑いの衝動に歪め、狂った様に笑う。そして少し前までこの街を取り仕切っていたアレクであったものを盛んに蹴りつけていた。
美しい顔の左半分は、酷い痣になっていた。だがその痛みも忘れてしまったかのように、細い体をしならせてひいひいと笑い続けていた。
「行こう」
が、なまくらになってしまった剣を収めたユヴァが片手を差し出すと、涙を拭ってからその手を握り返した。
アレクの体を踏みつけ、その上からユヴァに手を引かれて優雅に降りる。そして振り向いて言った。
「母さん、私、ここを出て行くから。貴女は今まで通り、またボスを名乗る男に媚びへつらって嗤い続けていて」
茫然として座り込んでいる母に向かってそう言うと、娘は身軽に階上に駆け上がって行くとブーツを履き、外套を着て戻ってきた。
阿呆の様に口をポカンと開けて彼女を見ている娘達を無視して、台所から適当に食糧を見繕って袋に押し込む。
支度が済むと、感情を得た人形の様な娘と、一夜にして『終わりの街』の王となった隻眼の青年は、肩を並べて酒場を出て行く。
寸前、「この街はどうするんだ!?」と叫んだ誰かに向かって、ユヴァは振り向くと一言だけ告げた。
「好きにしろ」
そして、二度と戻って来る事はなかった。
「何だ、出掛けるのか? 昨日この街に来たばっかりだというのに……忙しい奴だな。『新人狩り』の疲れはとれたのか?」
ユヴァの姿を見とめてアレクが言い、男達が笑った。
新人狩りを経て、一応この街の住人として認められたのだ。酒場に入って来ても昨日の様に話し掛けるまで無視されるという事はない。
酒場の奥にあるアレクの場所までゆっくりと歩み進んだユヴァは、アレクの前で立ち止まり黙って彼を見ている。
その姿を、他の男に酒を注ぎながらレナが揺るぎ無い視線を送っていた。
「あぁ? どうした?」
燃え盛る炎の様な色の赤毛が、少し揺れてユヴァを見上げる。生きて来た歳を刻み付けた額の小皺が、眉を上げると深みを増した。
「あんたを殺す」
それだけ言って、ユヴァはいきなり電光石火で抜刀するとアレクに斬り掛かった。
何の躊躇いも無い太刀筋は、正確に首を狙っている。
ユヴァには人に斬り掛かる前の興奮や躊躇い、緊張や殺意が全く無かったため、流石のアレクも予想だにしない攻撃に太い首をむざむざ晒す事になる。
だが力と恐怖でこの街の荒くれ者を統括しているだけあり、素晴らしいまでの反射神経と戦士の直感で、間一髪の所で一撃死を免れた。
「うおっ!」
ビロード張りのソファーからアレクが転がり落ち、大理石のテーブルの上にあった食器類が音を立てて床に散乱する。
異変を感じた者がいきなりボスに剣を向けた新人に気付いた頃には、ユヴァは既に何撃かを繰り出していた。
ボスらしからぬ無様さで、ユヴァの冷酷無比な攻撃を何とか鞘に収めたままの剣で防いでいたアレクが、一瞬の隙を突いてやっと抜刀する。
剣を抜きざまユヴァの攻撃を撥ね返し、獣の唸りを上げる。
「貴様ぁ……何のつもりだ」
赤い獅子を思わせる咆哮に、周囲に押し掛けて来ていた男達が背筋を震わせる。
巨躯のアレクだというのに、凄まじい怒りを発する事で更に体が大きく見える。髪は逆立ち、射殺す程の眼光がユヴァを貫く。
いつもは投げやりな喧燥に包まれている酒場は、異様な緊張をもってしんと静まり返る。
緊張感を孕んだ空気のなか、誰かがぐびりと音をたてて生唾を飲み込む音が聞こえた。
アレクが剣を構えたために迂闊に攻撃出来なくなったユヴァは、対峙したままレナを連れてここから出ようと思った動機を考える。
「…………何となく」
それを聞いて、アレクは爆笑しだした。
ひとしきり笑ってから「あぁ……」と溜め息をつき、死刑執行人の様な目で言う。
「面白ぇ。こんな面白ぇ奴は初めてだ。嫌いじゃねぇ。……だがな、折角の挑戦者だが……一対一で戦るほど俺は慈悲深くねぇんだ。……殺っちまいな」
最後の一言は、二人を囲んでいた男達に向けて発せられた。
瞬間、統率された軍隊の様に剣が鞘から抜かれる金属音が酒場中に響く。女達は厨房の方に一固まりになっていた。
祈るでもなく、青ざめるでもなく、レナはカウンターにもたれかかりながら、男達の壁の向こうに見えるユヴァの茶金髪を眺めている。
期待というものは知らない。
元から全てを諦めているから、こんな状況になっても何も感じない。
目の前で殺し合いがある事も多々あった。だから、戦闘に関しても特に恐怖心はない。
ただ、ユヴァが殺された時は、その死を憶えておこうと思っていた。
人の死で『変化』は無いとユヴァは言った。が、自分に『変化』をもたらした男の死は、忘れないでおこうと思ったのだ。
木の床をドタドタと硬いブーツの底で踏み荒らす音がし、剣撃や傷を受けた者の上げる声が聞こえ始めた。
ユヴァは壁を背にし、斬り掛かってきた中央の男の喉笛を掻き切ると同時に、右側の男の剣を脛当てで防ぎ蹴り飛ばす。
その間に空いている片方の手で、腰にある剣の一本を抜くと両手で攻防を始めた。
元は右利きの一刀流だが、度重なる多勢相手の戦闘でユヴァは両手で戦う技を我流で得ていた。獲物は一刀流用の武器なので多少大きくて扱いにくいが、慣れてしまえばどうにでもなる。
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珍しい事もあるものだと思いながら、レナは首を男達に向け直す。
あの中心でたった一人で全員を相手に戦っている男が、自分のために戦っているのを思うと不思議だった。今まで、誰も自分の『ため』に何かをしてくれた事はない。
そして、ユヴァの事を『生きている』と思う。
何もかもが死んで腐敗しているこの街で、自分以外の何かのために戦っているユヴァは、明らかに他の男達と違う。
その違いは『生きている』事だ。自分の命を、他人の人生に関わらせている。
ふと、湧き起こる思いがあった。
ユヴァが自分のために『生きている』のならば、自分もユヴァのために『生きる』べきではないのだろうか?
ユヴァと同じ様にすれば、きっと自分もユヴァの様に色々な事が分かる様になるかもしれない。
――何ができる?
自分が、『ユヴァのため』にできる事。
レナは真紅の瞳で辺りを見回し目標を発見して、するべき事を考え付くと、思わず笑い出した。
レナの回りにいた娘達はぎょっとしてレナを見やる。
今まで一度たりともニコリともしなかったレナが、目の前で嬲り殺しが行われているのを見て肩を震わせて笑っているのだ。
それに構わずレナは笑い続けた。
初めて、生まれて初めて自分でものを考えて行動をする、記念すべき行動だ。
もし殺されたとしても、自分から『望んで』『ユヴァの為に』して行動を起こした結果なのだ。
このままこの街で腐っていく事を考えると、何とも『素敵』な死に様だ。
あぶくの様に次々と『こころ』の表面に浮かんでくる『想い』、『感情』。
止めど無く湧き出てくるそれに、憎悪と嫌悪しか知らなかった感情はついていけずに涙と笑いが同時に出る。
それすら、レナにとっては『快感』であった。
性交渉で得る肉体的な快楽では、全く及ばない『こころ』の快楽。
心の奥に仕舞われていた感情に触れ、この上も無い『こころ』の快楽を得ながら、レナは包丁の柄をしっかりと握り締めた。
ユヴァの持つ騎士の剣は、多くの血を吸って刃を鈍らせていた。
ユヴァ自身、深いものも浅いものも多くの傷を負っている。
だがそのまま着ていた騎士の鎧と、多少邪魔臭いがバサリと羽織ったマントのお陰で、すぐさま命に関わる様な致命傷はない。
しかしこの調子で傷を受けていれば出血多量でどんどん体力がなくなってしまう。
勝つか負けるかは、既に考えていなかった。
ただ、目の前にいる敵を斬る。斬る。斬る。蹴り飛ばし、肘を食らわせ、足を払い、斬る。
ユヴァの剣は切り結ぶ事を想定せず、死神の鎌の様に確実に一撃死を狙って繰り出されるので、それを防ぎきれなかった者はバタバタと絶命していった。
大抵は無防備な首元を狙っているので、辺りは頚動脈から吹き出る血で地獄絵図の様な光景になっていた。ユヴァ自身、己の血と返り血で全身を紅く染めている。
脅威的な強さだった。
騎士時代、『人殺しの剣』を磨いていただけあって技術はさる事ながら、直感や白兵のセンスもあり、初めは絶望的だった戦いも今ではそうとは言えなくなっている。
何よりも、死を恐れていない心がユヴァの剣を一層冴え渡らせている。
男達のように、名を挙げるとかアレクに気に入られようとか、怒りや殺意などのドス黒い感情などがない分、数段動きに差がある。
加えて、ユヴァに倒された前列の者達の屍が生け垣となり、男達は足場が悪い中戦わなくてはならなくなっていた。
少しでもバランスを崩して隙を見せれば、ユヴァの凶刃が首を襲う。
逆に、ユヴァは初めの立ち位置から少しも移動していなかった。その方がこちらにとっては有利だと考える冷静さもまた、ユヴァの優勢の要因である。
自分の手は汚さずに高みの見物を決め込んでいたアレクも、予想外のユヴァの強さに顔を顰めて獰猛に唸っていた。
腕に手を掛けてくる女主人を振り向きもせずに乱暴に突き飛ばし、ユヴァの戦い振りを見詰めている。
隙が出来れば飛び道具などで仕留めてやるつもりでいるのだが、自分がけしかけた男達が邪魔になってそれも叶わない。
だが、まだ焦燥するまでに至っていない。
ユヴァの強さを感心する心の余裕まである。
一人で相手をするには、一騎当千と誉めてしまっても良い程の働きぶりをみせているのだが、いかんせんやはりこちらには人数がいる。
手下は数多く失ってしまうが、このまま放っておけば運が良ければ誰かが仕留め、そうでなくてもその内出血多量で逝ってくれるだろう。
喉で低く笑ったアレクの腕に、またも女が手を掛けて来る。女の事は気にも留めずに、やはりそちらを見ないで腕を振って突き飛ばそうとした瞬間、
「っ……げ…………?」
左手の方向から首に衝撃があり、咄嗟に左手にあった『もの』を剣の柄で思い切り殴り飛ばし、首に手を遣る。
――首には、異物が生えていた。
硬い、棒の様なモノ。
呼吸がままならなくなっていた事に気付き、己の身に何が起こったのかを理解した瞬間には、目の前に一つだけ輝く翡翠色の目があった。
ゴガッ!
物凄い勢いで、落とされた首が壁にぶつかって鈍い音をたてる。
そして、赤い毬が床に落ちて、ほんの僅かにバウンドするとゴロリと転がった。
――静寂。
「……これで、この街のボスは俺だ。……そうだな?」
右腕を不自然にぶらりと下げたユヴァが、動きを止めた男達に向かって静かに呟いた。
屍の山を踏み、血で全身を朱に染めた隻眼の戦士がゆらりと立つ姿を見、誰かが剣を落とした。
木の床と重たい金属がぶつかる不快な音がひとつ響き、それに触発された様に次々と同じ音が連鎖する。戦いを放棄し、敵意がない事を証明するために剣を捨てたのだ。
――と、けたたましい笑い声がした。
鬼神の姿に圧倒的な恐怖と狂気を感じ、気圧されていた男達はぎょっとして笑い声がした方向を見る。
――レナが、笑っていた。
白に近い、グレーの長い髪を振り乱し、冷たく整った顔を解放された水門の様に怒涛の如く押し寄せる笑いの衝動に歪め、狂った様に笑う。そして少し前までこの街を取り仕切っていたアレクであったものを盛んに蹴りつけていた。
美しい顔の左半分は、酷い痣になっていた。だがその痛みも忘れてしまったかのように、細い体をしならせてひいひいと笑い続けていた。
「行こう」
が、なまくらになってしまった剣を収めたユヴァが片手を差し出すと、涙を拭ってからその手を握り返した。
アレクの体を踏みつけ、その上からユヴァに手を引かれて優雅に降りる。そして振り向いて言った。
「母さん、私、ここを出て行くから。貴女は今まで通り、またボスを名乗る男に媚びへつらって嗤い続けていて」
茫然として座り込んでいる母に向かってそう言うと、娘は身軽に階上に駆け上がって行くとブーツを履き、外套を着て戻ってきた。
阿呆の様に口をポカンと開けて彼女を見ている娘達を無視して、台所から適当に食糧を見繕って袋に押し込む。
支度が済むと、感情を得た人形の様な娘と、一夜にして『終わりの街』の王となった隻眼の青年は、肩を並べて酒場を出て行く。
寸前、「この街はどうするんだ!?」と叫んだ誰かに向かって、ユヴァは振り向くと一言だけ告げた。
「好きにしろ」
そして、二度と戻って来る事はなかった。
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