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俺の事で悩んで
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〝大人の恋人ごっこ〟についても、黙っていれば芳乃が物凄い罪悪観を抱くだろうから、「自分にも何かできる事を」という要望に応えやすくしただけだ。
そもそも、彼女と恋人ごっこをしていると、暁人が単純に嬉しいというだけなのだが。
「今は俺のマンションで同棲しています。きっと、結婚についても頷いてくれると思っています」
祖父は長く深い溜め息をついたあと、眼鏡の奥からジロリと孫を睨む。
「その人は、昔の事は覚えていないのか?」
「俺が青葉台の家にいた時、別の名前を名乗って彼女に師事していた頃です。今とは外見も違うし、多分こちらから説明して納得してもらわない限り、自然には思い出さないと思います」
会社の不祥事があった頃の騒ぎは、祖父も記憶に新しいようだ。
その頃に暁人が人を拒絶し、学校でも友達とうまくいっていないようだったと聞いていたからか、気に掛けてはいたようだ。
「その時の俺を、救ってくれた女性です。俺の周りには、見た目や肩書きに惹かれて寄ってくる女性は大勢います。ですが、彼女は人生で一番つらかった時期に側にいて、変わらず接してくれた人です。彼女を心から信頼していますし、彼女がパートナーならきっとうまくやっていけると思っています」
祖父は溜め息をつき、お茶を一口飲む。
隣に座っている着物姿の祖母は、いつものようにニコニコしながらただ話を聞いていた。
「つらい時に、変わらず側にいてくれる存在は大切だな。信頼するに値する」
祖父が言うと、とても重みのある言葉に聞こえる。
「そこまで想っているのなら、特に反対はしない。だが、そのお嬢さんに恋人はいないのか? お前の一方的な気持ちのために、振り回されたりしていないのか?」
言われて、二億円の借金は少しやりすぎたと心の中で反省する。
(俺はいつも、芳乃さんが絡むとやりすぎて塩梅が分からなくなる……)
溜め息をつくが、もうどうしようもできない。
「……それは、自信を持って頷けないですが……」
正直に言うと、祖父は呆れたように溜め息をつく。
「じゃあ、お前から昔の事を打ち明けず、その女性に思い出してもらい、『それでもいい』と今のお前を好きになってもらえたのなら、結婚を許可しよう。片方が一方的に強い想いを持って結婚しようとすれば、うまくいかなくなる」
「ありがとうございます」
ひとまず、一族で最も発言権を持っている祖父を頷かせられたのなら、こっちのものだ。
あとは暁人と芳乃の問題になる。
そう思っていたのだが、芳乃は想像以上に難攻不落だった。
暁人の事を気にしているのは丸わかりで、ベッドの上でだって可愛らしく反応する。
けれどどうしても、心の中にある最後の一線を越えさせてくれない。
じれったさを感じている間に、以前からビジネスの仕事を持ちかけられていたウィリアム・ターナーと、その婚約者のスカーレット・ジャクソンがホテルにやってきた。
ウィリアムが彼女を弄んだだけだというのに、スカーレットの嫉妬と怒りをぶつけられ、彼女は可哀想なまでにショックを受け、落ち込んでいた。
彼女があんな男のためにズタボロになっているのが、許せなかった。
――あいつを心に入れて悩むぐらいなら、俺の事で悩んで。
燃え上がるような怒りと嫉妬を抱えたあと、心配して帰宅すれば芳乃は家を出て行くと言う。
だから、もう祖父との約束を律儀に守ろうとしていたのも忘れ、彼女に気持ちをぶつけてしまった。
**
芳乃は信じられない思いで、目の前にいる暁人を見ていた。
目はまだ涙ぐんでいたが、悲しみの涙ではなく驚きの涙に変わっている。
「……悠人、くん?」
恐る恐る確認した名前に、彼は「はい」と微笑む。
「芳乃さん」
悠人――と思っていた暁人は、手を伸ばして髪を撫でてくる。
芳乃もまた、震える手で彼の頬を撫で、その輪郭を確認した。
その手が触れ合ったかと思うと、ゆっくりと指が絡み握り合う。
知らずと、芳乃の目からまた新たな涙が零れた。
何の涙なのかは、自分でも分からない。
ドッと様々な感情が溢れ出て、自分でもその一つ一つに名前をつけるのが難しかった。
「暁人……さん」
そう呼ぶと、彼が首を横に振った。
彼の意味する事を理解し、芳乃はおずおずと呼び直す。
「暁人……くん?」
それに、彼は苦笑いする。
そもそも、彼女と恋人ごっこをしていると、暁人が単純に嬉しいというだけなのだが。
「今は俺のマンションで同棲しています。きっと、結婚についても頷いてくれると思っています」
祖父は長く深い溜め息をついたあと、眼鏡の奥からジロリと孫を睨む。
「その人は、昔の事は覚えていないのか?」
「俺が青葉台の家にいた時、別の名前を名乗って彼女に師事していた頃です。今とは外見も違うし、多分こちらから説明して納得してもらわない限り、自然には思い出さないと思います」
会社の不祥事があった頃の騒ぎは、祖父も記憶に新しいようだ。
その頃に暁人が人を拒絶し、学校でも友達とうまくいっていないようだったと聞いていたからか、気に掛けてはいたようだ。
「その時の俺を、救ってくれた女性です。俺の周りには、見た目や肩書きに惹かれて寄ってくる女性は大勢います。ですが、彼女は人生で一番つらかった時期に側にいて、変わらず接してくれた人です。彼女を心から信頼していますし、彼女がパートナーならきっとうまくやっていけると思っています」
祖父は溜め息をつき、お茶を一口飲む。
隣に座っている着物姿の祖母は、いつものようにニコニコしながらただ話を聞いていた。
「つらい時に、変わらず側にいてくれる存在は大切だな。信頼するに値する」
祖父が言うと、とても重みのある言葉に聞こえる。
「そこまで想っているのなら、特に反対はしない。だが、そのお嬢さんに恋人はいないのか? お前の一方的な気持ちのために、振り回されたりしていないのか?」
言われて、二億円の借金は少しやりすぎたと心の中で反省する。
(俺はいつも、芳乃さんが絡むとやりすぎて塩梅が分からなくなる……)
溜め息をつくが、もうどうしようもできない。
「……それは、自信を持って頷けないですが……」
正直に言うと、祖父は呆れたように溜め息をつく。
「じゃあ、お前から昔の事を打ち明けず、その女性に思い出してもらい、『それでもいい』と今のお前を好きになってもらえたのなら、結婚を許可しよう。片方が一方的に強い想いを持って結婚しようとすれば、うまくいかなくなる」
「ありがとうございます」
ひとまず、一族で最も発言権を持っている祖父を頷かせられたのなら、こっちのものだ。
あとは暁人と芳乃の問題になる。
そう思っていたのだが、芳乃は想像以上に難攻不落だった。
暁人の事を気にしているのは丸わかりで、ベッドの上でだって可愛らしく反応する。
けれどどうしても、心の中にある最後の一線を越えさせてくれない。
じれったさを感じている間に、以前からビジネスの仕事を持ちかけられていたウィリアム・ターナーと、その婚約者のスカーレット・ジャクソンがホテルにやってきた。
ウィリアムが彼女を弄んだだけだというのに、スカーレットの嫉妬と怒りをぶつけられ、彼女は可哀想なまでにショックを受け、落ち込んでいた。
彼女があんな男のためにズタボロになっているのが、許せなかった。
――あいつを心に入れて悩むぐらいなら、俺の事で悩んで。
燃え上がるような怒りと嫉妬を抱えたあと、心配して帰宅すれば芳乃は家を出て行くと言う。
だから、もう祖父との約束を律儀に守ろうとしていたのも忘れ、彼女に気持ちをぶつけてしまった。
**
芳乃は信じられない思いで、目の前にいる暁人を見ていた。
目はまだ涙ぐんでいたが、悲しみの涙ではなく驚きの涙に変わっている。
「……悠人、くん?」
恐る恐る確認した名前に、彼は「はい」と微笑む。
「芳乃さん」
悠人――と思っていた暁人は、手を伸ばして髪を撫でてくる。
芳乃もまた、震える手で彼の頬を撫で、その輪郭を確認した。
その手が触れ合ったかと思うと、ゆっくりと指が絡み握り合う。
知らずと、芳乃の目からまた新たな涙が零れた。
何の涙なのかは、自分でも分からない。
ドッと様々な感情が溢れ出て、自分でもその一つ一つに名前をつけるのが難しかった。
「暁人……さん」
そう呼ぶと、彼が首を横に振った。
彼の意味する事を理解し、芳乃はおずおずと呼び直す。
「暁人……くん?」
それに、彼は苦笑いする。
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