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仮面王の愛猫1
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式を挙げてからもレックスは精力的に働き、コーネリアは彼から安静にしたままできる仕事を回してもらっていた。
本来なら戦争孤児や遺族の慰問などに行きたい所なのだが、いまだ長時間陽の光に晒されると具合が悪くなってしまう。
その代わりに、バンクロフトから駆けつけた王家の生き残りが、コーネリアの身の回りで代理人として動いてくれていた。
王妃からの言葉ということでコーネリアが文面を書き、慰問すべき人々に対しねぎらいの言葉と直接赴けない詫びを綴った。
代理人が書状を持ちコーネリアの代わりに慰問をしてくれた報告では、みなガイによって幽閉されていたコーネリアを哀れに思っているようだ。
六年間も地下に閉じ込められたままなら、病気がちになっても仕方がないという声や、王都では「王妃は陽を浴びると死んでしまう」という噂まで流れているようだ。
王族に対する噂に尾鰭背鰭がつくのは仕方がないとして、王家の責任が果たせていないと責められてはいないようで安心する。
レックスが同盟国の国々に、グランヴェルを倒した、言ってしまえば約束金であり報酬である家畜や農作物、そして鉱山から出る宝石や金。そのような物の目録を貴族たちと話し合い、制作しては実際贈る物を用意してゆく。
終戦してから約一年経ったが、それまではゴタゴタとした内政を落ち着かせるのに必死だった。コーネリアを見つけて回復を待ち式を挙げられたのも、一つの節目だ。
新王妃の誕生と共に、三国を統合して新たにレアード王国という名を付け、レックスはコーネリアと新たな未知を歩もうとしていた。
基本的にコーネリアはレックスの執務室と続き部屋に住み、何かあればすぐ夫と顔を合わせられるようになっている。
だが六年間愛する女を失った恐怖に駆られ続けたレックスは、とある異様な行動でコーネリアを束縛していた。
コーネリアの左足首には鈴のついた赤いリボンが結ばれ、一歩歩くごとにリンリンと軽やかな音がする。
今日もその音を聞きつつ、コーネリアはこのリボンを付けられた日の事を思い出していた。
「これはなぁに? リボンに鈴……?」
夜の激しい営みが終わり、コーネリアが気絶して起きた時になって、リン……と小さな音がして身を起こす。
脚を上げるとコーネリアのほっそりとした足首に、赤いリボンが結ばれていた。軽くキックをするように足を振ると、リンリンと可愛らしい音がする。
「コーネリア、その鈴をずっと身につけていてほしい」
隣で寝ているレックスに乞われ、コーネリアは困ったように笑う。
「え? でも音が煩わしくありませんか? それに他の者になんと言われるか……」
「頼む。君が生きていて側にいると実感できないと、落ち着いて眠れないんだ。先日君が風邪を引いて寝室を分けていた時があっただろう? あの時だって、一週間近く眠れなくて君に『クマが酷い』と言われたばかりだ」
「確かに……寝不足だと伺いましたが……」
掛布で体を隠したコーネリアを撫で、起き上がったレックスは太腿からふくらはぎを撫で下ろす。
それから彼女の足を自分の膝の上に載せ、愛しげに鈴を見下ろす。
指でピンと弾くと、チリンと小さな音がした。
「君が生活していてこの鈴が鳴っていると、俺は君が生きていると思い安心できる。執務にも集中できるし、何度も席を立って生きているか確認せずに済む」
「それは……確かに……」
レックスは執務を初めて、三十分おきぐらいには席を立ち、続き部屋にいるコーネリアの顔を確認しにくる。
抱き締めてキスをして、五分ほどその存在を確かめてからまた執務室に戻るのだ。
宰相からは「王妃陛下からも、執務に集中されるようお口添えください」と言われるのだが、何かに怯えるような顔で自分を抱き締めるレックスを見ると、何も言えなくなる。
「一番の被害者はコーネリアだと思っている。六年も侍女の顔しか見ず、暗い場所に閉じ込められて人が普通に受けるべき日差しの恩恵すら忘れてしまった。だが翌年には結婚すると思っていた婚約者を突如として失い、六年ものあいだ彷徨った俺の心も理解してくれ。『国王は王妃がいないと何もできない』と言われてもいい。君が生きていると実感したいんだ」
そう言ってレックスはコーネリアの足の甲に唇をつけ、またチリンと鈴を鳴らす。
「……分かりました。鈴をつけるぐらいで、あなたが執務に集中できるのならそうしましょう」
理解を示すと、レックスは心の底から安堵した顔を見せた。
「……と言ったのは私なのだけれど……」
デスクの上に山積みになっていた周辺国の外国語辞典を抱え、コーネリアは本棚へ戻しに行く。歩くたびにリンリンと音が鳴り、コーネリアの存在を知らしめる。
「けれど鈴をつけるようになってから、陛下の〝休憩〟も減ったようで安心したわ」
ずっと座りっぱなしで沈黙していると、また以前のようにレックスがやってくるので、コーネリアは三十分以内には理由をつけて立ち上がるようにしている。
本当は部屋の外にも出たい気持ちはあるのだが、以前通りすがりにどこぞの貴族の娘が「飼い猫みたい」と小さく囁いていたのを耳にし、とても恥ずかしく思ったのだ。
そんな事を言われたとレックスに言えるはずもなく、コーネリアは基本的に続き部屋でのみ過ごすようになった。
中庭などに散歩する時は、レックスも同行してくれるのでそのような口を利く者はいない。
一時気にしてシンシアに「鈴の事に関して、私に何か噂は流れていない?」と尋ねたところ、彼女は非常に気まずそうな顔をして教えてくれた。
『王妃陛下は〝仮面王〟の愛猫』。
――まぁ、確かに……。
と頷いてしまう自分はいる。こんな風に歩き回るごとにリンリンと鈴を鳴らせば、猫のようだと言われて当たり前だ。
野良猫でなはく、飼い主がいると知らしめる鈴なのだから飼い猫。
レックスが『仮面王』と呼ばれているのも、戦争中は感情が乏しくすべてに絶望していたような節があったそうなので、仕方のない事なのだろう。もっともコーネリアは以前のレックスを知っているし、現在の彼だって愛情深い顔をしとても優しい人だと知っている。
(噂はあくまで噂なのよね。本当の事や、そこに至る過程をちゃんと知っている人は、当事者の近くにいる限られた人だけなのだわ)
「はぁ……。どうしようかしら」
必要な書類は書いてしまい、あとは配達に出すだけだ。
レックスが王として戦争後の後始末を続けている傍ら、コーネリアは主に結婚した後の挨拶状などを担当している。
主な文面をレックスの代わりに書き、最後にレックスがサインをするという流れだ。
ちらりと時計を確認すると、レックスの仕事終わりの時間まであと一時間ある。早めに行って邪魔をしてはいけないので、シンシアとお茶をする事にした。
チリンとベルを鳴らすとすぐシンシアが姿を現し、「お呼びでしょうか?」と慣れ親しんだ顔で微笑む。
「お茶をお願いできる? あと一時間、陛下のお仕事が終わるまで一緒に時間を過ごしてほしいの」
「勿体ないお言葉にございます。すぐ支度をしますので、お待ちください」
この六年姉のように、時に母のように側にいて守ってくれた侍女は、レックスの前では喉に何かがつっかえた話し方しかできない。
その原因に、コーネリアも薄々と勘づいていた。
本来なら戦争孤児や遺族の慰問などに行きたい所なのだが、いまだ長時間陽の光に晒されると具合が悪くなってしまう。
その代わりに、バンクロフトから駆けつけた王家の生き残りが、コーネリアの身の回りで代理人として動いてくれていた。
王妃からの言葉ということでコーネリアが文面を書き、慰問すべき人々に対しねぎらいの言葉と直接赴けない詫びを綴った。
代理人が書状を持ちコーネリアの代わりに慰問をしてくれた報告では、みなガイによって幽閉されていたコーネリアを哀れに思っているようだ。
六年間も地下に閉じ込められたままなら、病気がちになっても仕方がないという声や、王都では「王妃は陽を浴びると死んでしまう」という噂まで流れているようだ。
王族に対する噂に尾鰭背鰭がつくのは仕方がないとして、王家の責任が果たせていないと責められてはいないようで安心する。
レックスが同盟国の国々に、グランヴェルを倒した、言ってしまえば約束金であり報酬である家畜や農作物、そして鉱山から出る宝石や金。そのような物の目録を貴族たちと話し合い、制作しては実際贈る物を用意してゆく。
終戦してから約一年経ったが、それまではゴタゴタとした内政を落ち着かせるのに必死だった。コーネリアを見つけて回復を待ち式を挙げられたのも、一つの節目だ。
新王妃の誕生と共に、三国を統合して新たにレアード王国という名を付け、レックスはコーネリアと新たな未知を歩もうとしていた。
基本的にコーネリアはレックスの執務室と続き部屋に住み、何かあればすぐ夫と顔を合わせられるようになっている。
だが六年間愛する女を失った恐怖に駆られ続けたレックスは、とある異様な行動でコーネリアを束縛していた。
コーネリアの左足首には鈴のついた赤いリボンが結ばれ、一歩歩くごとにリンリンと軽やかな音がする。
今日もその音を聞きつつ、コーネリアはこのリボンを付けられた日の事を思い出していた。
「これはなぁに? リボンに鈴……?」
夜の激しい営みが終わり、コーネリアが気絶して起きた時になって、リン……と小さな音がして身を起こす。
脚を上げるとコーネリアのほっそりとした足首に、赤いリボンが結ばれていた。軽くキックをするように足を振ると、リンリンと可愛らしい音がする。
「コーネリア、その鈴をずっと身につけていてほしい」
隣で寝ているレックスに乞われ、コーネリアは困ったように笑う。
「え? でも音が煩わしくありませんか? それに他の者になんと言われるか……」
「頼む。君が生きていて側にいると実感できないと、落ち着いて眠れないんだ。先日君が風邪を引いて寝室を分けていた時があっただろう? あの時だって、一週間近く眠れなくて君に『クマが酷い』と言われたばかりだ」
「確かに……寝不足だと伺いましたが……」
掛布で体を隠したコーネリアを撫で、起き上がったレックスは太腿からふくらはぎを撫で下ろす。
それから彼女の足を自分の膝の上に載せ、愛しげに鈴を見下ろす。
指でピンと弾くと、チリンと小さな音がした。
「君が生活していてこの鈴が鳴っていると、俺は君が生きていると思い安心できる。執務にも集中できるし、何度も席を立って生きているか確認せずに済む」
「それは……確かに……」
レックスは執務を初めて、三十分おきぐらいには席を立ち、続き部屋にいるコーネリアの顔を確認しにくる。
抱き締めてキスをして、五分ほどその存在を確かめてからまた執務室に戻るのだ。
宰相からは「王妃陛下からも、執務に集中されるようお口添えください」と言われるのだが、何かに怯えるような顔で自分を抱き締めるレックスを見ると、何も言えなくなる。
「一番の被害者はコーネリアだと思っている。六年も侍女の顔しか見ず、暗い場所に閉じ込められて人が普通に受けるべき日差しの恩恵すら忘れてしまった。だが翌年には結婚すると思っていた婚約者を突如として失い、六年ものあいだ彷徨った俺の心も理解してくれ。『国王は王妃がいないと何もできない』と言われてもいい。君が生きていると実感したいんだ」
そう言ってレックスはコーネリアの足の甲に唇をつけ、またチリンと鈴を鳴らす。
「……分かりました。鈴をつけるぐらいで、あなたが執務に集中できるのならそうしましょう」
理解を示すと、レックスは心の底から安堵した顔を見せた。
「……と言ったのは私なのだけれど……」
デスクの上に山積みになっていた周辺国の外国語辞典を抱え、コーネリアは本棚へ戻しに行く。歩くたびにリンリンと音が鳴り、コーネリアの存在を知らしめる。
「けれど鈴をつけるようになってから、陛下の〝休憩〟も減ったようで安心したわ」
ずっと座りっぱなしで沈黙していると、また以前のようにレックスがやってくるので、コーネリアは三十分以内には理由をつけて立ち上がるようにしている。
本当は部屋の外にも出たい気持ちはあるのだが、以前通りすがりにどこぞの貴族の娘が「飼い猫みたい」と小さく囁いていたのを耳にし、とても恥ずかしく思ったのだ。
そんな事を言われたとレックスに言えるはずもなく、コーネリアは基本的に続き部屋でのみ過ごすようになった。
中庭などに散歩する時は、レックスも同行してくれるのでそのような口を利く者はいない。
一時気にしてシンシアに「鈴の事に関して、私に何か噂は流れていない?」と尋ねたところ、彼女は非常に気まずそうな顔をして教えてくれた。
『王妃陛下は〝仮面王〟の愛猫』。
――まぁ、確かに……。
と頷いてしまう自分はいる。こんな風に歩き回るごとにリンリンと鈴を鳴らせば、猫のようだと言われて当たり前だ。
野良猫でなはく、飼い主がいると知らしめる鈴なのだから飼い猫。
レックスが『仮面王』と呼ばれているのも、戦争中は感情が乏しくすべてに絶望していたような節があったそうなので、仕方のない事なのだろう。もっともコーネリアは以前のレックスを知っているし、現在の彼だって愛情深い顔をしとても優しい人だと知っている。
(噂はあくまで噂なのよね。本当の事や、そこに至る過程をちゃんと知っている人は、当事者の近くにいる限られた人だけなのだわ)
「はぁ……。どうしようかしら」
必要な書類は書いてしまい、あとは配達に出すだけだ。
レックスが王として戦争後の後始末を続けている傍ら、コーネリアは主に結婚した後の挨拶状などを担当している。
主な文面をレックスの代わりに書き、最後にレックスがサインをするという流れだ。
ちらりと時計を確認すると、レックスの仕事終わりの時間まであと一時間ある。早めに行って邪魔をしてはいけないので、シンシアとお茶をする事にした。
チリンとベルを鳴らすとすぐシンシアが姿を現し、「お呼びでしょうか?」と慣れ親しんだ顔で微笑む。
「お茶をお願いできる? あと一時間、陛下のお仕事が終わるまで一緒に時間を過ごしてほしいの」
「勿体ないお言葉にございます。すぐ支度をしますので、お待ちください」
この六年姉のように、時に母のように側にいて守ってくれた侍女は、レックスの前では喉に何かがつっかえた話し方しかできない。
その原因に、コーネリアも薄々と勘づいていた。
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