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12. 凶兆
しおりを挟む仕事帰りにギルドへ立ち寄って、短い時間だけ立ち話。
時折、シェルの家へ行って、あれから少し興味の湧いた花飾り作りを見せてもらったり、ベリルのことを惚気たり。
忙しい仕事の間も、トールによる一喝が効いたのか、声を掛けられることは格段と少なくなった。
胸元を大きく開けた色気のある服よりも、落ち着いたものがいいかなと服を見に行ったり、引っ越すならば必要なものを買わないといけないのではと考えたり。
穏やかな時間を過ごしている間に、気づけば十日過ぎていた。
帰宅目安なので、十日ぴったりに戻るわけではない。道中何かあれば数日のズレはあるものだ。
南の田舎町から国東でもかなり大きなこのフォルナクスへ家出同然で飛び出したときも、予想以上に時間が掛かったことを今でも鮮明に彼女は覚えていたため、仕事へ出る準備をして昼頃には家を出た。
「あっれぇぇ、アゲートちゃん! 昼前から顔を合わすなんて運命だね!」
今日帰るかな、明日かな。
それとももう少し掛かるかな。
そんなことを考えながら路地を歩いていたためか、道を間違えて花屋の横に出てしまった。
おかげでやたらとナンパな店主のジルの声を聞く羽目になったので、呆れる。
「仕事へ行くために通りへ出て顔を合わせただけで運命を感じるなんて、もうそれは病気だと思うの」
「ああ心配してくれるんだね! ありがとう! ぜひお茶でもどうだい!」
「話し聞いてる? 仕事へ行かなきゃいけないから遠慮しとく」
「まあまあ遠慮せず! 良いお茶が手に入ったんだよ~! 香りもよくてさ! 一杯だけ! 一杯だけだから!」
うんざりしながらも人の腕をぐいぐいと遠慮なしに引っ張る男の腕を振り払おうとしたのだが。
「ちょいと真面目な話しをしたいのさ」
ぽつり、驚くほど小さな声が聞こえてきたので引っ張られるままにアゲートは店内へ。
とはいっても花屋なので店内は花だらけ。
店の扉も閉じていない。大声を出せば通り中に聞こえるだろうし、よくも悪くも丸見え。ささっと準備された椅子に腰掛けて、彼の準備するお茶の入ったグラスを受け取る。
ピンク色の、確かにいい香りが漂うお茶だ。
「あ、いい香り…」
「だよね! この前知人から貰ってさー! 美しい女性に振る舞ってんだよね、このお茶は美容にいいんだってさ!」
「美容に…確かに興味出る」
ピンク色のいい香りに加えて、美味。しかも美容にいいと聞けば、興味が湧くのも当然で。
温かなそのお茶を飲みながら目の前のテーブルに寄りかかって自分も同じお茶を飲むジルを見たところで、目が合った。
「話しって?」
普通の音量で聞いたせいか、ジルはにこにことしたまま。
どうしたのだろうと首を傾げたところで、急に普段の調子で喋りだした。
「シェルさんがさ、アゲートの配色センスが良いって褒めてたよ!」
「そ、そうなんだ」
「で、近いうちにまたおいでって言ってたから行ってくるといいよ! 貴重な話しを聞かせてくれると思うからさ! この茶葉差し入れに持ってって! あ、アゲートにもあげるから!」
勉強は苦手だったし、彼女は自分のことを賢いとは考えていない。
だが酒場で色々な人を見てきたことで、勘が働いた。ジルの言葉に引っかかるものがあって、差し出された茶葉を入れた紙袋を受け取り、いつもの営業スマイルで頷く。
「そうする。ありがとう」
「またねぇぇぇぇ!!」
いつものように両手を振りながらの見送りに苦笑いを浮かべ、仕事が始まるまでもう少し時間があるので、茶葉を届けにシェルの家へ足を向けた。
花屋は東西を結ぶ町道の西に位置している。
通りを挟んだ反対側に、この町でも有名な激安宿ススリ。その隣に伸びる細い路地へ入り、しばらく進んだ南西地区に花飾りを教えてくれたシェルの家はあった。
戸を叩くと「はぁーい」という最近よく聞く声。
戸を開けたのは、いつもの穏やかで優しげなシェルの顔。
「あら、アゲートじゃない。どうしたの? 仕事は?」
「ジルから預かったので、先に届けようかと思って」
「ありがとう! 美味しいお菓子の差し入れを貰ったの、小腹を満たしてから仕事行って。さ、どうぞ!」
大きく扉が開かれたので、受け渡した茶葉入りの袋を持ってキッチンに向かったシェルを見送りながら、慣れた足取りで室内へ。
「そこ座ってて~」
「ありがとうございます」
以前一緒に花飾りを作った椅子に腰掛けたところで、キッチンからお菓子を持ってシェルが戻ってきた。
だが先程出迎えたときのような明るい表情ではない。
不思議に思い、アゲートが彼女へ尋ねようとしたが、先に相手から切り出された。
「これ」
指先で差し出される小さなメモ用紙。
走り書きで、『怪しい男がアゲートの家を探してるから注意』とあって、アゲートが一気に青ざめた。
「相手に予想つく?」
頭を大きく左右に振る。
「ベリルは?」
「戻るのは早くて今日…です」
「じゃあいる間は安心ね。でも不在時が心配だわね、…私も曲りなりに元冒険者だけどすぐ辞めたから強くはないし。もちろん何かあれば私のところへ来てほしいけど、強い人で頼れる知り合いはいる?」
「最近…ジャスパ経由でギルドのルサミナさんと…知り合いに…」
ルサミナの名を出した途端、シェルの険しい表情が一気に安堵へと変化する。
「ルサミナさんと知り合っているなら、彼女に頼ればいいわ! ルサミナさんから弟子の話しを聞いたことはあるけど、ジャスパは新進気鋭と呼ばれるだけあるわね! 相変わらずいい仕事する」
想像以上に安心した顔になったために、アゲートは恐る恐るシェルへ尋ねた。
「失礼を承知で聞きたいんですが、…ルサミナさんってどう見ても、強そうには見えなくて」
「ああそうよね、今の見た目じゃ気さくな受付さんにしか見えないもの! あの人、ああ見えて相当な実力者よ。一度だけギルドで暴れているBランク冒険者を抑え込んだ現場にいたんだけど、流れるように叩きのめしていたのは爽快だったわぁ」
うっとりとした顔でシェルが当時を思い出しながら呟き、そして気を取り直したように「ふむ」と腕を組んで何か考え込んで、
「んー…。やっぱり、この件は私にちょっと考えがあるから、任せて!」
にっこり微笑むシェルに、アゲートは訳が分からない状況ながらも頷くしかない。
差し出されたお菓子を一つ受け取り口に運ぶと、また一緒に花飾り作りしましょと誘われたので「もちろんです」と笑ってようやく仕事へ足を向けた。
細い路地を歩くよりは一度大通りに出たほうが早いので、アゲートは一旦ススリの横の細い路地から通りへ出ると、そこから街道と町道の交わる噴水横を通り抜け、職場へ。
歩きながら、頭の中は不安だらけだった。
ベリルがいれば安心だが、不在時はどうすればいいだろうか。
シェルが任せてと言っているのだから、任せるしかないのだろうか。
自分でできる自衛はできないのだろうか。
頭の中はそんなことしか浮かばない。解決策はどうしても浮かばず、見えてきた酒場を見てため息が出たときだった。
「どうしたーね?」
「!」
声を掛けてきた主がすぐに誰か分かって、彼女は急いで顔を上げた。
不思議そうな顔を浮かべている、十日ぶりのベリルだ。
胸の中に渦巻く不安のまま、抱きついてしまいたい衝動に駆られたが、どうにかぐっと我慢して。
苦笑いを見せた。
「仕事憂鬱だなーって」
「ふーん」
「おかえりなさい」
「ただいまーよ」
色付きメガネの向こうで、あの温かな赤い目を細めているのがなんとなく彼女にも分かる。
「疲れたから家で休む?」
「そうさせてもらおうと考えてたーね」
「鍵どうぞ」
手のひらに鍵をそっと乗せて「行ってきます」と笑顔で手を振り酒場へ。
不安で震えそうな心地はしたが、どうにか笑えて彼女自身もホッとした。
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