たくさんのキスをして

白井はやて

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21. 誕生日の話し

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 想い人不在の町はいつもと変わらず賑やかで楽しいところだが、彼女にとって火が消えたかのような空間だった。
 たった十日、とは思っていても、ぴったりと帰る保証はない。
 危険な依頼をする話しを聞いてはいないから怪我をすることはないはずと分かっていても、無事を祈りたくなる。
 寂しさは募る一方だ。
 働いている時間と、シェルやマリーと過ごす時間だけはその寂しさを一時的に考えずに済んだので、休日前にはシェルの家へ泊まらせてもらって気分を明るくできるよう日々を過ごしていた。
 大丈夫だと伝えてもシェルは心配して仕事終わりに迎えへ来てくれており、酒場の営業時間が終わる少し前からギルドでルサミナと語り合って過ごしていたようだ。
 時折一緒に外で語り合いながら待っている姿を見かけていたが、この日は彼女の隣にいるのがルサミナではなく、ベリルとジャスパだった。
 その姿を見た瞬間、アゲートは足の速度を落として隣を歩くマリーへ小声で話しかける。

「あの、あたし変じゃないですか?」
「大丈夫よ? いつも通り」
「ちょっとゆっくりめに歩いて、深呼吸します…久しぶりに会うと緊張する」
「そうね」

 微笑んでマリーもまた速度を落とし隣を歩きながら背中を軽く摩ってくれたので、思い切り息を吸って吐いて、早くなった鼓動を落ち着かせた。
 とはいえ早まった鼓動が数回の深呼吸で落ち着いてくれるはずもなく、速度を落としてもすぐに彼らの前へとたどり着く。

「おかえり」

 二人の顔を交互に見ながら首を傾げつつ笑いかけると、少しだけ顔を逸らしながらもベリルが「ただいま」と返してくる。
 やはり顔を逸らし気味ではあるが不機嫌な様子でもないため、アゲートが不思議そうに彼を見上げたところで、隣にいたジャスパがいつもと変わらないヘラヘラとした笑みで片手を振った。

「すまん、今夜も宿代わりにしていいか?」
「ベリルが了承するなら、あたしは問題ないよ」

 頷くと、ジャスパが満面笑顔で「ありがとな」と返してくる。
 そんなやり取りを見ていたシェルが腰に手をやりながら、

「それじゃね。アゲート、ベリルたちが仕事へ行ったらまた泊まりおいでよ」
「また明日ねー」
「ありがとうございます」

 シェルとマリーの二人が笑顔で南西地区の路地へと入っていく姿を見送りながら、軽く手を振った。
 改めて二人を見上げると、それを合図としたかのように歩き出したのでアゲートもまた借家へと足を向けた。十日ほど前も同じように家へと帰ったなとアゲートは思いつつ、話しかける。

「今日戻ってきたんだ?」
「そ。夕方くらいだったかな。タイガーさんと話してたらこんな遅くなっちまってさ」
「タイガーさん?」

 聞き覚えのない名前を思わず復唱すると、ベリルから答えが返された。

「ここのギルドマスターだーよ」
「そうなんだ」

 頷いたところで家にたどり着いたため、鍵を開け中へと入る。
 静かな室内のランタンを数個付けてしまうと、先日のように二人をダイニングに置いて「おやすみ」と声をかけてから寝室へと入り戸を閉めた。
 向こう側から聞こえる、ぽつりぽつりとした話し声に仲がいいんだなぁと思わず笑顔になってしまう。
 次の日には再び家から追い出されたのか、朝起きて行った時点でジャスパの姿はなく、しかもレグルのパンを買ってきたようで袋詰めにされた焼きたてのパンが数個テーブルに置いてある。

「パン買ってきたの? 美味しそう」
「昨夜も食べられなくて空腹だったーね」
「あたしも一つもらっていい?」
「どうぞ」

 ベリルが座った正面に腰掛け、二人でのんびり朝食を食べる。
 香ばしいパンの焼いた香りが室内に広がり、好きな甘いパンを齧りながら好きな人と食事をする。これだけでアゲートは嬉しくて幸せだった。
 ニコニコとしているアゲートを時折チラ見していたベリルからすれば、何故笑顔なのか理解しがたいものではあったが、ご機嫌な様子に頬が緩まる。
 そうやって朝食を食べ、お茶でも飲もうということになり、アゲートが淹れようと立ち上がってキッチンに立ったときだった。
 位置としてはベリルの背後がキッチンで、彼女が彼の背後に立った状態のタイミングで

「…ひゃあ!」

 悲鳴と共に慌てた様子で斜め後ろから彼女に抱きつかれた。

「ど、どう…っ!」
「大きな虫が! ヤだぁ!」

 抱きつく腕に力がこもり、微かに震えているのがベリルにも伝わる。

「虫?」
「……うう」

 半べそでアゲートが体を離して視線をある方向へと向けたため追いかける。
 その先には手のひらほどの大きさの、黒い羽根を持つ虫が窓に張り付いていた。

「外に出せば良いーね?」
「お願いします…」

 張り付いている窓から指で挟んで外へと放すと、飛んでどこかへ行く虫を見送り、窓を閉める。
 軽く手を洗っていると、赤い顔を恥ずかしげに両手で押さえてアゲートが聞いてもいないのに説明し始めた。

「たまに虫が入ってきてることはあるんだよ…何もしないならいいんだけど、何故か突然あたしの目の前へ現れたり、さっきみたいに頭の上から降ってきたりしてもうそうなると驚きが先行して悲鳴あげてしまって……っ!」
「頭に降ってきたら誰でも驚くーね」
「うう、ありがとう。ごめんね急に……その、抱きついて」

 涙目で真っ直ぐ自分を見つめてそう謝罪してきた顔を見て、メガネかけておけば良かったとベリルは少しばかり後悔した。
 どうしても真っ直ぐに見れない。
 無言のまま笑うことで目を逸らして椅子に座り、背後でお茶を淹れる動作を始めたアゲートへ背中越しに話しかける。

「しばらく、は、町にいるから。いる間くらいは虫出たら頼って」
「うんっ、ありがとう!」

 弾んだ声が聞こえたので、ホッと胸を撫で下ろしてから顔だけで後ろを振り向いた。
 洗い場などを中心に、虫がいないか怖々と確認している。微妙に距離を取って。
 その様子がおかしくて、ついベリルは噴き出してから尋ねた。

「代わろうか?」
「だっ、大丈夫!」
 
 ハッとした表情でアゲートが拳を握りしめるも、やはりキッチンとの距離は縮まらない。

「もう居ないと思うが確認しようか?」
「……おおお願いします…」
 
 笑顔を少し引き攣らせて頷いたので椅子から立ち上がりキッチンの隙間などを覗き込む。
 特に備え付けの棚の隙間を見える範囲で見てから「大丈夫だと思う」と彼女を見て声をかけようと振り向いたところで、同じように覗き込むためなのか予想以上に距離が近くて一瞬体が硬直した。
 すぐに目を逸らす。

「いなさそう?」
「大丈夫、と思う」
「ありがとう……!」

 手を叩いて喜び、アゲートは改めてお茶を淹れる。
 お湯を沸かして、カップを出して。手慣れたように動いて、茶葉を入れたティーポットへ湯気を上げる熱湯を注いでいった。
 全体的には白いが、側面に可愛らしい色とりどりの花柄が描かれているティーポットだ。

「こんなティーポット持ってたんだ」
「ううん、この前買ったんだよ。シェルさんマリーさんとショッピング行ったときに見つけて、可愛い! って一目で気に入っちゃって。いつもなら諦めるんだけど、来月誕生日だし、早めの自分へのプレゼントってことで」

 照れ笑いを浮かべたアゲートが淹れてくれたお茶に、ベリルは口を付ける。
 頭の隅に、来月誕生日なのかと言葉が浮かんでいる彼の正面で、同じお茶を飲もうと口へ運びながらアゲートもまた内心慌てていた。
 そんなつもりは全くなかったが、今の言い方はまるで誕生日プレゼントを催促しているように聞こえるのでは?
 要らないからねと言いたい気持ちがある反面、もらえたら嬉しいという気持ちもあり、言葉にすれば考えてもいなかった人に今度こそ催促してしまうのではないだろうかと頭の中でぐるぐると思考が巡っていく。
 カップに口は付けるものの飲まないまま硬直していると、いつの間にか顔を背けているベリルから話しかけられた。

「誕生日にこっち居るかわからないから、なんか考えとく」
「え、えっと………いいの?」
「うん」

 胸の内がくすぐったくなる心地になりながら、アゲートは彼の言葉を反芻する。
 プレゼント貰える…! 嬉しい!
 今にも踊りたくなりそうな気持ちで、今度こそ熱いお茶を飲んだ。


 
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