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中編
しおりを挟む自動ドアが開かなかったスーパーから、釣りをする予定の港までは徒歩で約十分程。
だがそれは自分が元気に歩いて掛かる時間で、今日は思ったよりも時間が掛かっている。
理由としては後ろから白いワンピースのようなシャツ一枚で身を包んでいる細身のひばりがついて来ており、離れすぎないように気を使っているためなのだが、顔だけ何度も振り向いてようやく気がつく。
自動ドアが反応しないこと。そして、ひばり以外の誰かと言葉を交わすこともできないことから、幽霊などと言われる状態なのかもしれない。それなら無反応なことに納得できた。
仮に幽霊であるならば本来の肉体ではないのだから、入院していたというひばりの体が細いのはそのまま投影されているとしても体力に関しては別なのではないだろうか?
背後との距離感を確認するために無意識にしていた何度目かの振り返りで、ひばりへ問うことにした。
「今、たぶん幽霊って状態なんだよね?」
「そうだと思う」
「こういうときも体力まで現実と同じになるものなのかな?」
「……うーん」
眉を寄せてひばりが首を傾げた。
どうやら彼女もそのことに関して考えていたようで、前方を歩く自分をそれまでと同じ速度で追いかけながら腕を組んだ。
「体力も現実と繋がってはいないと思うんだよね。だってこんなに歩けないよ、まだ退院してから日が浅くて、五分も外を歩けないから」
「……」
そこに思い当たらず、足を止める。
入院したことのない身からすれば、どんな状態なのか想像するしかないが、どれだけ想像しても体験していないために想像力は乏しい。
入院していたがために体力がないのは予想しても、五分と歩けないというのは考えてもいなかった。
となれば、彼女の体力は現実と無関係。
歩みが遅いのは別の理由なのだろうか。
聞いていいものか一瞬迷ったが、どうせこれは幽霊という現実とは少し違う状況下なのだから、歩みを再開しながら気にせず聞いてみることにした。
「体力が現実と関係ないなら、なんで歩き方が遅いの?」
「ああ、それは説明できるよ」
楽しげな声が背後から聞こえて来たので再度振り向く。
声の通り、ひばりは笑顔を浮かべていて、はっきりと言い切った。
「入院していた病室から、退院したあとも自室から、ずっと外を見ていたんだ。外に行きたいけど体力もなければ許可もされていなかった。数歩歩けば確かに外なのに、太陽の下を歩くことは叶わなかった。今、幽霊という状態で現実ではないとしても、自由に自分の足で歩けるのは何にも変え難く嬉しいもので、つい周囲を見回してしまうんだ」
「そっか」
そこに浮かべる笑顔は本当に嬉しそうで、説明されて納得のいくものだったので釣られて笑う。
「入院中やりたいことが色々あって、でも出来るわけじゃないから動画見て気を紛らわせていたんだ。今はね、なずなと釣りもしてみたい」
「今日は何も釣れないよ現実とは違うんだし」
「良いんだよ、動画を介してしか知り得なかったものを見れるのは貴重だから」
目鼻立ちの整っている顔立ちの相手から花が咲くかのように感じられる華やかな笑顔を向けられた上、何より自分の好きな釣りに対して興味を感じる言葉を聞かされれば悪い気もしないわけで。
港に着いたら竿を投げさせてみるのもアリかななんて少しばかり得意げに先輩気分で歩いていた。
あと少しで到着する、と思考しながら足を進めていて。
ハッと気づいて、振り向いた。
どうしたの、なんてひばりから不思議そうに尋ねられたが、今視線を向けているのはたった今通り過ぎた店へだ。
荒田氷室という所謂天然氷を扱う店で、釣りをする前にここから氷を買ったこともあるし、夏場の暑い中、かき氷を買って食べた記憶もある行きつけの氷室屋。
その店の前に佇んでいた人が、こちらを目で追っていたことに気づいた。
店の前に設置されている古めかしい木の長椅子は夏場に子供たちが買ったかき氷を座りながら食べる場所なのだが、今は子供も不在のために一人の女性が座っているだけ。
上品な白髪は一つに結い上げられ、淡い緑色のワンピースと薄手のカーディガンを羽織り、白い手袋を付けている。
普段使用しているだろう杖に手をおいて、じっとこちらへ目を向けているのでひばりをチラ見してから声をかけてみることにした。
「あの、私たちが見えるんですか?」
問いかけを口にした自分でその言葉を奇妙に感じていると、老婆は柔らかく目を細めてゆっくりと頷く。
「見えとるよ」
「……!」
思わず二人で顔を見合わす。
お互い以外で言葉を交わすことができたこともこの状態になって初めてだったからだ。
現実とは違う状況で何故この老婆には見えるのだろうと尋ねるつもりで声を発しようとしたが、その前に老婆から言葉が続く。
「生きとるのに昼間から幽体で彷徨いて、あんたらこそどうしたんだい?」
「私たち、どうしてこんな状態になっているのかもよく分かってなくて」
「その割には落ち着いとるねぇ」
ほほほ、と老婆が目尻にたくさんの皺を寄せておかしそうに笑う。
慌てたところで現実に戻れるわけでもないしと呟いていると、老婆から手招かれて二人は歩み寄る。
「帰るかい?」
「帰る?」
二人で再び顔を見合わせる。
その言葉の意味が理解できなかったからなのだが、老婆はにこにこと穏やかな笑顔のままで意味を伝えてくれた。
「自分の体にだよ」
説明されて意味を理解したもののすぐに「帰る」と言えないでいると、隣にいたひばりから質問が口について出た。
「すぐ帰らないといけない?」
「今の状態を見るにあと一時間くらいであれば戻らなくてもいいだろうがね、遅くなればなるほどに戻りにくくなるがいいのかね」
「なずな、釣り場まであとどれくらい?」
「歩いてあと五分くらいで着くと思う」
「あと三十分だけ、少しだけでいいから……まだ帰りたくない。現実の体は重たくて全然思うようにいかない。夢ではないみたいだけど、もう少しだけ自由に動いていたい」
口にされた願いを聞きながら、ひばりを見つめる。思い詰めた表情で細い右腕をぎゅっと自分の左手で力を入れて掴んでいた。
そんな彼女をじっと無言で見つめてから、持っている竿を握りしめて荒田氷室の長椅子に腰掛けてこちらの動向を見守っている老婆へと肩を竦めて笑いかけた。
頭には自分のパパの顔が浮かんでいる。
「……せっかくなので三十分だけ付き合ってから自分の体に帰ります。どうやって帰ればいいか教えてもらえますか?」
「帰りたいときにはこの婆のところへ戻っておいで。ここで待っててあげるからねぇ」
「分かった。ありがとう、おばあさん。なずなも」
「いいよ、ひばりを置いて帰るのもなんだか気が引けるし」
ひばりへ向けて笑って。
二人、老婆へ手を振って一旦港へ足を向ける。
港までの道は車が行き交ってはいるものの主要道路と比べれば比較的少なくて、歩いている人はもっと少ない。
それでもきちんと歩道は作られているので、自分たちが触れることができないと分かっていても車道ではなく歩道を二人並んで歩く。先ほどよりもひばりの速度は早めで、説明通り周囲を見回しながら歩いていたため先ほどは遅かったようだ。
「何を釣るつもりだったの?」
「んー、ただ釣りをしたかっただけで目的の魚がいるわけではないんだよね」
「そうなんだ。まあ今日は全然釣れないよね」
あははと楽しそうな笑い声をあげてひばりが隣を歩く。
帰りたくないと苦しげに言っていた人物と同じには思えないほどだったが、現実に戻りたくない気持ちは痛いほど理解できる。
頭からパパの顔が離れない。
「――……パパ」
釣竿を握りしめて頭に浮かんだ映像と共に無意識に呼んだ言葉はあまりにも小さかったようで、隣のひばりにさえよく聞こえなかったようだ。
「ん?」
不思議そうな顔でこちらを見て首を傾げたので、「何でもない」と笑い返して前を指差す。
目的地としていた港が見えてきている。
「あそこで釣ろっか」
「うん!」
満面笑顔のひばりに釣られて自分も笑ってから、二人で港の堤防へと足を進めた。
いつのまにか潮の香りが周囲に漂っていて、小さな漁船が港へ戻って来ている姿が遠目でも確認できる。
「どんな風にするのか教えてくれる?」
釣りをしたことがないと言っていたひばりの言葉に笑顔で頷いて返した。
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