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12.謝罪
しおりを挟む午前の鍛錬を終えて汗を拭いながら、朝陽は胸の内でため息を吐く。
顔を合わせてはいるが、下の兄風苅との勝負を経てからというもの、向こうから話しかけたり無理に絡んでくることも目を合わせることさえ無くなったのはかなりありがたいことであると同時にある意味何を仕出かしてくるか分からない恐怖も少なからずあった。
跡継ぎのことを言及されて見極め期間となってから四年あまり、鍛錬と称した行為は激しいものこそ父親が滞在していれば一時的に収まるものの、細々としたものを含めれば止まることはなかったためだ。
大事な人にだけは手を出すなと釘を差したから綾菜は今後も大丈夫、…なはず。そう頭の中で考えていると、
「朝陽」
一番上で三つ年上の兄、理嗣が静かに声を掛けてきた。
今までのような荒い口調は影を潜めてはいるが、顎で相手の行動を促してくるどこか傲慢さを隠しきれないところに変化はない。
行きたくないと嘆きつつも朝陽は無言で兄の後ろをついていく。
手には鍛錬のときに使用した竹刀は手にしたままだ。
何かあったときのため。以前なら、こういうときでも持ち込まなかったが、数日前に兄二人へ啖呵を切った以上もう隠す必要もない。そんなことを頭の片隅で考えていた。
だが、そんな考えは取り越し苦労だった。
兄の私室へたどり着くなり、理嗣は部屋の真ん中に置いてある碁盤の片側へ腰掛け、反対側へ朝陽に座るように促す。その碁盤には単純な格子が描かれており、両側に白と黒の碁石を入れた器がそれぞれ置いてある。
状況が全く読めず、朝陽は静かに尋ねた。
「…理嗣兄上、これは?」
「少なくとも、これならお前といい勝負ができるのではないかと思ったまでだ」
兄もまた落ち着いた声で返答してきたため、彼は改めて碁盤と碁石を無言で見つめる。
つまり先日の一件で力勝負は分が悪いと理解して頭を使う勝負を持ちかけてきたのかと朝陽は何度目かのため息を脳内で吐き出す。
これは確かに兄のほうが強い。少なくとも四年前までの仲が良い兄弟であった頃は勝てた記憶がなかった朝陽は兄の反対側へ座り正座する。持っていた竹刀は隣に置いた。
涼しい顔をして、まるで勝負の結果など気にしないかのような表情をしてはいるが、勝負ごとを持ちかけてくる以上は跡継ぎに関して思うところがあるのは理解して、
「朝陽から始めてくれ」
そう促されて、黒い碁石を碁盤へ置いた。
会話らしい会話もせず、ただ碁石をぱちり、ぱちりとそれぞれ思考したのち置いて行く。
意外にもいい勝負のようで、昔のようにあっさり負けずにいる状況が朝陽には寧ろ驚きだった。
と言うか勝っていい勝負なのかもわからない。頭の中で朝陽はひたすらに首を捻る。
疑問に思いながらも碁石を置いたところで、理嗣が口を開いた。
「……お前が強いだろうことは理解していたが、あれ程とは考えていなかった」
「…」
「年長者としての自尊心というべきか。…いやこの場合慢心か。下に見ることで自分こそ相応しいと思い込もうとしていた」
ぱちりと碁石が兄の手で置かれる。
下の兄である風苅とはやはり上の兄は少し違うなと朝陽はチラ見して碁盤へ目を落とす。
あの父が、『武より知』と認めるだけある。
朝陽に対して四年あまり続いた非道な鍛錬を許すつもりなど微塵もないし、父に知られればどうなるか想像できない頭脳でもないだろうにと思案してから朝陽が碁石を置くと、腕を組みながら兄がまた口を開いた。
「三日前だったか。道場から音が聞こえて向かったところで、風苅とのやり取りを見ることになった。あんなにも圧倒的な、見て分かるほどの力量差に寧ろ感動さえした」
「……」
「あの力量差を見せられて、自分こそ相応しいとは考えられなくなった」
ぱちんと碁石を置いて、ここで兄が顔をあげて朝陽を真っ直ぐ見た。
「お前こそ相応しいのだな」
ふ、と眉を下げて諦めの混じった顔で困ったように笑う兄を朝陽は見つめ返して。
視線を碁盤に落として。
今から打つ碁石を握りしめると、一呼吸。
胸の中に綾菜の笑顔が浮かんで、まるで炎が灯ったかのように心の内が温かくなる。
「俺は父上に後継ぎの辞退を申し出ているので、相応しくないです」
「……は? 何故だ?」
「先日も話したはず。大事な人を傷つけたら許さないと」
ここまで言っても兄はイマイチ理解に苦しむようで眉間を寄せてこちらを凝視しているため、どことなく照れくささのある心地で続けた。
「大事な人が出来ました。彼女以外と夫婦になどなりたくない。だから辞退しました」
「お、女のためにか?」
「そうです。後継ぎに固執する兄上たちからすれば信じられないでしょうね。……ですが俺は家を継ぐ野心より彼女へ向ける気持ちがずっと強い。生きて出会えて良かったと思える相手であり、今の俺を構成する大事な一人です。彼女以外要らない」
目を見開いて驚きの表情を浮かべていた兄も同じように正座していたが、朝陽の言葉を聞いて崩して胡座になると目を手で覆い、珍しく含み笑い。
こんな笑い方を見たのは、覚えている限りでは四年以上前だ。
驚きで思わず顔を引き攣らせている朝陽に兄は続ける。
「そうだった、お前は昔から興味を持ったものに真っ直ぐだったな」
「…ありがとう、ございます…?」
褒められたのだろうと朝陽は複雑な気持ちのままではあったが、礼を口にして兄を見た。
この四年は何だったのかと疑問に思えるほどに、兄は昔の雰囲気が漂っている。
こんな頭のいい人でさえも、跡継ぎという地位に目が眩んで混乱したように暴走してしまうほど魅力的なものなのかと興味のない朝陽には不思議でしかない。
ぱちん、碁石の音が耳に届いて碁盤へはっと目をやると、兄が白を置いたところだった。
四つ並んでいる。
白が並んだ両側はどちらも空白地で、片方を黒で防いだとしても反対側に白が五つ目を置いて勝利が確定する。
「さすがに、これはまだ勝てるか」
「……参りました」
安堵の息をついた兄に、朝陽は丁寧に頭を下げる。
顔を上げたところで居を正した理嗣もまた頭を下げた。どちらかといえば土下座に近い。
「あ、兄上、止めてください」
「長い間本当にすまなかった。……頭を下げられたところでお前のことをずっと妬み、痛めつけていた事実は消えぬのは分かっている。謝罪を受け入れなくて構わん」
「……」
「心変わりに驚くだろうな。それほど、お前は圧倒的に強いのだよ。勝てるかもしれないという希望さえ持てないほどに、あの勝負は…天地がひっくり返るほどの衝撃だった」
顔を上げた理嗣は羨んだ瞳で笑い、「ふむ」と呟いて眉間を指先で抑える。
指の隙間から見える理嗣の目はどこか鋭い。
「お前が辞退するのであれば、跡継ぎは私だな。風苅は駄目だ。家が取り潰しになる」
兄理嗣の言葉には大いに同意だが、朝陽はそれを表面には出さず静かに言葉の続きを聞く。
「アイツは自信家だったがゆえに、自尊心を相当傷つけられたのだろうな。お前は大丈夫だろうが、一応気をつけておけ」
「…お気遣いありがとうございます」
軽い会釈するかのように朝陽は頭を下げ、立ち上がって理嗣の部屋を後にする。
廊下の軋む音が頭に響く。
ついでに理嗣からの褒め言葉と受け取って良い言葉に、そして今までの謝罪。
実際死ぬ気になったことがあるため素直に受け入れられる心地ではないし、全てを額面通りに受け取れるほど短絡的でもない朝陽はただ訝しんでいたが。
跡継ぎとして認められる程度には強くなっているのだと褒められたことだけは素直に受け取ることにした。
跡継ぎになる気はさらさらないけど。そう小さく笑ってから、自室にたどり着いたところで財布を手にいつものように団子屋へ。
……と考えたが、先に川の水源で祀られているあもり様の下へ行こうという気分になった。
あの地で巫女から背中を押されて動いたことと、将吉が背中を押したことで色々変わった気がしてならなかったからだ。
何より、例え励ましや鼓舞というただの言葉だとしても、味方がいるという事実は何も怖くない気にさえした。
不在で巫女に会えなくてもいいから、お参りしようと朝陽は一人で山道を進む。
登りながら木々の隙間から見える町の風景が空から差し込む光で輝いて見えて、目を細めた。
好きな相手が住んでいる町というだけで大事に思えるなんて我ながら単純すぎる、と一人自嘲してから真っ直ぐ前を向いて歩く。
小さな鳥居の前で箒を両手で持って枯れ葉を掃除するおかっぱ髪の巫女が見えて、
「こんにちは」
「こんにちは。今日も参拝に来てくださり、感謝いたします」
笑顔で挨拶をすると、同じように笑顔が返され一礼された。
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