いつかのさよならを探して

あきら

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3 日常

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 耳のすぐ隣を、風が横切っていく。
 とあるビルの屋上。日はとっくに沈みきって、月明かりを流れる車のヘッドライトが凌駕していた。
 
「俺らは休まる暇もねぇな、こんなんじゃ」
「そりゃその通りだけどさ、浸ってんなよ」

 明るすぎる夜に感想を漏らす。それとほぼ同時に飛んできたものを片手で捕まえて、屋上の床に叩きつけた。
 べしゃ、という音がして、赤黒い液体が散乱する。

「しくじんなよ」
「お前、それ誰に言ってんの?」

 散乱した液体は、その一滴一滴が意思を持っているかのように、蠢いていた。
 軽口を叩いた槙斗から、細い縄のようなものが放られる。俺がそれを手に取って、円を描くように投げると、溢れる光を反射して煌めいた。
 その縄は、槙斗の手の軌跡通りに動く。ぐるりと屋上の床を一周し輪を作ったと思ったら、散らばる液体をかき集め始めた。
 
「で、これをこうして、と。あとは頼むわ」
「ぶち抜けばいいんだな?」
「おう」

 詳しいことはよくわからないが、この縄で作り出した輪が、流れる水と同じような効能があるらしい。
 言われた通り、ぷよぷよしたそれを指先まで尖らせて貫く。
 べちゃりと汚い音がして、それから少しばかりの煙が立ち上がり。それが消えた頃には、床の上には何の痕跡もなくなっていた。

「成宮、終わったぞ」

 携帯電話で連絡を取る槙斗を横目で眺める。
 それから、消えていったものに視線を落とした。


 俺たち吸血鬼にも何種類かある。俺のような完全な人型、これの多くはおそらく人間に紛れて生きている。
 それから、俺の家を壊したやつや、今消されたやつのような形をしたもの。スライム状というか、個体と液体の中間ぐらいのどろどろしたものが、透明な膜て包まれたような見た目をしているこいつらを、不定型と呼んでいた。
 そして、その人型と不定型両方の形を取れるものがいて、これを変化型と呼ぶ。
 
「大丈夫か?」

 話が終わったらしい槙斗が、俺の顔を覗きこんだ。

「何も心配されるようなことねぇよ」
「かわいくないな。人が気にしてんのに」

 ふい、と目を逸らして言うと、下唇を尖らせて言う。かわいいとかかわいくないとか、何言ってんだと呆れた顔をした。

「……やっぱり、気が滅入るか?」

 けれど、何故だか不意に真剣な声音で言うから、心臓に悪い。
 だけれど、その問いに頷くこともできなくて、明後日の方向を向いたまま息を吐いた。

「お前ら人間だって、悪さをしたら裁かれんだろ。死ぬことだってあるだろうしな」
「そりゃそうだけど」
「不定型も、ああなった変化型も、理性なんかない。お前も見ただろ?俺にだって襲いかかってくんだから」

 あの状態になってしまうと、理性も何もなくなる。ただ血を求め、目につくものを殺して啜るだけの化け物になるだけだ。

「そんなもん、俺から見たってほったらかしとくわけにいかねぇんだからいいんだよ」
「……あんまり無理すんなよ」
「ったく、今更そんなこと言うなら最初っから引き摺り込むんじゃねぇよ」

 少し茶化して言うと、ぐしゃっと苦虫を噛み潰したような顔をした。
 それから、深くため息をつく。

「本当かわいい顔してかわいくねえな」
「だから、かわいいだとかかわいくないだとか」
「ベッドの中じゃあんなにかわいいのにな?」

 ばっと顔を上げると目が合って、一瞬で顔が赤くなるのがわかった。
 な、と開いた口が塞がらない。

「ん?あ、おう。どうしたよ成宮」

 俺が何か言うより早く、また槙斗の携帯電話が鳴った。相手はさっきと同じで、東京支部の仲間だ。
 
「は?!いや……マジで?それ経費で落ちんの?」

 何の話だよ、と思いながらも黙っておく。何しろ、俺の存在は彼らには秘密だ。
 少し話したあとに、通話は終了して。がしがしと頭を掻きながら、槙斗が息を吐く。

「電車止まってんだと。車持ちのやつらも遠征に出てて、家まで帰れなさそうなんだわ」
「……俺は別に」

 どこでも寝れるけど、と言おうとしたのを遮られた。

「で、帰れないならどっか泊まってこいと」
「……ふぅん。ま、いいんじゃね?」
「なんで他人事なんだよ。お前もこい」
「はぁ?」
 
 思わず変な声が出る。
 なんで、と聞くと、むしろ何がなんでなんだ、と返された。

「俺は別にちょっとしたスペースありゃいいし」
「……お前、全然血を飲んでないだろ」
 
 う、と返す言葉に詰まる。

「あの時から、一度だって飲もうとしねえじゃん」
「そんなの、俺の勝手だろ。俺は別に、そんなしょっちゅう血なんか飲まなくても平気なんだよ」

 これは本当だ。
 本当だけど、じっと見てくる槙斗から目が逸らせない。

「……へえ?」
「っ、なんだよ、やめ、ろって」

 数メートルの距離を一気に詰められて声が上擦る。
 腕を掴まれて引こうとして、結局できない。

「振り解いてみろよ」
「っ、な」
「できねえの?」

 まただ。あの、片方の口角と眉を軽く上げる笑い方。それを見てしまうと何もできなくて。
 それはけして、吸血していないからではないのに、おそらく伝わってはいない。
 
「飲めよ。何、強がってんだ」
「そ、そんな、んじゃ」

 嫌だ。あんな、あんな衝動、もう味わいたくない。
 あんな、自分が自分でなくなってしまうような。どこまでも蕩けて、快楽だけを与えられて、泣きながら達してしまうような。
 そんなものを、感じたくない。

「……お前が意地張り続けんなら、俺にも考えがあるからな」
「な、なん、だよ、それ。また無理矢理、飲まそうってのかよ」
「無理矢理、ね」

 にやりと笑う。
 だめだ。人間の血を飲まないと、俺は、確かにあの日誓ったのに。
 そんな突然の記憶の浮上に、内側から殴られたように頭が痛んだ。

 あの日?それはいつのことだ。
 誓った?誰に。何のために。

「……っ、あ」

 目の前がチカチカする。あまりの痛みに、足元が揺れて立っていられない。
 ふらついた体を、槙斗の両腕が受け止めてくれる。

「また、頭痛か?」
「う、うん……頭、割れ、そ……」
「……そんなん、ほっとけるわけねえだろ。連れ込むからな」

 拒否とか、否定とか。そういうものを返す気力もない。力なく頷けば、小さなため息が聞こえた。



 とさ、とベッドに転がされる。
 ビジネスホテルの一室に連れてこられ、いくらか頭痛はマシになっていたが、脱力感がすごい。ぐったりと体を横たえ、上がった息を整えた。
 
「シャワー浴びてきたらどうだ?少しはすっきりすんじゃねェの」
「……ん……」

 飲むか、と差し出された水。ゆっくり体を起こし、ちびちびと時間をかけて半分ぐらい喉に流す。
 ふう、と息を吐くと、ずいぶん優しい手つきで頭を撫でられた。

「気になってたんだけど、もしかしてお前、記憶がないのか?」
「……うん。お前に起こされる前の、眠りにつく前のことが……思い出せない。断片的に、ぼんやりと……は、浮かんでくるんだけど……頭、痛くなるし」
 
 無理すんな、と言いながら。やたらと綺麗な指先が、俺の髪をくるくると弄ぶ。
 
「例えば?何浮かんでくんの」
「……人の血は、飲まないって決めてた、とか」
「へえ」

 柔らかかった目が、すっと細められた。
 
「飲んだじゃん」
「っ、それ、はっ、お前がっ」
「無理矢理?」

 飲みかけの水が奪い取られ、テーブルに置かれるのを目で追う。動けないまま、その手が戻ってくるのもぼんやりと見ていた。

「無理矢理、だろ」
「無理矢理、ね」

 先程と同じ言葉を口にし、苦笑を浮かべた顔が、まるで痛みを我慢しているように歪んで。苦しい、とか、辛い、とか。そういう感情が、目に見えてわかってしまう。
 だけど、どうして。どうして槙斗がそんな顔をするのか、そんな感情を抱いているのかはわからないままだ。
 おもむろに立ち上がり、冷蔵庫の近くの棚を探り出す背中を見つめた。

「口開けてろよ」
 
 言いながら、その手に閃くのはアイスピックで。まさか、と思っていると、俺の投げ出した両足を跨いでベッドに乗ってくる。
 
「無理矢理ってのは」
「お、お前、何を」
「……っ」

 手にしたアイスピックの先が、さっきまで俺の髪を撫でていた指に突き刺さった。
 痛みに眉を顰めて、それでも。

「ちょ、やめろ、やめろって!」
「こういうのを、言うんじゃねえの?」
「っ、んうっ?!」

 血を纏った指が、俺の口の中に押し込められる。
 
「飲めよ、ほら。もっと奥まで入れようか?」
「っんん、っう、ぅうっ」

 舌の上を指がなぞって、その味が匂いが、口の中から頭を蕩けさせていった。
 まるで深いキスをする時のように、指は口の中を蹂躙していく。
 嫌だ、って。飲みたくない、って。飲んじゃいけないって思うのに、俺の舌は勝手に槙斗の指を追いかけた。
 
「そんな顔して、無理矢理もクソもねえだろ」
「んあっ……か、おっ、て」
「今すぐ突っ込んで欲しいって顔、してる」

 否定の言葉は槙斗の口の中に吸い込まれていく。
 噛め、と言わんばかりに差し出してくる舌に、勝手に期待して。

「っふぁ、あ、ぁぅ……う、ぁ」

 起こした上半身を、またベッドに押し戻された。俺の手首を縫い留める手に、ぺたりと赤いものが付く。
 
「っ、あ、やめ……っ」
「やめていいんだ?」

 意地悪く笑って、手を離し。まだ固まることなく、ぷっくりと盛り上がっては今にもこぼれ落ちそうな血を湛えた指先が、俺の唇に触れた。
 なんで、と。疑問が頭をよぎっていく。

「そんな物欲しそうに人のこと見てるくせに」
「っ、ち、ちが、っ」

 なんで俺は、抵抗できないんだ?
 吸血鬼の力は人の2~3倍はある。だから、見た目は彼より細くたって俺の方が槙斗よりも力は強いはずなのに。
 飲んだ血の量だって、それほど多くない。

「違くねえよ。こっち固くしてんじゃん」
「っひぁっ!」

 ぐ、と強めに前を握り込まれて、背中が反った。服越しに刺激されて、勝手に腰が浮いてしまう。

「そ、それはっ、血を飲んだからっ」
「何それ初耳だけど?」
「っ、副作用みた、いな、もの、で……っ」

 手は止めないまま、槙斗の眉間に皺が刻まれた。

「じゃあ何?飲みたくないってのは、俺に抱かれんのがそんなに嫌だったってことかよ」
「ちがっ」

 反射的に出た否定の言葉。何を言っているんだと、慌てて自分の口を手で塞ぐ。
 すると今度は、やけに嬉しそうに笑った。よく変わる表情だな、なんて場違いなことを考える。

「ならいいじゃん。飲んで」
「っあ、あう……っ」
 
 塞いだ手を避けられて。ぬる、と血で滑る指先が、唇を撫でた。

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