それをさだめと呼ぶのなら

あきら

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3 アクア

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 コーヒーの香りが部屋に漂う。
 ソファーには緊張したミストと、道で声をかけてきた男が向かい合って座っていた。

「……どうぞ」
「ありがとう」

 青と、白と、それからもうひとつ緑色のマグカップをテーブルに置く。
 両手で包み込むようにマグカップを持つミストを見ながら、俺もその横に腰を下した。びく、と跳ねたのには気づかないふりをする。

「――それで、そっちは」
「僕は彼と同郷の者、と言えばわかるかな」

 柔和な印象の顔がにこりと微笑んだ。

「ちょっとした行き違いがあって、彼が里を飛び出してしまったんだよね。それまで一度も外に出たことがない身ということもあって、手の空いている者たちで探していたってわけなんだけれど」

 言って、コーヒーに口を付ける。それから、自分はアクアという名前なのだと付けたした。

「まさか、記憶喪失になっていたなんて」
「……言いにくいことだが、その、こいつは」
「葵」

 怪我を追っていた話をしようとする俺を、当の本人が服を引っ張って遮る。
 視線をそちらに向ければ、ふる、と小さく首を横に動かした。
 言うなということだろうか。なぜだろうと浮かんだ疑問はとりあえず横に置いて、テーブルの向こうにいる彼を観察する。
 おそらくだが、こちらに敵意や害意はない。黙っていれば優しそうな顔立ちをしているけれど、時折俺を値踏みするかのように見る視線は鋭かった。

「本当に――僕のことも、覚えてない?」

 アクアと名乗った彼はじっとミストの方を見る。
 たっぷり数分の間のあと、申し訳なさそうに頷いた隣の頭を軽く撫でた。

「そっか……まあ、仕方のないこと、なのかも……」

 残念そうに、けれどどこか安堵したようにそんなことを言う。
 何か口を挟もうかとも思ったが、ほとんど独り言のように零したので、俺は黙ったまま隣の肩に手を回した。

「俺は連れて帰るために探してたんだけど、今の状態の彼を連れていくのもねぇ」
「……ほ、ほんとう、に?」

 若干の怯えを残した声でミストが言う。

「本当に、俺のこと、迎えにきた……?」
「そうだよ」

 穏やかに微笑んで言う姿は、とても嘘にも見えない。
 心配そうな様子も、ミストのことを見るその目にも、それが本心であると思えた。

「な、んで……」

 困ったように言うのが気になって、横の顔を伺い見る。記憶が少しでも戻ってきたのだろうかと首を傾げると、躊躇いがちな手が俺の服を握りしめた。
 顔色もやけに悪い。もともと色白だけれど、今は輪をかけて青白くすら見える。俺の服を引く手は小刻みに震え始め、ぐらりと上半身が傾いた。

「っ、おい、ミスト」
「だ、いじょ……ぶ」
「馬鹿言え。そんな顔して何が大丈夫だ」
「……っ、でも……お、れの、はなし、だから……」

 今にも倒れそうなくせに、そんなことを言う。
 軽く息を吐いて、アクアのほうへ目線をやった。腰を浮かしかけた彼は、ひどく辛そうな顔をしている。

「とにかく今日は」
「……あの、もしよければ、なんだけど」

 ミストを見ながら少し遠慮がちに、口を開いた。

「よければ、もうしばらく……彼を、お願いしても……」
「それはもちろん構わない、が」
「そっちも気になるだろうし、話はまた後日改めてで」
「ああ」

 頷いて、ミストをソファーから抱き上げる。僅かな抵抗を示した細くて軽い体を横抱きで、ベッドまで移動させた。
 いつも彼が寝ている部屋ではなく、俺の自室に寝かせる。ごめん、と唇が動いたのが見えた。
 気にするなというように軽く頬を撫でる。おそらくは冷や汗だろうそれでしっとりとした肌は、俺の手のひらに吸い付いた。

「――寝てろ」

 我ながら有無を言わさぬ勢いで言い切り、リビングへ戻る。空になったらしい緑色のマグカップがテーブルに置かれて、アクアが席を立った。
 連絡先を互いに交換する。ありがとう、と言った彼の様子に、おかしいところはない。

「いい人に出会えてよかった。安心したよ」
「別に、そんな大層なものでもない。怪我してたし、そのまま放っておけなかっただけだ」
「それをいい人って言うんだよ」

 くすくすと笑って言いながら、玄関へ向かうと靴を履く姿を後ろから眺めた。

「……そういえば、『ミスト』って呼んでるんだね」
「ああ。本人がそう呼べって」
「本人が?」

 俺の返事に驚いた顔をする。とはいえ、彼がそんな顔をする理由も俺にはわからなかったので、軽く首を傾げた。

「そういや、あいつの名前って」

 今更と言えば今更だ。あまりに『ミスト』という呼び名がしっくりきすぎて、やっと疑問に思ったことを問いかける。
 けれどアクアは、靴を履き終わった姿勢のままひとり考え込んだ。少しの後、軽く首を横に振る。

「僕の口から勝手に言うのもね……よければ、これからも『ミスト』って呼んであげてよ」
「そりゃ、まあ、いいけど」
「ありがとう。彼のこと、よろしくね」

 腑に落ちないのは当然で。けれど、笑顔で一線を引かれてしまえばこれ以上どうしようもない。
 俺はただわかったと頷く。
 それじゃあまた、と言って帰っていく背中を見送って、扉を閉め鍵をかけた。ふう、と吐いた息が落ちて消える。
 ミストの知り合いが見つかったのはいいことだけれど、なんだかもやもやした思いが腹の奥にくすぶっていた。



 携帯電話が鳴る。じわりと湧いてきたイラつきを抑えきれないまま、画面を確認してから通話に出た。

「もしもし」
『やっと繋がった!何してんだお前!』
「何も」

 電話の向こうは慣れた声で、ぶっきらぼうに答える。

『お前それでいいと思ってんのかよ』
「いいも悪いもないだろ。何度言われても同じだ、俺は何もする気はない」
『……いつまでそんなこと言ってんだよ』
「俺が死ぬまで」

 ただの押し問答だ。電話の向こうで何を言われようと、俺は何を変える気もない。
 生まれた時に決められたことだと言われても、それに従うつもりもない。何より、そんなものよりも。

『お前、少し変わったか?』
「知るかよ。とにかく、何回同じことを言われても俺は」
『わかったよ、とりあえず引き下がる。ただ、来週の集会だけは』
「……ああ。それは義務だと思って顔出すわ」
『なら、まぁいいや』

 二、三ヶ月に一度故郷から召集をかけられるそれへの出欠確認が、この電話の目的だろう。
 けれど、俺が行くと言えばいつもそこで終わる電話は切れる気配がない。
 どうかしたのかと問いかけようとした瞬間、先に電話の向こうの声が言う。

『好きな奴でもできたか?』

 飲みかけていた水を盛大に吹き出した。げほげほとむせながら、濡れた場所を慌てて拭き取る。
 しばらく咳込んで、深呼吸をして。水に蓋をしてから、電話を取り直した。

「なんっ、だよ、急にっ」
『いや、なんかこう雰囲気が変わったっつーか。恋人でもできたのかと思ってさ』
「なんでだよおかしいだろ」

 まったく、とソファーに座る。

『違うのか?』
「違うも何も……そんなもの、作れるような生き方もできないことぐらい知ってるだろ」
『よく言うぜ。自分の意思で動かないくせに』
「それはそれ、これはこれ。俺は人として生きていくって決めてるんだよ」

 はっきりきっぱりと言い切ると、不満げなため息が聞こえた。

「なんだよ」
『……俺は一応お前の友達だと思ってんだけど』
「それには感謝してるよ。居場所黙っててくれてるしな」
『だから、できるだけお前の意思を尊重してやりたいとも思ってる』
「だったら、わかるだろ?」
『わかる。わかるけど、お前が動かないのはそれこそ別問題だ。もう、生まれてんだよ――お前の、星の子は』
「……だろうな」
『だったら、お前が俺ら一族を守らなきゃいけない。それもわかるだろ』

 幼なじみの言うことは確かに正しい。正しいが、簡単に頷くわけにもいかなかった。それは俺の生き方を左右する、大問題だからだ。
 どう答えたものか迷っていると、数秒のあとに彼は続けた。

『でも、それと同じくらい……お前に幸せでいて欲しいとも思う』
「――ああ、わかってる。心労ばっかかけて悪いな」
『あんま説教染みた話なんかしたくねえんだ。とりあえず集会に顔出すってんならそれでいい、またな』
「またな」

 俺の返事を待って、電話は切れる。それとほぼ同時に、ため息が零れた。
 通話の切れた携帯電話をテーブルに置いて立ちあがる。ずきりとこめかみの上が痛んで、そこに手を当てた。

「……葵?」

 遠慮がちな声にそちらを向く。心もとなく毛布を羽織り、眉を八の字に下げたミストがいた。
 まだあまり顔色はよくなくて、大丈夫なのかと急ぎ駆け寄る。

「ご、ごめん、俺」
「何も謝ることないって。大丈夫か?」
「うん、えっと、うん」

 たどたどしく言うその口調に、若干の嘘を感じてしまう。まったくと苦笑し、手を引いてソファーに座らせた。

「今日は俺が飯用意するわ。なんか食えそうか?」
「い、いい、だいじょうぶ、だから俺、やるから」
「馬鹿なこと言ってんな。いいから横になってろ」
「でも、でも」
「あのな、家事頼むって確かに言ったけど。何が何でも無理してやってくれってわけじゃないんだよ」

 でも、と。申し訳なさそうに小さくなる姿を見ているとどうしようもなく抱きしめたくなって。

「最初はやってもらえれば助かるって思ってたけど、今もうそれだけじゃないだろ」
「っ、な、え、っ」
「何もできなくたっていいんだよ。好きなだけいろよ」

 なんで、と震える唇が紡ぐ。そう言われたって、俺だって今の自分の感情に上手いこと名前を付けられる気がしない。
 ただ、これだけは確かだった。俺は、彼にここにいて欲しいのだ。

「理由が欲しいなら、そうだな。お前の歌が好きだ。それだけじゃダメか?」
「う、うた、って」
「それだけで、俺にとって価値がある。家事なんかしなくても、ミストがいてくれるだけでいい」

 湧いてきた感情を、言葉にして落とす。正直自分でも何を言っているのか理解できていなかった。
 数秒の間の後、呆然と俺の言葉を咀嚼していたミストの顔が真っ赤に染まる。

「な、なんだよ、なんだよそれ」
「なんだよってなんだよ。俺は思ったことを――」

 そこまで言って、やっと自分の言ったことを理解した。

 これは、まるで、告白だ。

 自覚してしまえば、ぶわりと全身に熱が回る。脳内では、さきほど幼なじみの友人に電話で言われたことがぐるぐると繰り返された。

『好きな奴でもできたのか?』

 あの時、即座に否定できなかったのは何故だ。答えは単純で、それは目の前にある。
 真っ赤な顔で、あわあわと動揺を露わにする姿。そんな顔も、かわいらしく思えてしまって。
 重症だなと胸中で苦笑した。そんなことはおくびにも出さず、ミストの手に触れる。
 びく、と跳ねる肩。引き寄せて、両腕を回した。

「あ、あおい、なに、なんだって」
「……何も、しないから。ちょっとだけ、こうさせて」

 俺が向ける好意に無防備過ぎて、何かしようという気すら出てこない。ただ細い体を抱きしめて、落ち着くようにと軽く背中を撫でる。
 目を離せば消えてしまいそうな、そんなこいつを、繋ぎとめておくにはどうしたらいいんだろうか。
 そんなひどく自己中なことを考えると同時に、自分が人を好きになっていいようなものではないことを思い出してしまう。
 また、こめかみの上あたりがずきりと疼いた。
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