それをさだめと呼ぶのなら

あきら

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4 山羊の王

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 頭の中がぐらぐらする。ピピ、と小さな電子音が鳴って、それを見計らったかのように扉が開いた。
 脇の下から体温計を取り出し、部屋に入ってきたミストに渡す。

「……38.5度。風邪かな」
「あ、んまり近づく、な……移るぞ」

 喉が痛い。ついでに体の節々も痛い。何度か咳払いをして、やっとのことで声を出せる感じだ。

「ま、俺に移ったところで仕事あるわけじゃないからいいよ。むしろ葵の仕事大丈夫なの?」
「れ、んらくは……して、おいた」
「ああごめんな、喉痛いよな。ちょっと待ってて」

 言うが早いか、するりと部屋を出て行く。その方向を馬鹿みたいに未練がましく見つめていると、手にスポーツドリンクを持って戻ってきた。
 背中に手が差し入れられる。体を起こしてくれるそれに逆らうことなく上半身を起こし、蓋の開いたそれを受け取って喉へ流した。

「なんか食える?うどんとか、おかゆとか」

 幸い食欲はある。こくりと頷くと、作るよ、と笑顔が返ってきた。

「そうだこれのど飴。舐めとくといいかも」
「のど、あめ?」
「こないだ葵がくれたやつ。俺のお気に入り」

 確かに見覚えのあるパッケージ。何よりミストのお気に入りなら効き目は折り紙つきだ。小さな目礼で感謝を返し、渡された飴をひとつ口の中へ放り込む。
 爽やかなレモンの風味が広がって、何故だか安心した。

「それから薬かな。病院行くならその後だけど」
「市販、薬、ならリビングに」
「ん、探しておく。これ、ここに置いとくから、少し寝てろよ」

 サイドテーブルに置かれたペットボトルを眺める。ミストが部屋を出て行って、細く開いた扉に視線を移した。
 いつの間にか、俺のそんなちょっとした癖まで理解してしまったらしい。そんなことが嬉しく思える。
 軽く息を吐いて、寝返りを打つ。携帯電話を手に取って、日付を確認した。

「……厳しいかも、なあ」

 げほ、と独り言と共に咳が出る。
 ついこの間、定期的な集会に顔を出すと言ったばかりなのに。とはいえ、それまでにこの風邪がちゃんと治ってくれるかはわからない。
 一応、電話をくれた友人に連絡だけはしておくかとメッセージを送ることにした。

 今の自分の状況を一通り書いて送って、ふう、と携帯電話を枕元に置く。
 返信はしばらくなさそうで、どうせならミストに言われた通り寝てしまおうと目を閉じた。

 告白じみたことを口走ったあの日から、すでに三日が経っている。連絡先を交換したアクアからは何の連絡もない。
 ミストの様子も特に変わったところはなく、今までと同じように俺の世話を焼いてくれていた。

 体の調子がおかしいなと感じたのは昨日のことで。喉の違和感を放置していたら、今日になってこの発熱だ。
 何も変わったようには見えないミストとは反対に、俺の胸中はぐちゃぐちゃだった。
 たぶん、俺はあいつのことを好きになってしまっていて。けれど、それが許される身かといえば、頷くことはできない。
 故郷を捨て、責務を放り投げ。唯一と言っていいだろう友人には迷惑のかけ通しで、それでも決断をすることしないままだ。

「……わかって、は、いるんだけどな……」

 独り言が落ちて、咳が出る。んん、と繰り返し声を出して、置いていったスポーツドリンクを飲んだ。
 ついでとばかりに携帯電話の画面を見る。やはり返事はなく、息を吐いてベッドの中へと体を戻した。



 両側を両親に挟まれ、小さな子供が笑っている。
 厳しいが優しい母と、豪快を絵に描いたような父。その二人の間ではしゃいでいるのは、俺だ。
 何も怖いものなどなく、何ひとつ疑うこともなく、幸せに満ち溢れていたころの俺だ。

 ああ夢か、そう認識した途端に目の前が揺らぐ。場面が変わって弟が生まれ、妹が生まれた時のことが映画のように流れた。
 やがて、母は俺を見て怯えるようになる。俺の頭を見て、涙を流す。
 母がそうなってしまったのは、俺が十五を過ぎたころだ。そのころに、俺の体にはとある変化が起きた。

 原因不明の頭痛に悩まされる日々。そんな苦痛を経て、俺の耳の上あたりに生えてきたのは角だ。
 小さかったそれはくるりと渦を巻くほどに成長し、例えるなら山羊のそれによく似たものになって、頭痛が収まった時には自分の意思で出したり消したりが可能になった。
 とはいえ、消してみたところで存在が消えるわけではない。一日に一度は元に戻るし、たまに顔を出す頭痛は今も俺を苦しめている
 自分が人じゃないと認識するのに、それほど時間はかからなかった。
 母が弟と妹を連れて家を出て行き、父親と暮らし始めて数年。小さなころから一緒に遊んでいた友人が、俺の肩を叩く。

『やっとだな』

 何が、と俺は問い返す。彼の表情には一切の曇りはない。
 ただ、友人である俺に嬉しそうな笑顔を向けているだけだ。

『お前が俺たちの王として目覚めた。山羊の角を持つ、悪魔の王だ』

 まるで何気なく、今日の天気は晴れだとでもいうような、そんな口調で彼は言う。

『まあ、悪魔なんて言っても名ばかりだけどなぁ。それでも、星の子が――』

 星の子。何度も何度もその言葉を胸中で繰り返した。

 言葉は上手く出てきてくれなくて、確か俺はあのとき、こいつに星の子とはなんなのかを問いかけたはずなのに。
 だけれども、そういえばこれは夢だったと思えば、目の前の友人は俺からの問いかけがあったことを前提として答えを口にした。

『星の子はいつか、俺たちを殺しに来る』

 言われている意味がやはりよくわからない。
 俺の表情を見たのだろう、彼はただの言い伝えだよと笑って言う。

『俺たち一族と、生涯永遠に交わることのない星の子。それが複数人を指すのか、ただひとりのことを示すのかはわからないが、星の子は山羊の王を殺すために生まれる』

 山羊の王が俺だというのなら、言い伝えと言ってみたところで星の子も存在するのではないだろうか。
 尚隆、と。友人の名前を口にしたその瞬間、俺の目の前が渦巻いていく。
 景色が崩壊していくその流れをぼんやりと眺めているうちに、今度はゆっくりと溺れていくような感覚に襲われた。
 息苦しさはなくて、ただ柔らかな水に流されて沈んでいくような感覚。無意識に伸ばした手は、温かい何かに覆われる。

 光がそっと差し込んで、それは俺に何かを思い出させた。
 唇がその名前を紡ぐ。ミスト、と。



 瞬時に意識が覚醒し、ベッドで飛び起きる。
 呼吸が荒い。嫌な汗を全身にかいていて、心臓はひどく早く鼓動していた。

「……夢、か」

 何度か深呼吸を繰り返し、自分を納得させるように独り言を零す。
 しばらく見ていなかった夢なのに、と軽く頭を振って枕元のボトルに手を伸ばした。
 飲むために取ろうとしたボトルは汗で滑って取り落とし、床を転がる。
 転がったボトルは扉まで行きついてやっと止まった。体はだるいものの、起き上がれないわけではない。息を吐いて足を下した時、少しだけ開いていた扉がゆっくり引かれた。

「あ、起きてる」
「……おう」

 なんとなく気恥ずかしくなって、短く返した。
 そんな俺に何か言うでもなく、ミストはにこりと微笑む。

「うどんできてるよ。食べれそう?」
「あ、ああ。サンキュ」
「あと、薬も見つけたからうどん食べて飲みなよ。でもちょっと顔色よくなった?」

 床のペットボトルを拾って渡してくれるから、蓋を開けて一口飲んだ。

「こっちで食ったほうがいい?リビングまで行く?面倒だったら持ってくるよ」
「そんじゃ、こっちに頼むわ」
「うん、わかった」

 出るようになった声。会話をしているうちに、俺の早かった鼓動も落ち着いてくる。
 部屋を出て行く背中を見送って、もう一口ボトルの中身を喉に流した。

 星の子。俺に角が生えてから、父親と友人に嫌というほど聞かされた名前だ。
 父親がもともとその一族であり、母とは隠して結婚し、そして俺が生まれた。いきなり角が生えてきて、そして父親や友人を含む一族を星の子から守るのがお前の使命なのだと聞かされても、これっぽっちもピンとこないまま十年近くが経った。
 ただ、星の子の一番の目的は山羊の王である俺だ。だったら、俺が一族の元にいなければいいと、そうすれば少なくとも一族の皆は平和だと家出をしたのが二年前。
 戦う気などさらさらない。俺を殺すことで、一族の安全が保たれるのならそれでいい。
 けれど。けれど、と胸中で繰り返す。

「……死にたく、ねえな」

 その未練は、今さっき部屋から消えて行った背中に向けられていた。



 運んでもらった飯を綺麗に平らげて、出された薬も水で流し込む。
 サンキュ、と言えばどういたしましてと茶化したような声が返ってきた。

「なあ、汗すごくね」
「そうだな……シャワー浴びるか」
「馬鹿言ってんなよ、まだ熱あるじゃん。今濡らしたタオルと着替え持ってくるから待ってろ」

 呆れたような声と、新しいペットボトルを置いて、ミストが浴室へ向かう足音を聞く。
 駄目だとわかっているのに、早くあいつを返さなきゃと思うのに、アクアから連絡がこないことを喜んでいる自分がいた。

「起きられる?」
「ああ、大丈夫」
「じゃあ上からな。脱いで」

 湯気を立てるタオルと新しいスウェットを手に戻ってきたミストの言葉に、思わず一瞬固まる。

「早くしろって。タオル冷めちゃうだろ」
「い、いや、いい。自分でやる」
「だから馬鹿なこと言うなってば。背中とかどうすんだよ」

 言うが早いか、意外と強引にミストが俺の服を引っ張った。
 下がったとはいえ、まだ熱のある体でまともな抵抗ができるわけもなく、されるがままに脱がされてしまう。
 ふわ、と温かいタオルが触れた。ゆっくり、丁寧に、湿った皮膚を拭い去っていくそれは確かに気持ちいい。

 上半身を吹き上げたあと、よし、と満足そうに頷いて。俺が新しいスウェットに袖を通している間に、ミストはタオルを取り換えてくると言い、部屋を出る。
 その言葉の意味を少し考えている間にも戻ってきてしまって。今度は下の服を引かれるから、慌てて抵抗した。

「いいって、それはその、さすがに」
「何恥ずかしがってんだよ。葵だって同じ男だろ?」
「いやまあそりゃそうなんだけど、こら、脱がすなって」
「早くしろよ拭けないじゃん。汗だくのくせに」

 押し問答に勝てる気がしない。
 結局俺の服は剥ぎ取られ、上と同じようにミストの手が触れる。いや、タオル越しなのだけれども。
 内腿をタオルで拭かれて、びくりと跳ねた。

「あ、ごめん。熱かった?」
「い、いや、その、大丈夫だから」

 上だけ着たスウェットの裾を必死に押し下げ、なんとかそこの状態を目にしてくれるなと祈る。

「よし、こんなもんかな?」
「お、おう、サンキュ」

 何事もなく終わったと息を吐いた。けれど、そんな俺の安堵は次の瞬間に打ち砕かれる。

「そ、その、それは、自分でお願いシマス」

 片言、かつ、消え入りそうな声でつぶやいて、ミストの白い指先が示したのは、俺の主張する下半身だ。
 ふい、と逸らした顔。斜め後ろから見える耳と首筋は赤く染まっているのがわかる。
 誰のせいだと責任転嫁甚だしいことを考えつつ、見ていないうちに渡されたタオルで拭いて。洗濯済みのスウェットに足を通してから、ミストの肩を掴んで引いた。

「っ、な、なに」
「なにって」
「着替え、たなら、俺、洗濯してくるから、っ」

 耳とうなじが示す通り。いやそれ以上に、真っ赤な顔で。
 それを正面から見てしまった俺は、力任せに細い体をベッドに倒す。

「……ミスト」
「え、あ、ぅ」
「先に謝っとく。風邪移したら悪い」

 え、という形に開いた口を、自分のそれで塞いだ。
 結局のところ。溢れ出してしまった気持ちに蓋をできるはずもない。
 たとえ俺が人じゃなくても。そのうち殺されてしまう身だとしても。そして自らの責務から逃げ続けている、卑怯者だとしても。
 そんな理屈は、今この部屋からミストを逃がすための理由になんかなってくれなかった。
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