それをさだめと呼ぶのなら

あきら

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 伸びてきた手が弱々しく俺の服を掴む。
 息が熱いのは、体温が上がっているせいだろうか。それとも、と考えながら自分の両腕の間にある顔を見つめた。

「お、おれ」
「……いっこ、聞かせて」

 情けないぐらいに震えた声。ミストの眉が下がって、唇が小さく開く。
 誘っているようなそれに、吸い寄せられそうになって、何とか理性を総動員させた。

「俺のこと、どう思ってる?」
「ど、うって」
「ただの恩人?居候先の家主?」
「……お、おれ」

 くしゃっと泣き出しそうな表情になるから、罪悪感が胸を刺す。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「俺は……ミストが」
「っ、あおい、だめ」
「だめ、って何が?」

 ふる、と。俺の下で首を横に振るミストに、ちゃんと自分の気持ちを伝えたくて。
 だけど、当のミストは震えながらだめだというばかりだ。

「だ、め」
「だめだって言うなら、その理由を教えて。振るならきっちり振ってくれ」
「り、理由、って」
「それかせめて、俺の言葉だけでも、聞いて」
「だってお前、今、熱あって……きっと、そのせいで」
「違う」

 確かに、今熱に浮かされていることは否定しない。そうじゃなきゃ、こんなふうにミストを捕まえて、ましてや好きだと口にしようとだなんてするわけもない。
 けれど。けれど、この気持ちだけは。俺が彼を好きだと思ったそれは、まぎれもなく本当のことだ。

「……す」

 好きだと言おうとした口は、他ならぬ本人の両手によって塞がれる。
 だめだ、と頑なに首を振るミストに不思議なものを感じながら、その手をぺろりと舐めた。

「っ?!」
「そういうの、何て言うんだっけか。やぶへび?」
「っあ、や、やだ、舌、や」

 開いた指と指の間にも舌を這わせる。やだ、と言いながらも小さく跳ねる体は期待しているようにすら思えて。

「なあ、聞かせて」
「っ!」

 かり、と軽く噛んだその感覚に息を飲んだ。もうこのまま既成事実のひとつやふたつ、作ってやろうかと思う。
 顔も首も真っ赤に染めて、弱い拒否を示すくせに本気で逃げ出そうとはしない。もはやそれが答えのような気もした。
 だけどその瞬間、俺の頭は許容量をオーバーしてしまったらしい。

「……ごめ、ん」
「え、ちょ、おい、葵!」

 頭の中がぐらぐらして、煮えたぎるような感覚に襲われて。自分の体勢を保つことができなくなり、下の体を押しつぶすように突っ伏してしまう。
 体が熱い。意識が遠のいていく中、もぞもぞと動くミストに何とかごめんと伝えるので精一杯だった。


 ぱち、と目を覚ます。熱はすっかり下がったようで、体は軽く頭はすっきりしていた。
 上半身を起こし、軽く伸びをする。枕元には口を開けられていないペットボトルが鎮座していて、それを手に取った。
 蓋を開けて一気に半分ほど空にする。それからベッドから抜け出して、今度こそシャワーを浴びようと浴室へ向かった。

「……ん?」

 ふと、違和感に気付く。それを確かめるべく、浴室に向かいかけた足をリビングへ向けた。

 何もない。誰もいない。

 全身から力が抜けていく気がして、ふらつきながらソファーに座り込む。
 一縷の望みをかけ、テーブルの上や下を探した。書置きの一枚でもないだろうかと、馬鹿みたいに自分の家の中をひっくり返す。
 けれど、俺の探すものは何一つ出てきてはくれなかった。慌てて玄関やクローゼットの中を見てみるも、そこにもミストの痕跡はない。

 現実を受け止められないまま、ソファーに座り直す。頭を抱え、どうにもならないことなのだという結論を理解するにはしばらくの時間が必要だった。
 どれだけそこで座っていたのだろう。どこかで携帯電話が鳴っている音がする。
 シャワーを浴びることも忘れていた俺の耳に届いたその音に、誘われるように寝室へと戻った。倒れる前にどこに置いたのかは思い出せなかったが、どうせこのあたりだろうと枕元を探す。
 結果そこにはなく、床でメロディーを奏でる電話がすぐに目に入った。

「……もしもし?」

 画面の名前も確認せずに電話に出る。俺が発したのと同じ、もしもし、という返事が返ってきた。

『連絡遅くなってごめんね。明日あたり時間取れそうなんだけどそっちの都合、どうかと思って』
「あ、ああ」

 聞き覚えのある声はアクアのそれだ。
 何の用で電話してきたのかは考えるまでもない。どう答えるべきか迷っていると、彼は何かを察したのか、もしかしてとつぶやいた。

『もしかして、出てった、とか?』
「……わからない。俺、ここ何日か熱出して寝てたんだけど、今さっき起きたら姿がなくて」
『買い物とか散歩とか、そういうんじゃなくて?連絡つかないの?』

 そう言われても、と息を吐く。
 だって、あいつは。携帯電話も持っていない。書置きのひとつもない。
 どうしたってここにいないミストに連絡がつくわけもなく、肩を落とした。

『……そっか。もしかしたら、記憶が戻ったのかな』
「それだったら、あんたのとこ行くだろ」

 どうかな、という声が電話の向こうでする。理由がわからなくて、アクアに見えるわけがないのに首を傾げた。

『言ったでしょ、彼は里を飛び出しちゃったんだって。その訳の大半は誤解と言うか、行き違いというかなんだけど、そもそも記憶戻って見つかりたくなかったら僕のとこなんかこないよ』

 ずきり。頭が痛む。
 そうか、とひとり納得して返した。あいつも、俺と同じだったんだ。
 本当にミストの記憶が戻っているのかどうかは定かではないけれど、少なくとも自らの意思で故郷を捨て、逃げているのは、俺と同じだ。
 考えれば考えるほど、本当のあいつを知りたくなった。

「なあ……結局、あいつ……というか、お前らって、なんなんだ?」
『……本当は、僕が勝手に話すのもどうかと思うけど……でもまあ、しょうがないか。三十分ぐらいかかるけど、今からそっちに行ってもいい?ちゃんと話すよ』
「ああ、わかった。頼むわ……もしその間にミストが帰ってきたら、連絡する」

 ありがとう、と言って通話は切れる。
 軽く頭を振って立ち上がった。とにかくシャワーを浴びて、着替えて。もしかしたら戻ってくるかもしれないという思いが、希望的観測にすぎなくても、アクアがくるまでに身形を整えておこうと思う。
 いったいどこへ消えたのか、皆目見当もつかない。けれど、初めて会った時のような怪我だけはしていて欲しくないと考えながら、浴室へと向かった。

「……っ」

 途中、洗面所の鏡に映る自分の姿を目にして足は止まり、絶句する。
 こめかみの上には、蜷局を巻いた角。一対のそれは、当たり前のようにそこで主張していた。

 まさか、と血の気が引く。これを見られたのだろうか。
 それなら、ミストが逃げてしまうのも理解できる気がした。はは、と自嘲気味な苦笑が口から零れる。

 俺は、化け物だ。
 王だのなんだの言われていても、結局はただの化け物だ。
 そんな俺が、誰かを――まして人間のあいつを好きになっていいはずが、ない。



 ずしりとした気分を抱いたまま来客を待つ。それは言った通り、きっかり三十分後にインターホンを鳴らした。
 モニターを覗けば手土産の紙袋が見える。そんなものいいのに、と思いながら部屋へ上げた。

「ごめんね急に」
「いや、むしろ助かる。あいつが――無事ならいいんだが」
「せっかちだなぁ。お邪魔します」

 言いながら差し出してきた袋を受け取る。中身をちらりと見れば、有名な店の菓子の箱があった。
 とりあえずコーヒーでも、と機械のセッティングをする。以前と同じように、彼には白のマグカップを用意した。
 自分の青いマグカップにもコーヒーを注ぎ、ソファーに腰を下して一口飲む。やはり、何か物足りなく感じた。

「探しに行かなくていいの?」
「……本当は、今すぐにでも探しに行きたい。だけど、あいつが自分の意思で出て行ったなら……仕方ない、だろ」
「そんな苦しげに言われても」
「とにかく、あんたの話を聞きたい。あいつは――ミストは、いったい何者なんだ」

 俺の言葉に、テーブルの向こうで彼は天井を仰ぐ。静かに置いたマグカップの中でコーヒーが揺れた。
 少しの間の後、ねえ、と独り言のように口を開く。

「悪魔って、信じる?」

 心臓が縮み上がるのが解る気がした。
 ひゅ、と喉の奥で空気が鳴る。気づかれないようにと咳払いでごまかし、手のひらに浮いた汗を服で拭った。

「まあ、お伽噺だと思うよね」
「……その、悪魔が、いたとしたら何なんだ?」
「悪魔が存在するのなら、それに敵対する種族もいるってことだよ」

 頭の中を、あの名前が横切る。
 いつか、俺を殺しにくるだろう宿命の星の子。それが何なのか、誰なのか、知る由もないけれども。
 胸中に浮いた可能性を消し去りたくて、握り拳を作った。

「話し半分に聞いて欲しいんだけど」

 そう前置きして、アクアは続ける。

「僕たちは、水瓶の里という名前の場所に住んでいる。他にも似たような里はあるらしいけれど、詳しくは知らないんだ」
「水瓶の里?」
「小さな集落みたいなものでさ、みんなが家族みたいな感じ。そんな僕たちの里では、星の子というものににまつわる言い伝えがあった」

 震える唇を悟られたくなくて、マグカップに口をつけた。ごくりと鳴った喉は、コーヒーのせいなのかわからない。

「星の子は、悪魔に敵対するべき存在。山羊角の王が生まれしとき、時を同じくして生まれ落ちる――そんな言い伝え」
「ただの、言い伝えじゃないのか」
「……そうだったら、良かった。けれど、里の偉い人が言うんだ。山羊角の王は生まれ、そして同じ日に」
「……ミストが、生まれたと」
「そういうこと」

 僕はずっと反対だったんだけどね、とため息と共に吐き出して。

「そんなもの、何の確証もないのにって。だけど言うんだよ、会えばわかるって何度も」
「――まるで洗脳だな」
「それでも、たくましく育ったのは幸いかな。爺さんたちの操り人形になることもなく、言われることに疑問を抱くぐらいには」

 きっと、ずっと見守ってきたのだろう。手の中の、空になったマグカップをじっと見つめながらアクアは言った。

「本当は、二十五歳になったら悪魔を探しに里を出るはずだった。けれど――二年ほど前かな?突然、その悪魔の気配が消えたらしいんだ」
「二年、前……」
「それで、しばらく爺さんたちが総力をあげて探して。それでも見つからなくて、彼に探すよう言ったんだよ。なんでも星の子ならわかるはずだとか言って」
「むちゃくちゃだな」
「もともと、相手が誰だろうと敵対したり倒しに行ったり、ましてや殺したりなんかできるわけないんだ。優しいから」

 独り言のように零すそれに頷く。
 記憶がないあいつだって、俺の心配をしたり世話を焼いたりまるでそうするのが当然のようだった。それはもちろん、居候の交換条件ではあったのだけれども。

「不器用な子だからさ。不器用すぎて、心配になるぐらい。それで結局爺さんたちと揉めて」
「探す探さないでか?」
「というより、なんで見も知らない相手と敵対しなきゃならないのかって。俺はその山羊とやらの王を知らない、向こうだって俺を知らない、話せばわかり合えるかもしれないのにただの代理戦争の道具になる気はない、それでもやりたきゃてめぇらで殺しに行けって」

 アクアの言いように、思わずコーヒーを吹き出しそうになって何とか耐えた。
 笑っていいよと眉を下げて言う。大丈夫だと咳払いを返して、マグカップをテーブルに置いた。

「ほとんど家出みたいに里を飛び出してっちゃって。それを知って、僕も慌てて追いかけたんだけど何しろ爺さんどもがやかましくてさ、追手を出せ戻る気がないなら殺してしまえって」
「……まさか」
「何とか僕が連れ戻すからって説得したんだけど……何かあった?」
「いや、俺が見つけたときに怪我してたから。その追手とやらにやられたのかと」
「ああ、それはたぶん直接傷つけられたとかそういうわけじゃなくて、里の外れから落ちたせいだとは思う」

 こと、と、俺と同じようにマグカップをテーブルへ置く音がやけに大きく響いた気がする。

「だから、その殺気と角、どうにかしてくれない?」

 変わらず穏やかに微笑む彼のその視線は、俺の頭へと向けられていた。
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