高遠の翁の物語

本広 昌

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第一幕

(五)惣領家再興

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 諏方頼重と元大祝頼高の死と、これに伴う寅王と禰々御料人と〝姫君〟の監禁。これは瞬く間に全国へ広がる。全国諏方信仰を仰ぐ者すべてが悲しみ、とくにお膝元の諏方郡が混乱した。涙する者、憤る者、放心する者、後追い自殺する者さえいた。
 高遠の諏方頼継は、怒りのほうだ。

「せ、切腹だと? 殿も下位様も、我が神を宿した御身だぞ。それを刃で傷をつけさせたなんてあり得ん。人の所業にあらず!」

 天罰でも喰らってしまえといわんばかりだ。しかし頼継にとって、怒る暇も泣く暇も許されない。助けるべき対象を失った以上、目標の修正を迫られた。

ーー惣領家の御血筋が完全に途絶えてしまった。寅王様も諏方の外に出されたせいで、大祝の資格を失ってる。惣領家の後継だけならなれるが、やはり大祝を経ないと皆が納得しない。禰々御料人も所詮はあっち側の人間だからダメだし、そうとなると、ひ、姫君を立てるしか……、道は、ないのか……?」

 と、とまどう。
 でも、これ以外にない。寅王も姫君も聖なる諏方郡の外に出てしまったが、どちらに理があるとなると、姫君かもしれない。女性は大祝になれないが、諏方郡の外に出た際におこる穢れもうけない。だから臨時の主として担げる。とりあえず姫君を立てて、男児を産んでくれれば、大祝から惣領当主の既定路線を歩ませる。期間が長いが、これなら多くの者は納得できよう。
 しかし、敵側の公式見解はまだ、姫君は敵が捕縛してることになっていた。こんな嘘、いつか必ず頼継がバラすのに。あとはそのタイミングだけだ。
 頼継は頬を叩いて気合いを入れた。

「姫君、じつは申したきことが」

「お断りします」

「え?」
 
 頼継は先読みされ、身震いした……。
 
 姫君は声を震わせる。

「こ、ここで静かに暮らしたい……」

「え、え、え?」

「ここの者は皆、優しい。気が和らぐ」

 姫君の声は沈んでいる。目も合わせてくれない。頼継は必死だ。協力してほしい。

「そ、惣領家の再興には姫君のお力が欠かせません。お願いです。お家のため、いや、全国諏方信仰のため、立ち上がって下さい!」

「すまぬ。できない……」

「な、何故ですか?」

 姫君の答えに、声が震える。

「ち、父うえも継母ははうえも、みんな大嫌い……」

 体まで震えてる。涙つぶも見えた。
 頼継はショックだった。義母だった禰々御料人はともかく、頼重は現人神の如くだ。誰もが皆敬っていた。嫌うなんてあり得ない。
 その後に放った姫君の呟きに、拒む理由が垣間見得られた。

「虐めるからイヤ。だから再興はイヤ……」

 姫君は泣き崩れた。丁字は頼継に、目と手振りで頼継に〝去って下さい〟と促した。
 頼継は脱力しながらも、退出した。あとは丁字に任せるしかなかった。


 
 頼継は顔を青ざめながら主殿の広間に入る。神林上野入道、保科正俊ら家臣や、藤沢ふじさわ 隆親たかちか頼親よりちか親子をはじめ、近隣の伊那神党らが血気盛んなかんじで集まっていた。
 上野入道が代表して頼継に言った。

「惣領家のご再興、本当にやるのですな!」

 頼継は驚いた。

「な、何故知ってる?」

「もはや巷の噂です。これぞ殿が忠義の将たる証です。甲斐の蛮族や本当の裏切り者、諏方満隣と守矢頼真が吐いた嘘を信じた者も、これで悔い改めるしかありませんな!」

 頼継は姫君以外、誰にも打ち明けてない。なのに集まる皆が「やりましょう!」「高遠殿が立つならついていきます」などと促す。

「え、え、待て待て……」

 頼継は皆に冷静にさせようとするも、聞いてないのか、皆はその場の勢いで、

「戦いましょう!」

 と大声でそろえる。だから伝わらない。
 頼継は困った。しかし頼継の気持ちは皆の側にある。寅王が諏方の外に出た以上、大祝になる資格を失ってる。そんな状況だから姫君が事実上、建御名方命の血を受け継ぐ史上最後の存在となってしまった。女性が諏方の外に出ても、神は何も言わない。だから神の子を産めるから、希望が持てる。とはいえ姫君の気持ちは、尊重すべきだろう。
 頼継は、姫君への説得時間が欲しくなった。そこで秋津との会話が役に立った。

「わ、分かった。ならば、八月中にそなたらの御柱祭を済ませてほしい。九月十月にやる所はすまんが、今回のみ早めてくれ。頼む」

 これで皆、納得して話は収まった。


 
 家族がいない頼継の食事は、当然ながらいつも一人だ。亡き妻小彼岸がいたとは言っても、その所在は上原の高遠屋敷だった。料理は当然、台所番がすべてやってくれるから味は良い。そんな寂しさはとっくに慣れてる。考え事をすれば孤独は感じないが、今は別だ。

 ーーあの殿が姫君を……。信じられない。信じたくない、信じるしかないのか……。

 姫君のそんな過去を知るのは、今や頼継と神林丁字のみだろう。見たわけではないが。
 丁字がきた。

「なんとか聞き取りました」と報告に来た。

 姫君が父親と継母を嫌う理由だ。

「どうだった?」

「頼重様も禰々様も酷すぎます! あんなお方だとは思いませんでした。姫君のあの白いお姿が頼重様よりも〝神様〟に見える。要するに外ヅラ。それだけですよ」

「ま、まさか?」

「禰々様など頼重様の相乗りですから、誰よりも虐めが酷かったようです。産みの母でさえ、姫君を産んで後悔したと言って。ああ、可哀想すぎます……」

「なんと、麻績おみの方様までもか……」

 頼継は頭を抱えた。丁字は姫君に同情して涙した。姫君にとってこの高遠とは、生き地獄から解放された安息の地だった。
 頼継はショックだったが、頼重が姫君を虐めた真相が〝嫉妬〟では、何をどうしたら良いのか分からなくなる。
 頼重も元大祝ので現人神だった。とはいえ外見は普通の人間だ。歴代みんなそうだ。当然であろう。そうえいば麻績の母も、姫君を産んですぐ離縁させられた。麻績家の主家、信濃守護小笠原家と惣領家との関係が崩れたためだ。いや、敵対したのは事実だ。これは運悪く、実母の虐めと重なったのだろう。

 ーーまずい、姫君を説得できない……。

 頼継は姫君に同情したい。すべきだ。頼継も似たようなものだ。冷ややかな眼差しで見られることは、よくある。それは、頼継先代が惣領家に対してクーデター未遂を起こしたことと、先先代の頃に反乱を起こしたことにある。これを根に持つ者は未だ多くいる。こいつらは皆、反乱当時生まれてないうえ、未遂事件も公になるまで何も知らなかった連中だ。偏見と時間の経過で、虚構混じりが醜くなって困る。頼継の先代と先先代は粗暴で傲慢で、諫言した家臣を手討ちにしたり、妊婦の腹を割いたとか、もうメチャクチャだ。
 頼継は丁字に尋ねた。

「ワシの中におわす殿と、姫君の中の殿が違いすぎる。どうしたら同じになれる?」

 丁字は悩むも、当然の回答しか出てこない。

「ご両親から謝って、姫君のお許しを得てから、全てをやり直す意外にありませんよ」

「殿は昇天された。それがもうできないから、困ってるのだ」

「じゃあ、知りません!」

「そうなると禰々様か。はあっ……」

 頼継は大きなため息がでた。
 


 日が変わり、頼継は神林上野入道と保科正俊を自室に呼び、姫君の事情を打ち明けた。
 上野入道は腕組みし、難しい表情で悩む。

 正俊は「なんとも情けない」と怒った。

 頼継は「他にいないのか?」と二人に問う。

 正俊は「殿がおやりになれば?」と勧める。

 頼継は「ワシではダメだ!」と強く拒む。

 頼継は一息置いて、言う。

「それでは、根に持つ連中が騒ぎ立てる」

 上野入道は、仕方なしとうなずく。

「左様でした。殿にお子がいれば姫の養子にして、暫定でも惣領家の主にできたのに」

「それを言うな。終わったことだろう」

「しかし、お子を授けないとは、何故でしょうか?」

「さあな? 諏方大明神のご加護だろ。それが高遠家の断絶でも構わないさ。あ、いや、話を逸らすな入道っ。ワシよりも惣領家がいかに再興できるかを考えてくれ」

「そうですな」

 ここで保科正俊が発言する。

「諏方満隆みつたか様をこちらに誘えませんか?」

 頼継は「何故?」問うと、正俊は答えた。

「姫君は高遠ではなく、長窪を目指しておられたのでしょう。それはつまり、頼重様は、満隆様に惣領家を任せたかったのでは?」

 頼継は満隆を疑う。

「アレは今、兄者(満隣)のところだろ」

 上野入道がその事情を分析した。

「満隆様は不本意に従わされただけです。我が身可愛さに大祝を敵に売った上、我が子を大祝にしようと企む満隣とは違います」

「……そうかもしれないな」

 諏方満隆は長窪落城後、大井貞隆の追手を逃れて故郷の諏方へ逃げただけだった。ならば惣領家滅亡も、諏方郡に入ってから知ったと見ていい。満隆にとっても惣領家の滅亡は突然だ。だから何もできないまま、敵に媚びた兄満隣を頼るしかなかったのだろう。
 頼継は上野入道の提案に納得する。

「そうだな。満隆殿なら暫定にできる」

 上野入道は条件をつけた。

「満隆殿にも幸かな、お子がいません。ならば姫君を嫁がせて、ご嫡子がお産まれになれば、我らの惣領家再興も叶いましょうぞ」

「それだ!」頼継と正俊は声を揃えた。

 頼継は、上野入道に調略を任せる。

「よし、入道、頼む。惣領家の主という美味な誘い、乗らずしてどうする!」

「御意っ!」

 これで惣領家再興の具体策が決まった。
 


 数日後から、敵に抑えられた下社への献金拒否を表明した諏方神社が各地に現れる。日が経つに連れて連鎖するように同調者が増えた。献金の殆どが姫君の保護費を名目に、惣領家再興の資金として高遠へ送れるらしい。
 頼継の下に、信濃国内外の諏方神社禰宜からその内容の手紙が届く。

「ワシのような田舎の貧乏国衆にとっては有難いが、これ、いいのか?」

 嬉しくあれど恐れ多い。しかしこうなると、諏方郡で頼継謀反の噂を信じた者たちの後悔が広まり、誤解が解かれていく。諏方郡でも、頼継の惣領家再興待望論が膨らんできた。
 周囲の期待は頼継の耳にも入る。しかし肝腎要の諏方満隆が、首を縦に振ってくれない。

 八月、伊那郡の多くで御柱祭が行われたが、嵐が二度も到来した。天竜てんりゅう川流域の伊那郡でも被害は大きいが、社会の営みは殆どが段丘の上で行われているから、甚大にはなりにくい。しかし甲斐国があまりにも甚大だった。釜無かまなし川や笛吹ふえふき川などの堤防決壊は無論、その両川の合流地である鰍沢かじかざわ以北で泥の湖が出来てしまった。これで多くの村と畑が水没してしまう。よって甲斐は、今年も飢餓が確定する。甲斐国は嵐のたびに洪水を当たり前のように起こすが、泥の湖は何百年ぶりらしい。
 これは諏方大明神の神罰とみなされた。これは信濃中、いや、全国に伝播する。
 高遠の頼継は、これを好機とみた。

「さすがにこれは、いくさどころではないよな。敵も人の子、領民の救済を優先するだろう。蛮族の先代は疎かにしたから駿河へ放り出された。そんな前例を作ってる以上、今の主は、蔑ろにできないはずだ!」

 惣領家再興の好機は、秋津の予想通りに到来した。この隙に乗じて頼継は諏方郡の敵地を取り戻す気でいる。

「諏方大明神はちゃんと蛮族どもに天罰を与えた。あとら我ら次第じゃ!」


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