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第三幕
(三十八)移り変わる乱世
結婚式後の祝宴は三日も続いた。その最終日に恩赦が諏方満隆に下った。藤沢隆親ではない。
諏方頼継は、駿河へ帰る寿桂一行を見送りに一条小山の麓まで行った。出ていく側には寿桂と雪斎と健乗と、見知らぬやつれた幼子と、護衛の僧侶が数十名。見送る側には山本勘介がいた。
寿桂は頼継の登場に気づいた。
「おおタカトー、きてくれたのか。お前はほんま、ええ奴よの」
と、柔らかい言葉をいただいても、顔は不機嫌極まりなかった。冷静なはずの雪斎と健乗と勘介も緊迫してる。幼子は気落ちしていた。この重苦しい雰囲気に、頼継は質問せざるを得ない。
「な、なにかあったのですか?」
寿桂は目を座らせて、吐き捨てた。
「ブタガキと税奴隷め、最後の最後で私に恥をかかせおった!」
「え?」頼継は目が点になった。
寿桂の一行は帰路についた。見送りが済むと、勘介が詳細を教えてくれた。
「板垣様と甘利様に〝取引〟されました。姫様の婚礼、譜代衆の殆どが反対していたのはご存知かと思いますが……」
「ああ、聞いた。でも、説得は出来たのだろ」
「はい。ですが、納得は出来ていないようでした。あれ以後も、御館様へ不満の声が膨れ上がる一方です。止めたければ、少なくとも寅王様を追放するしかないと……」
「え……? えっ!?」
頼継は仰天した。あの幼子は寅王だった。じつに面識はこれが初めてだったのだ。知らなかったとはいえ無礼だ。頭を下げるべき対象を上から見てしまった。頼継は青ざめ、今更土下座して、寅王に謝ってから勘介に言った。
「た。尋ねておけばよかった。しかし、家老が主君に取引した? 狂ってる……」
「それが〝掟〟なのです」
「だから分国法が必要なのか」
「はい。法は間違いなく作られます。御館様はそのために某や高遠様ら、余所者を近づけているのです」
「なるほど。御館様に力を、とはこういうことか……」
これはキツイ。家族の今を保つために罪なき親戚が生贄にされている。諏方信仰でもこんな形ではやらない。
勘介は怒りを抑えながら言う。
「施行の前日までなら、自力救済に甘えても口を黙ます。それまでに悔い改めなければ、大方様の依頼を実行します。雪斎様の支援も頂きました」
「しかしなぜ、今川が絡む?」
「法治の基本は他力救済です。そんな国と付き合うためには、こちらも合わせるしかないでしょう。それが転宝輪家の方様の値段だったのです。でもその支払い、十年も踏み倒されていました。理由は言わずもがなです。だから今川家もいい加減、堪忍袋の緒がなんとやらなんです」
「ああ……」
「ま、時代の進化に抗う人外共は、施行後、いつか消えてもらいましょう」
勘介の顔つきは異常に険しい。頼継は身震いしたら、思い出した。
〝オノレ アマリ〟
ーーあ、これ暗殺だ……。
ただ具体的に、どう頭を使って知恵を出し、殺すかまでは想像できない。しかし勘介の目論み、超法規的な気がする。突っ込んでいいのだろうか? 頼継は問おうと思ったが、怖くてやめた。
寅王追放の件、躑躅ヶ崎の奥屋敷からなんの音沙汰もない。頼継は夜須香姫の様子が心配で仕方なかった。神林丁字に聞いても、黙秘を貫かれた。明らかに強く言い含められている。それが逆に、奥屋敷の中の物悲しさを伝えてるようだ。頼継は、聞いてはいけないことと解釈するしかなかった。
頼継は高遠への帰国中、杖突峠から一行を先に高遠に帰し、頼継はひとり山道に入って、初めて守屋山に登った。無論、大祝の許しと禊ぎをいただいてる。
空の青、山の蒼、湖の滄。
本当に心が安らぐ。頼継は山頂近くで諏方頼高の遺骨を埋め、土下座した。
ーー大祝頼高様、わが子になられるはずだったお方よ……。
頼継は悲壮感に襲われ、ひざまづいた。それでも山頂の風と景色は、頼継を癒してくれる。頼継は、神様が慰めてくれていると感じる。ならばいつまでも悲しんではいけない。頼継は立ち上がり、辺りを見渡せば、信濃国すべての山々と、富士山まで頼継の目に入った。
「素晴らしい。見守れるから守屋なのだろうか?」
頼継は手を叩き、祈る。
ーー姫様が無事に、お子を産みますように。
頼継は赤面した。でも、清々しかった。
高遠館の城郭化工事を始めた頃、今川家と北条家の争乱が始まった。この争乱は東国最強大名関東管領山内憲政の仲裁があって、和睦される。
十月、ついに山内憲政が重たすぎる腰を上げた。扇谷朝定が天文六(一五三七)年に河越城を奪われてからずっと、河越城奪還を進言して以来、やっとの思いで受け入れられた。大永四(一五二四)年、扇谷家と北条家の先代が始めた長き争いに決着をつける、という。兵力は雪斎の予測どおり八万だった。総大将上杉憲政も軍配者菅野大膳も、未曾有の大軍勢が河越城の全方位を囲んだ様子を眺める。じつに壮観だ。誰がどう見てもこれは絶対に勝てると疑わなかった。
大膳は、力攻めでも軽く勝てるのにしなかった。戦わずに勝つは孫子以来のインテリが求め続けた〝戦術の美学〟である。ならば兵糧を絶やししてから降伏させるのがセオリーだ。金と人さえ揃えば余裕な作戦だった。
甲斐国内でも緊張は高まった。誰もが憲政の勝利を疑わない。北条氏康を降伏させた後に起こるであろう甲斐攻めを恐れる声が膨らむ。なのに、甘利虎泰ら譜代の増税派は奇妙なほど冷静だった。
「氏康はだらずじゃ。減税やら殖産やら愚衆共の人気取りばかりやっとるから、いざこんな時に軍資金不足で動けず、小田原でパン助と引きこもるしかないつっこんよ。ブハハハハハ!」
と、氏康を侮辱しながら増税の正義を疑わなかった。関東管領が河越で勝てば、その危機に便乗して税率くらい好き放題に挙げられる。領民の破産や窮乏など、どうでもいい。甲州にとって一番大事なものは領民でもなければ御館様でもない。平安の古より甲斐守護家に伝わる家宝〝御旗〟と〝楯無鎧〟である。これだけ護持できれば、他の全てがどうなろうが知ったことではない。
甲斐の民衆は、本当に大増税時代がやってくるのかと恐怖し、信じそうになる。
〝増税やむなし〟この先、絶望しか見えない。
半年が経ち、天文十五(一五四六)年四月十九日、河越城の兵糧はやっと尽きてくれたものの、山内憲政の八万は結局、この城を落とせなかった。何故ならば、駆けつけた北条氏康の援軍に叩き潰されたからだ! 八万もいながら籠城の三千と後詰九千程度に負けた。ただの負けではない。完膚なきまでのボロ負けである。これで扇谷朝定はじめ無数の将兵が戦死した。その上、二日後には朝定居城松山城が北条軍の追撃戦で取られ、扇谷家は滅亡する。これで旧勢力関東管領家は、東国一番の大名の座を引き摺り落とされ、新興勢力たる北条家がその座を勝ち得る。
関東の乱世はこの日を以て新たなフェイズへ移る。時代そのものが変わったのだ!
関東管領が大敗しても、当初は誰もが耳を疑った。だが、追加情報が雪崩のように押し寄せて来るので、人は皆、山内憲政の歴史的大惨敗が紛れもない事実だと突きつけられる。
「てっ! な、な、なぜ勝てるいくさを落とした?」
その答えに、人は唖然とした。
軍配者菅野大膳は「子曰、君子無所争」の名言を都合よく解釈し、戦闘しないで勝つ兵糧戦に意固地となった。その上、憲政は古河公方ら多くの者と宴会や歌会を興じ続けた。そのせいか、新春を迎えるや兵糧も燃料も尽きた。乱取りを試みようとしても、周囲三里(約12キロ)先までの村々は氏康の命令で予め放棄されていた。だから奪うものすらなかった。普通ならここで和睦して退却するが、憲政も大膳も頑なにそうしなかった。そのせいか広い日本で、ここだけ飢饉が始まった。これを狙って闇商人が現れる。法外な値段で食い物を売り付け、銭がなければ武具や着ぐるみを剥いで持っていった。味方ウチでの喧嘩も頻繁に起こった。
河越城の兵糧が尽きた四月半ばには、関東勢は春窮による餓死者、凍死者、栄養失調者が続出した。飢餓兵ばかりでは、戦闘どころか立ち上がることすらままならない。あの大内家でさえ神屋応援を公認して長期戦対策をしたのに、自分の食料だけは余分に確保した憲政と菅野大膳は、断固やらなかった。
氏康は、強大すぎる敵を追い払う為に研究を尽くした。敵の総大将は頭がお花畑といわれ、政権を担う奉行衆は足利学校の派閥エリート集団である。この高学歴閥は、先の海野家復興戦で、陣幕の外側は一切の無関心を貫いた。ならばその時同様、絶対に兵糧事情に関心を抱かないはずだ。兵力差十分の一の諏方頼重にすら翻弄された反省をしてないからだ。なのにメシだけは誰よりも食らう。学問の中で最も汗臭い〝経済〟への偏見がすざましい理由が大きい。そのせいで予算の無駄遣いは慢性的となるが、対策に努力根性忍耐を要する殖産興業にいかず、算盤だけで脳内処理できる緊縮増税にしかいかない。ならば氏康が取るべきは草の根作戦だ。つまり〝腹が減っては戦はできぬ〟状況作りに徹したのだ。そのために亡父の三年喪服という和睦を成立させ、敵から二年もの準備期間を貰った。これなら河越城を包囲する敵を追い払えると。
そしてというか、しかしというか、作戦は予想を遥かに上回ってしまった。氏康は敵を追い払うどころか、扇谷家という守護大名をひとつ滅ぼしただけでなく、関東のパワーバランスまでひっくり返してしまったのだ。
関東管領家は、海野再興戦ですら勝利に書き換えた敗戦、否、大苦戦を、この戦いでは嘘がつけず、負けを認めるしかなかった。全国は氏康へ大絶賛を送る。その裏返しで、
「論語でいくさをするバカが何処にいる!」
等々、憲政への批判が止まない。奉行衆は処罰を試みるも膨らみすぎて、余計に批判された。領主たちも弾圧する気がない。鎮めるためには責任を取るしかないのだ。だから奉行衆は、嫌々と対策を二つだした。ひとつは当主の改名だ。憲政から憲当(共に〝のりまさ〟)へ文字を一字変えれば、敗戦は無かったことになる、というカルトの発想である。もう一つは、御家再建新税の搾取である。軍配者の失態を領民に払わせる。つまり大膳は、大失態を大失態とすら思ってない。
尼子大敗戦後の大内家でさえ、軍配者である〝畳の上の奉公人〟もとい、相良武任の追放(本来なら切腹)と大幅減税の大改革を行った。三年の限定ながら国力を大きく建て直している。だから多くの山内家家臣や識者は、東国の〝畳の上の奉公人〟こと菅野大膳の切腹と減税を主張した。なのに憲当と大膳の奉行衆は、なぜかそこだけは絶対にやらない。責任の所在をいくら揉み消しても、増税の正当性をいくら作り上げても、家老衆や国衆から論破される。挙げ句の果てには〝風景が変わってないなら時代は変わってない〟〝大膳の知恵が上州を救った〟や〝減税したら民が不幸になる〟と現実逃避に走った。もはや乱心である。
大膳の奉行衆にとって、変化は悪。父祖父先祖の築きあげた既得権益を変えないことこそが正義。だからすべては前例に則る。これが儒教の絶対価値観であり、レゾンデートルでもある。これは死んでも覆せない。
そんなことだから、社会の有り様は、何もかもが悪循環するしかないのだ。
上州ではこのせいで、庶民の税負担率が六公に到達しそうになる。しかし扇谷家が滅亡び、山内家と北条家との国境が初めて接触した以上、民衆も小領主も、裁判や一揆よりもに確実で効果的な対抗策を得てしまっている。
だから皆、異口同訓にこう主張した。
「北条様、共に関東管領を滅ぼしましょう。時がくれば喜んで手引きいたします。我が里を攻め取ってくれれば、牛馬に至るまで誰もが喜びます!」
甲斐国主は五月三日、出陣した。関東管領家の影響力が消滅した佐久郡へ。故に年寄り家老共が出張る。僅か十七日の遠征で内山城を攻め落とし、大井貞清を降伏させた。志賀城の笠原清繁は外交的に追い詰められた。城の警戒を高め、それでも唯一の頼みの綱、関東管領家との関係強化を図ることしか道がない。フェイズが変わったというのに、認めたくないらしい。
高遠城普請は一端中止される。築城最大の目的を失った以上、最強の防備を備える理由がなくなった。故に縄張の一部簡略が決まる。とはいえ上伊那拠点城の立場は変わらない。
街では坊主共が布教している。民衆は無視するも、頼継はもう坊主を裁けない。
六月、頼継の下に小笠原長時からの書状が届いた。
「刑部大輔の件だが、幕府からいろいろあって断られた。仕方がないから、長時自らが紀伊守を与える。これは小笠原家中のなかでも……」ここからダラダラと長い解説、というか言い訳が続いていた。
ーーえ? 何故紀伊守? しかも自称とはな。やはり長時は器の小さなスズメだ……。
関東管領家の脅威が消え去り、双方が頼継を重宝しなくなっている。そのせいか、頼継に反乱なり自立なりの隙が見えてしまった。
「諏方満隣、殺ってもいいんだな!」
頼継は満隣を許したわけではない。奴の弁明も聞かされてない。遠ざけられているというか、避けられてるといくか。きっと両方なのだろう。もしすれ違うことがあれば、後ろから刺してやろうと思ってる。身に覚えがある以上、奴も覚悟をしているだろう。
婚礼からもうすぐ一年になろうとする。まずは小笠原長時側室二木夫人が男児を産んだ。一日開け、村上義清正室小笠原重藤夫人が男児をもうける。同じ日の夜、小坂麻績屋敷の八洲香姫は難産の末、男児が元気な産声をあげてくれた。
半月ほどのち、小坂の屋敷に三人の姫と三人の赤子が集まる。頼継は居ても経ってもいられず、用事もないのに高遠から見舞いにやってきた。
頼継は、三人の無垢な寝顔に感動した。
「可愛いのう。このお三方はきっと仲良くなれる。信濃の平和は叶ったようなものじゃあ!」
頼継の慢心の笑みに、重藤夫人は慎重だ。
「あら、気が早い。やっとその一歩が踏み込めただけですのに」
頼継は年甲斐になく照れる。
「それはそうですが、嬉しいではありませんか! で、どれが姫様のお子ですか?」
夜須香姫は頼継に教えた。
「左のお方です。四郎といいます」
「四郎さまですか。ああ、未来の大祝よ! 惣領家の主よ!」
思わず目尻がたれる。赤子の餅肌に触れたくて仕方がないが、触れてはいけない。
夜須香姫は、くすくす笑った。
「まあ、まるで本物のお爺様ですね」
重藤と二木夫人は笑い、頼継も照れ笑いする。夜須香姫も微笑むが、瞳は湖のほうへ逸らしていた。
この時その裏で、諏方満隆が、まさにこの嫉妬から反旗をあげた。だがすぐに、板垣衆に粛正された。頼継や姫たちがこの事件を知るのは、少し先となる。
天文十六(一五四七)六月、ついに分国法、 甲州法度之次第が公布された。これに従うは、甲斐国内では親族穴山家を含めても譜代が数家のみだが、信濃領国では上伊那ほか大半が従った。諏方郡は板垣信方の目が恐ろしいほどに光るせいで、惣領家旧臣や民衆は賛成の声を出せなかった。
山本勘介も鋭い隻眼を一層光らせた。こちらは家臣団再編成の極秘活動を始める。
閏七月十三日、甲斐国主率いる甲州勢五千は甲府を出陣した。秋山虎繁の上伊那衆も高遠城を出て、二十日に内山城に入る。虎繁の下には諏方頼継も保科正俊も神林上野入道もいた。一日遅れて諏方の板垣衆二千が到着し、二十三日に甲州勢着陣した。本隊が見える。頼継は、もはや秋津の肩身と化した若緑の陣羽織を羽織る。本隊では〝御旗〟と呼ばれる日の丸の左右にはためく、惣領家の新たな神号旗に震えた。
「南無諏方南宮法性上下大明神……、え?」
違和感は「南無」と「法性」。仏教用語だ。
ーー純血たる諏方大明神に神仏習合とは!
と憤りたかったが、書き足しは恐らく甲斐国主で、姫が許したとしか思えない。神号旗が花菱の旗と共にあるのは違和感しかない。甲斐勢は大喜びしてるが、頼継は幻滅する。
「仕方がない。なんだかこればかり……」
もはや神号旗単独では戦えない時代になったのか? これも認めるしかないのか?
頼継は心苦しく、気力が失せる。
ーー隠居したい……。
と初めて思った。でも、継がせる子がいない。
甲斐国主を出迎えに並ぶ頼継。その中心に立つのは無論、イキリ立ちを必死に抑える板垣信方、甘利虎泰と老齢譜代衆だ。
本隊は工藤祐長と山本勘介が前方を務める。
「御館様ご着陣!」
と叫び回ると、侍大将たちは頭を下げた。
甲斐の国主が馬を下りる。頼継の記憶上では初めて、その姿を瞳に映した。それは優しき青年の顔立ちだ。そのせいか、新調した真紅の諏方大明神鎧が似合わない。
「あれが蛮族の親だ……、いや、武田晴信様か」
従五位下大膳大夫。時々、源姓も名乗る男だ。御年二十七歳とは亡き主君、諏方頼重の享年と重なった。
これからの諏方頼継は、老骨に鞭打ちながら、この大将に忠義を尽くすこととなる。
尽くせるのだろうか?
尽くすしかないのだろうな……。
二十四日、志賀城を包囲した武田勢。このとき、陽が陰りだした。雷雲が涌き起る蓼科の山。一羽の鳶が、黒雲に向かって飛んでいった。
(了)
諏方頼継は、駿河へ帰る寿桂一行を見送りに一条小山の麓まで行った。出ていく側には寿桂と雪斎と健乗と、見知らぬやつれた幼子と、護衛の僧侶が数十名。見送る側には山本勘介がいた。
寿桂は頼継の登場に気づいた。
「おおタカトー、きてくれたのか。お前はほんま、ええ奴よの」
と、柔らかい言葉をいただいても、顔は不機嫌極まりなかった。冷静なはずの雪斎と健乗と勘介も緊迫してる。幼子は気落ちしていた。この重苦しい雰囲気に、頼継は質問せざるを得ない。
「な、なにかあったのですか?」
寿桂は目を座らせて、吐き捨てた。
「ブタガキと税奴隷め、最後の最後で私に恥をかかせおった!」
「え?」頼継は目が点になった。
寿桂の一行は帰路についた。見送りが済むと、勘介が詳細を教えてくれた。
「板垣様と甘利様に〝取引〟されました。姫様の婚礼、譜代衆の殆どが反対していたのはご存知かと思いますが……」
「ああ、聞いた。でも、説得は出来たのだろ」
「はい。ですが、納得は出来ていないようでした。あれ以後も、御館様へ不満の声が膨れ上がる一方です。止めたければ、少なくとも寅王様を追放するしかないと……」
「え……? えっ!?」
頼継は仰天した。あの幼子は寅王だった。じつに面識はこれが初めてだったのだ。知らなかったとはいえ無礼だ。頭を下げるべき対象を上から見てしまった。頼継は青ざめ、今更土下座して、寅王に謝ってから勘介に言った。
「た。尋ねておけばよかった。しかし、家老が主君に取引した? 狂ってる……」
「それが〝掟〟なのです」
「だから分国法が必要なのか」
「はい。法は間違いなく作られます。御館様はそのために某や高遠様ら、余所者を近づけているのです」
「なるほど。御館様に力を、とはこういうことか……」
これはキツイ。家族の今を保つために罪なき親戚が生贄にされている。諏方信仰でもこんな形ではやらない。
勘介は怒りを抑えながら言う。
「施行の前日までなら、自力救済に甘えても口を黙ます。それまでに悔い改めなければ、大方様の依頼を実行します。雪斎様の支援も頂きました」
「しかしなぜ、今川が絡む?」
「法治の基本は他力救済です。そんな国と付き合うためには、こちらも合わせるしかないでしょう。それが転宝輪家の方様の値段だったのです。でもその支払い、十年も踏み倒されていました。理由は言わずもがなです。だから今川家もいい加減、堪忍袋の緒がなんとやらなんです」
「ああ……」
「ま、時代の進化に抗う人外共は、施行後、いつか消えてもらいましょう」
勘介の顔つきは異常に険しい。頼継は身震いしたら、思い出した。
〝オノレ アマリ〟
ーーあ、これ暗殺だ……。
ただ具体的に、どう頭を使って知恵を出し、殺すかまでは想像できない。しかし勘介の目論み、超法規的な気がする。突っ込んでいいのだろうか? 頼継は問おうと思ったが、怖くてやめた。
寅王追放の件、躑躅ヶ崎の奥屋敷からなんの音沙汰もない。頼継は夜須香姫の様子が心配で仕方なかった。神林丁字に聞いても、黙秘を貫かれた。明らかに強く言い含められている。それが逆に、奥屋敷の中の物悲しさを伝えてるようだ。頼継は、聞いてはいけないことと解釈するしかなかった。
頼継は高遠への帰国中、杖突峠から一行を先に高遠に帰し、頼継はひとり山道に入って、初めて守屋山に登った。無論、大祝の許しと禊ぎをいただいてる。
空の青、山の蒼、湖の滄。
本当に心が安らぐ。頼継は山頂近くで諏方頼高の遺骨を埋め、土下座した。
ーー大祝頼高様、わが子になられるはずだったお方よ……。
頼継は悲壮感に襲われ、ひざまづいた。それでも山頂の風と景色は、頼継を癒してくれる。頼継は、神様が慰めてくれていると感じる。ならばいつまでも悲しんではいけない。頼継は立ち上がり、辺りを見渡せば、信濃国すべての山々と、富士山まで頼継の目に入った。
「素晴らしい。見守れるから守屋なのだろうか?」
頼継は手を叩き、祈る。
ーー姫様が無事に、お子を産みますように。
頼継は赤面した。でも、清々しかった。
高遠館の城郭化工事を始めた頃、今川家と北条家の争乱が始まった。この争乱は東国最強大名関東管領山内憲政の仲裁があって、和睦される。
十月、ついに山内憲政が重たすぎる腰を上げた。扇谷朝定が天文六(一五三七)年に河越城を奪われてからずっと、河越城奪還を進言して以来、やっとの思いで受け入れられた。大永四(一五二四)年、扇谷家と北条家の先代が始めた長き争いに決着をつける、という。兵力は雪斎の予測どおり八万だった。総大将上杉憲政も軍配者菅野大膳も、未曾有の大軍勢が河越城の全方位を囲んだ様子を眺める。じつに壮観だ。誰がどう見てもこれは絶対に勝てると疑わなかった。
大膳は、力攻めでも軽く勝てるのにしなかった。戦わずに勝つは孫子以来のインテリが求め続けた〝戦術の美学〟である。ならば兵糧を絶やししてから降伏させるのがセオリーだ。金と人さえ揃えば余裕な作戦だった。
甲斐国内でも緊張は高まった。誰もが憲政の勝利を疑わない。北条氏康を降伏させた後に起こるであろう甲斐攻めを恐れる声が膨らむ。なのに、甘利虎泰ら譜代の増税派は奇妙なほど冷静だった。
「氏康はだらずじゃ。減税やら殖産やら愚衆共の人気取りばかりやっとるから、いざこんな時に軍資金不足で動けず、小田原でパン助と引きこもるしかないつっこんよ。ブハハハハハ!」
と、氏康を侮辱しながら増税の正義を疑わなかった。関東管領が河越で勝てば、その危機に便乗して税率くらい好き放題に挙げられる。領民の破産や窮乏など、どうでもいい。甲州にとって一番大事なものは領民でもなければ御館様でもない。平安の古より甲斐守護家に伝わる家宝〝御旗〟と〝楯無鎧〟である。これだけ護持できれば、他の全てがどうなろうが知ったことではない。
甲斐の民衆は、本当に大増税時代がやってくるのかと恐怖し、信じそうになる。
〝増税やむなし〟この先、絶望しか見えない。
半年が経ち、天文十五(一五四六)年四月十九日、河越城の兵糧はやっと尽きてくれたものの、山内憲政の八万は結局、この城を落とせなかった。何故ならば、駆けつけた北条氏康の援軍に叩き潰されたからだ! 八万もいながら籠城の三千と後詰九千程度に負けた。ただの負けではない。完膚なきまでのボロ負けである。これで扇谷朝定はじめ無数の将兵が戦死した。その上、二日後には朝定居城松山城が北条軍の追撃戦で取られ、扇谷家は滅亡する。これで旧勢力関東管領家は、東国一番の大名の座を引き摺り落とされ、新興勢力たる北条家がその座を勝ち得る。
関東の乱世はこの日を以て新たなフェイズへ移る。時代そのものが変わったのだ!
関東管領が大敗しても、当初は誰もが耳を疑った。だが、追加情報が雪崩のように押し寄せて来るので、人は皆、山内憲政の歴史的大惨敗が紛れもない事実だと突きつけられる。
「てっ! な、な、なぜ勝てるいくさを落とした?」
その答えに、人は唖然とした。
軍配者菅野大膳は「子曰、君子無所争」の名言を都合よく解釈し、戦闘しないで勝つ兵糧戦に意固地となった。その上、憲政は古河公方ら多くの者と宴会や歌会を興じ続けた。そのせいか、新春を迎えるや兵糧も燃料も尽きた。乱取りを試みようとしても、周囲三里(約12キロ)先までの村々は氏康の命令で予め放棄されていた。だから奪うものすらなかった。普通ならここで和睦して退却するが、憲政も大膳も頑なにそうしなかった。そのせいか広い日本で、ここだけ飢饉が始まった。これを狙って闇商人が現れる。法外な値段で食い物を売り付け、銭がなければ武具や着ぐるみを剥いで持っていった。味方ウチでの喧嘩も頻繁に起こった。
河越城の兵糧が尽きた四月半ばには、関東勢は春窮による餓死者、凍死者、栄養失調者が続出した。飢餓兵ばかりでは、戦闘どころか立ち上がることすらままならない。あの大内家でさえ神屋応援を公認して長期戦対策をしたのに、自分の食料だけは余分に確保した憲政と菅野大膳は、断固やらなかった。
氏康は、強大すぎる敵を追い払う為に研究を尽くした。敵の総大将は頭がお花畑といわれ、政権を担う奉行衆は足利学校の派閥エリート集団である。この高学歴閥は、先の海野家復興戦で、陣幕の外側は一切の無関心を貫いた。ならばその時同様、絶対に兵糧事情に関心を抱かないはずだ。兵力差十分の一の諏方頼重にすら翻弄された反省をしてないからだ。なのにメシだけは誰よりも食らう。学問の中で最も汗臭い〝経済〟への偏見がすざましい理由が大きい。そのせいで予算の無駄遣いは慢性的となるが、対策に努力根性忍耐を要する殖産興業にいかず、算盤だけで脳内処理できる緊縮増税にしかいかない。ならば氏康が取るべきは草の根作戦だ。つまり〝腹が減っては戦はできぬ〟状況作りに徹したのだ。そのために亡父の三年喪服という和睦を成立させ、敵から二年もの準備期間を貰った。これなら河越城を包囲する敵を追い払えると。
そしてというか、しかしというか、作戦は予想を遥かに上回ってしまった。氏康は敵を追い払うどころか、扇谷家という守護大名をひとつ滅ぼしただけでなく、関東のパワーバランスまでひっくり返してしまったのだ。
関東管領家は、海野再興戦ですら勝利に書き換えた敗戦、否、大苦戦を、この戦いでは嘘がつけず、負けを認めるしかなかった。全国は氏康へ大絶賛を送る。その裏返しで、
「論語でいくさをするバカが何処にいる!」
等々、憲政への批判が止まない。奉行衆は処罰を試みるも膨らみすぎて、余計に批判された。領主たちも弾圧する気がない。鎮めるためには責任を取るしかないのだ。だから奉行衆は、嫌々と対策を二つだした。ひとつは当主の改名だ。憲政から憲当(共に〝のりまさ〟)へ文字を一字変えれば、敗戦は無かったことになる、というカルトの発想である。もう一つは、御家再建新税の搾取である。軍配者の失態を領民に払わせる。つまり大膳は、大失態を大失態とすら思ってない。
尼子大敗戦後の大内家でさえ、軍配者である〝畳の上の奉公人〟もとい、相良武任の追放(本来なら切腹)と大幅減税の大改革を行った。三年の限定ながら国力を大きく建て直している。だから多くの山内家家臣や識者は、東国の〝畳の上の奉公人〟こと菅野大膳の切腹と減税を主張した。なのに憲当と大膳の奉行衆は、なぜかそこだけは絶対にやらない。責任の所在をいくら揉み消しても、増税の正当性をいくら作り上げても、家老衆や国衆から論破される。挙げ句の果てには〝風景が変わってないなら時代は変わってない〟〝大膳の知恵が上州を救った〟や〝減税したら民が不幸になる〟と現実逃避に走った。もはや乱心である。
大膳の奉行衆にとって、変化は悪。父祖父先祖の築きあげた既得権益を変えないことこそが正義。だからすべては前例に則る。これが儒教の絶対価値観であり、レゾンデートルでもある。これは死んでも覆せない。
そんなことだから、社会の有り様は、何もかもが悪循環するしかないのだ。
上州ではこのせいで、庶民の税負担率が六公に到達しそうになる。しかし扇谷家が滅亡び、山内家と北条家との国境が初めて接触した以上、民衆も小領主も、裁判や一揆よりもに確実で効果的な対抗策を得てしまっている。
だから皆、異口同訓にこう主張した。
「北条様、共に関東管領を滅ぼしましょう。時がくれば喜んで手引きいたします。我が里を攻め取ってくれれば、牛馬に至るまで誰もが喜びます!」
甲斐国主は五月三日、出陣した。関東管領家の影響力が消滅した佐久郡へ。故に年寄り家老共が出張る。僅か十七日の遠征で内山城を攻め落とし、大井貞清を降伏させた。志賀城の笠原清繁は外交的に追い詰められた。城の警戒を高め、それでも唯一の頼みの綱、関東管領家との関係強化を図ることしか道がない。フェイズが変わったというのに、認めたくないらしい。
高遠城普請は一端中止される。築城最大の目的を失った以上、最強の防備を備える理由がなくなった。故に縄張の一部簡略が決まる。とはいえ上伊那拠点城の立場は変わらない。
街では坊主共が布教している。民衆は無視するも、頼継はもう坊主を裁けない。
六月、頼継の下に小笠原長時からの書状が届いた。
「刑部大輔の件だが、幕府からいろいろあって断られた。仕方がないから、長時自らが紀伊守を与える。これは小笠原家中のなかでも……」ここからダラダラと長い解説、というか言い訳が続いていた。
ーーえ? 何故紀伊守? しかも自称とはな。やはり長時は器の小さなスズメだ……。
関東管領家の脅威が消え去り、双方が頼継を重宝しなくなっている。そのせいか、頼継に反乱なり自立なりの隙が見えてしまった。
「諏方満隣、殺ってもいいんだな!」
頼継は満隣を許したわけではない。奴の弁明も聞かされてない。遠ざけられているというか、避けられてるといくか。きっと両方なのだろう。もしすれ違うことがあれば、後ろから刺してやろうと思ってる。身に覚えがある以上、奴も覚悟をしているだろう。
婚礼からもうすぐ一年になろうとする。まずは小笠原長時側室二木夫人が男児を産んだ。一日開け、村上義清正室小笠原重藤夫人が男児をもうける。同じ日の夜、小坂麻績屋敷の八洲香姫は難産の末、男児が元気な産声をあげてくれた。
半月ほどのち、小坂の屋敷に三人の姫と三人の赤子が集まる。頼継は居ても経ってもいられず、用事もないのに高遠から見舞いにやってきた。
頼継は、三人の無垢な寝顔に感動した。
「可愛いのう。このお三方はきっと仲良くなれる。信濃の平和は叶ったようなものじゃあ!」
頼継の慢心の笑みに、重藤夫人は慎重だ。
「あら、気が早い。やっとその一歩が踏み込めただけですのに」
頼継は年甲斐になく照れる。
「それはそうですが、嬉しいではありませんか! で、どれが姫様のお子ですか?」
夜須香姫は頼継に教えた。
「左のお方です。四郎といいます」
「四郎さまですか。ああ、未来の大祝よ! 惣領家の主よ!」
思わず目尻がたれる。赤子の餅肌に触れたくて仕方がないが、触れてはいけない。
夜須香姫は、くすくす笑った。
「まあ、まるで本物のお爺様ですね」
重藤と二木夫人は笑い、頼継も照れ笑いする。夜須香姫も微笑むが、瞳は湖のほうへ逸らしていた。
この時その裏で、諏方満隆が、まさにこの嫉妬から反旗をあげた。だがすぐに、板垣衆に粛正された。頼継や姫たちがこの事件を知るのは、少し先となる。
天文十六(一五四七)六月、ついに分国法、 甲州法度之次第が公布された。これに従うは、甲斐国内では親族穴山家を含めても譜代が数家のみだが、信濃領国では上伊那ほか大半が従った。諏方郡は板垣信方の目が恐ろしいほどに光るせいで、惣領家旧臣や民衆は賛成の声を出せなかった。
山本勘介も鋭い隻眼を一層光らせた。こちらは家臣団再編成の極秘活動を始める。
閏七月十三日、甲斐国主率いる甲州勢五千は甲府を出陣した。秋山虎繁の上伊那衆も高遠城を出て、二十日に内山城に入る。虎繁の下には諏方頼継も保科正俊も神林上野入道もいた。一日遅れて諏方の板垣衆二千が到着し、二十三日に甲州勢着陣した。本隊が見える。頼継は、もはや秋津の肩身と化した若緑の陣羽織を羽織る。本隊では〝御旗〟と呼ばれる日の丸の左右にはためく、惣領家の新たな神号旗に震えた。
「南無諏方南宮法性上下大明神……、え?」
違和感は「南無」と「法性」。仏教用語だ。
ーー純血たる諏方大明神に神仏習合とは!
と憤りたかったが、書き足しは恐らく甲斐国主で、姫が許したとしか思えない。神号旗が花菱の旗と共にあるのは違和感しかない。甲斐勢は大喜びしてるが、頼継は幻滅する。
「仕方がない。なんだかこればかり……」
もはや神号旗単独では戦えない時代になったのか? これも認めるしかないのか?
頼継は心苦しく、気力が失せる。
ーー隠居したい……。
と初めて思った。でも、継がせる子がいない。
甲斐国主を出迎えに並ぶ頼継。その中心に立つのは無論、イキリ立ちを必死に抑える板垣信方、甘利虎泰と老齢譜代衆だ。
本隊は工藤祐長と山本勘介が前方を務める。
「御館様ご着陣!」
と叫び回ると、侍大将たちは頭を下げた。
甲斐の国主が馬を下りる。頼継の記憶上では初めて、その姿を瞳に映した。それは優しき青年の顔立ちだ。そのせいか、新調した真紅の諏方大明神鎧が似合わない。
「あれが蛮族の親だ……、いや、武田晴信様か」
従五位下大膳大夫。時々、源姓も名乗る男だ。御年二十七歳とは亡き主君、諏方頼重の享年と重なった。
これからの諏方頼継は、老骨に鞭打ちながら、この大将に忠義を尽くすこととなる。
尽くせるのだろうか?
尽くすしかないのだろうな……。
二十四日、志賀城を包囲した武田勢。このとき、陽が陰りだした。雷雲が涌き起る蓼科の山。一羽の鳶が、黒雲に向かって飛んでいった。
(了)
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