Unknown Power

ふり

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2章

08 今の桐子の居場所

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 新後市内の野球場では、活気あふれる声が鳴り響いていた。少年少女がユニフォームを土や泥で汚し、顔から落ちる汗を気にすることもなく無心に白球を追いかける。

「コラ、センター! たらたらと打球を追うんじゃない! 全力で追わんかいッ!」

 ノッカーを自ら務めるスポーツ刈りの青年――坂西(さかにし)監督の厳しい檄が飛ぶ。センターの少年が「はいッ!」と、負けないような大声を返した。
 そんな活気あふれるグラウンドの隅で、桐子と10歳ぐらいの子どもが、マンツーマンで練習をしていた。

「ほらほら、全然捕れなくなってんぞ」

 桐子が捕手用のマスクとプロテクターをつけた子どもに、いろんな方向へボールを軽く放っていた。捕れるボールもあれば、体の移動が間に合わなくて捕れず、後ろに逸らしてしまうボールもある。しゃがんでいる姿勢で、どこへ飛んでいくわからないボールを追うのはひどく体力を消耗(しょうもう)する。ついに子どもが両膝を突き、荒い吐息とともに体を上下させ、その場から動かなくなった。
 桐子は労うように声をかけた。

「あずさ、少し休憩すっか」
「は、はいぃ……」

 羽尾(はねお)あずさは這うようにして桐子のもとへたどり着いた。

「ほら、飲めよ」

 傍らに置いといたクーラーボックスからスポーツドリンクを抜き取り、子どもに向かって放る。両手で受け止め、それを地面に置いてから、マスクとヘルメットを素早く取り去った。汗に濡れた髪が顔に張り付くが、まったく気にせずに喉を鳴らし始めた。

「ふぅー、生き返りましたー」

 安堵の色が顔に浮かんだ。アーモンド型の瞳が特徴的で、このまま成長していけば、美人キャッチャーとして名を馳(は)せるだろうと桐子は密かに期待していた。

「顔もちゃんと拭けよ。拭かねえと風邪ひくっけな」
「ありがとうございます。野球してると暑いですけど、寒くなってきましたね」
「言い方がばっちゃんみてぇだぞ」
「私、おばあちゃんが大好きですから」
「アハハ、んなこと聞いてねぇよ」

 桐子はタオルの上から頭をクシャクシャとやや乱暴になでた。

「あのぅ、師匠。ちょっと、見せたいものがあるんですけど」

 あずさのスポーツバッグから大きめの茶封筒が出てきた。それを桐子におずおずと手渡す。

「これ、ナ(おまえ)が描いたのか」

 茶封筒の中身を確かめてみると、そこには桐子の似顔絵が描かれた画用紙が出てきた。

「は、はい……」

 照れくさそうにタオルで顔を隠しているあずさ。懐かしい感情が蘇ってくる。遠い昔に同じことをしてくれた人物がいたのだ。そのときは素直になれなかったけど、今は温かい心で受け止めることができた。

「フフ、すげえ嬉しいわ。やっぱ目つきがわーりぃんだな、よぉ特徴をつかんでる」
「ほ、本当!? ……ですかっ? やったー!」

 あずさが跳び上がらんばかりに喜んでいる。その微笑ましい姿を見ながら昔を思い出していた。
 今はお互いにそっけないようの感じだが、昔は由加里が桐子にぞっこんだった時期があった。

「桐ちゃん桐ちゃん!」
「なんだよ」

 今のあずさと同じくらいのときだっただろうか、そのころの由加里が桐子に画用紙を見せてくれた。大好きな桐子の似顔絵を描いたらしい。あずさと同じぐらいの画力である。
 桐子は素直に嬉しかったのだが、照れくさいというのもあって、

「下手クソな絵だな。目しか似てねーよ」

 と、口では反対のことを思わず言ってしまったのだ。
 この一言に由加里は号泣し、以降1週間は口を利いてくれなくなった。桐子も最初は意地を張っていた。が、だんだんと自分の言ったことの後悔と、由加里が口を利いてくれないことが寂しくなり、最後には泣いて謝ったのだった。

「――師匠、どうしたんですか?」

 思い出して口元をほころばせている横であずさが不思議な顔をしていた。

「わりぃ、ナ(おまえ)ぐれぇのころをことを思い出してたわ。よーし、いつまでも休んでらんねぇな。練習再開すっぞ」
「はい!」



 あの日――11月27日の金曜日の夕方に、桐子が恩愛寮に行ったのはたまたまだった。
 少し仮眠をして、約1ヶ月前から社内――桐子の家は父親が社長の工務店を営んでいる――の後輩の弟が所属するリトルのチーム――新後リトルに顔を出しに行こうと思っていた。
 チームの正捕手がケガをしてしまい、当面の捕手に実戦経験が少ない控えの女の子――羽尾あずさが抜擢され、個人コーチとして招かれたのだ。
 ちょうど前の坂戸とは関係がギクシャクしていたので、桐子は居場所を求めるかのようにふたつ返事で了解したのだった。
 今日はキャッチングをビシバシ鍛えてやろうと思っていたが、成り行きで自チームの練習に参加したのち、その後もマンツーマンで教えに来ていた。
 どうしてあずさが捕手になりたいと思ったのかと言えば、自身の祖父の影響だった。集団就職で上京した祖父は野球が大好きで、何よりの楽しみが少ない給料で観に行く職業――現プロ――野球の試合だった。当時の関東巨人軍――現タイタンズ――には、エース級の投手が綺羅星(きらぼし)のごとくそろっていた。カルマシン、滝町(たきまち)、大頭(おおと)などを闘志溢れるプレーで牽引した選手こそ吉永(よしなが)という選手こそ祖父が一番好きな選手だった。キャッチャーながら俊足、それを活(い)かした守備も良し、性格も元気ハツラツで良し、と、まさに従来(じゅうらい)の捕手像を一変させるような選手だった。戦争に駆り出されて戦死したため実働は4年と短い。だが、由加里たちの祖父母の世代でタイタンズファンなら知らない者はいない。戦前の記憶に残る選手のひとりなのだ。
 物心がつく前から吉永の魅力いっぱい話を聞いていた育ったあずさは、将来は吉永のようなキャッチャーになりたいと強く想った。しかし、入った新後リトルの正捕手の壁は高く、ずっと控えやほかのポジションをたらい回しにされる日々だった。そして、ここにきて正捕手のケガでお鉢が回ってきたというわけなのだ。
 そんな話を聴いた桐子は俄然(がぜん)張り切り、マンツーマンの猛特訓のおかげか、今では試合に出れるようなレベルまで到達した。しかしそれは、捕る、投げる部分のことに関してだけであり、サインや指示を覚えたりするのはまだまだ先の話だった。
 とにかく、投球や送球を捕ることと、捕球や送球を逸らさないことに重点を置いた桐子の指導法にチームの監督は納得している。基本ができていなければ、試合じゃ使いものにならない。最悪サインは監督やコーチが主導でやってもいい考えだった。
 今ふたりは送球練習を行っている。桐子をセカンドに見立てて、あずさが素早く正確な送球をできるようになるためだ。

「まだ捕ってから投げるまでの動作が遅(おせ)ぇぞ!」「今度は送球が逸れてっぞ!」「もっと腕の振りも意識せぇや!」

 桐子から厳しい檄が次々に飛んでいく。それでも少女は「はい!」とハッキリした返事をしながら、桐子の言葉を体で理解しようと必死になって練習に喰らいついている。

「よしよしその調子だ」
「はいっ!」

 しかし褒められた直後、送球を速くするために体勢を崩し、送球が桐子の遥か頭上を超えていった。

「あっ、すいません!」

 あずさが捕りに行こうとして駆け出しかけるが、桐子が制した。

「いいわや、オレが捕りに行くっけ」
「全員集合――ッ!」

 そのとき、監督から号令がかかった。

「おーい、あずさも来てくれー!」

 あずさは桐子と監督を交互に見やって困惑している。

「あずさ、監督の言うことは聞かんきゃねーぞ、オレなん気にしね(ない)で行けや!」
「は、はいっ!」

 みなが集合しているホームベースまで駆け足で急ぐ。ひとりになった桐子は、その背を見送りつついつもの自問自答をする。

――オレは何をやってんだか。アイツが成長してくのは楽しみだけど、坂戸から逃げてるだけじゃねーのか?

 何も伝えず自分のチームに選手として練習に参加していないのには、さすがに気が引けているらしい。

――オレはいったい何をしてぇんだ。選手としてやっていきたいのか? コーチとしてやっていきてぇんか?

 コーチ業も選手が育つ過程を身近で感じれば感じるほどおもしろいものだ。欲を言えば、楽しいことはどちらもやりたいのが人間である。

――ここに来て1ヶ月近くになるけど、誰にもなんにも言われねぇもんな。仕事のこともあっけどさ、あの坂戸のクソババアがいる限りは、オレの居場所は新後アイリスにはねぇんかも。

 桐子は実家の手伝いをほぼ毎日していた。現場に出てほかの社員といっしょに汗を流している。仕事は仕事で経験が長く、要領よくこなしているため社員からの信頼も篤(あつ)い。もちろん、実父で社長の工三(こうぞう)からもである。自分より年下の若手社員からは「姐(ねえ)さん」と、怒ると怖いことから畏怖(いふ)も親しみも込めてそう呼ばれている。ちなみに大まかなスケジュールは、現場の仕事が終わってから来るのが日課である。進み具合によっては早くに抜け出して恩愛寮でトレーニングをしたり、畳部屋で仮眠を摂っていることもあった。

――今度坂戸とじっくり話してから決めっか。答えようによっちゃ、ぶちのめしたるっけーなアイツ。

 桐子は自分の中でひとまず結論を出すと、外野の転がっているボールを拾い始めた。
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