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2章
15 理想的な青写真
しおりを挟む「このチームで野球ができて楽しいか」
「楽しいよ! でも、ジプシーな環境は嫌だなぁ。いろいろな場所に行けるのは楽しいけどさ、移動のたびにちょっと憂鬱(ゆううつ)だもん」
「確かにな。俺だったら音(ね)をあげてるな」
マイナーリーグはバスでの移動が主である。日本の国土の25倍以上あるアメリカは、1回の移動で1000キロ超えなんてのはよくあり、時間も半日以上かかるなんてこともザラにある。ときには飛行機での移動があるが、もちろんエコノミークラスを利用する。ただでさえ体格のいいアメリカ人が、スポーツで鍛え抜かれた体を窮屈に縮め、何時間も耐えるのはさぞかし苦痛だろう。
仲は切り出すように言った。
「環境を変えてみたいと思わないか?」
「環境を……?」
言葉にピンと来ないらしく、ガウラは首をかしげた。対するネリネは興味ありげな視線をこちらに寄こした。
「何人かのメジャーリーガーが日本に行ったことは知ってるか?」
この年のオフに出場機会を求め、数人の現役のメジャーリーガーが海を渡り、契約を交わした。彼らのうち何人かは翌年、日本で活躍してその名を轟かせることになる。
ふたりは軽くうなずく。それを受けて仲は続けた。
「日本に来てみないか」
ガウラは驚きを顔に貼りつけ、ネリネは目を刮目(かつもく)させている。
「日本のことわざに捲土重来(けんどちょうらい)という言葉がある。意味は『一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すこと』。意味合いは違うが、ほかの場所で経験を積んで力を蓄え、自分を鍛えあげてまたアメリカに帰ってくればいいじゃないか。ストライキはいつまで続くかわからない。だがな、ストライキが終わるまでに俺や拝藤組の監督とコーチ陣は、君たちを育て上げられる自信がある」
ガウラが明らかに戸惑いの表情を浮かべて黙りこくってしまった。好意的な視線から疑惑の視線に変わっていくのが手に取るようにわかり、仲の胃が締め上げられるかのように痛んだ。
会ったばかりの人間にここまで断言されると、逆に不安になるものである。そのことを仲は知っていたはずなのに、ついつい気持ちが逸り、口から出てしまった。後悔してももはや遅い。覆水(ふくすい)盆(ぼん)に返らずである。心の中で自分の顔面を拳で目いっぱい殴りつけた。
「すまん。今言ったことは――」
苦し紛れに言い訳しようとしたが、
「……言葉ではなんとでも言える」
ぴしゃりと遮られる。今まで口を開かなかったネリネの低め声が場を圧した。
「こちらからしたら、アンタは素性(すじょう)の知らぬ一般人と同等なんだ。だってそうだろう? 日本のプロ野球ですら、両リーグチャンピオンの東京タイタンズと大鉄(だいてつ)ジャガーズしか知らない。それを社会人チームなんて、知る由もあるまい。君はアメリカの独立リーグのチームの名前なんて知らないだろ」
やや幼さの残る相貌から予想できないほどの女性ならではの低い声に、勇壮(ゆうそう)さが合わさったような声でハキハキと話す。聞き取りやすく、リーダーシップを発揮するには理想的な声である。
「勧誘するにしても、少し時と場所を考えて話してもらいたいものだな」
仲の胸と喉が詰まった。
「今のアンタは信用に値するまでもない」
ホテルに戻った仲は、カバンやトランクをそこらへんに放り、ベッドに身を投げた。仰向けになり、天井を見つめながら盛大な溜息を漏らす。どうにも初手からつまづいたとしか思えなかった。
監督のランドルフから話があったなかったにせよ、初対面で勧誘の話はするべきではなかったのだ。例えるなら、さしてあまり話したことがなく、こちらが片思いしている人物に突然告白するようなものである。あまりにも常識に欠けていて、身勝手な振る舞いだ。何より、きちんと段階踏まねばならなかったのである。ただ、若いガウラは魅力的過ぎた。交渉をすっ飛ばして日本に連れて帰りたいほどのバイタリティーにあふれる選手なのだ。長身と美貌を兼ね備え、ここに実力までついてしまえば人気が爆発し、集客と――選手のグッズを売り出したとしての――収益面がうなぎ上りなのは確定的で笑いが止まらない。そんな青写真を描きたくもなる。ただ、自分の懐に入ってくるかどうかはわからないが。
――ネリネもできたら引き抜きたいよな……。
元の世界では地頭(じあたま)がよく、あとから実力も伴い、リーダーシップを執(と)っていた。寡黙(かもく)な性格ではあるが、人の動きをよく見てるし、理解力も優れている。こんな選手を放っておくほうがおかしい。だが、ネリネの引き抜きの話はランドルフにも申し出ていない。頃合いを見計らって申し出るつもりでいる。が、今日のようなヘマをすれば、ランドルフはよくてもネリネ本人が態度を硬化させて来ない場合もある。そうなると、仲が良いガウラも警戒心を募らせて日本に来ない可能性も出てくる。スカウトと選手は相思相愛の信頼関係を築かなければならない。そして、あくまでも選手本人の意思を尊重せねばならない。本人が行きたくないのに、充分な理解を得られれないまま無理矢理でも連れて帰れば、双方にとって不幸な結末が待っているに違いない。
――あのふたりがいい意味でも悪い意味でも想定外だった。
元の世界でガウラとネリネのふたりが交わることはない。お互いに別のリーグのマイナーに所属し、メジャーに昇格してそれぞれ活躍した。選手を引退してからも監督やコーチで球団がいっしょになることもなかった。唯一の例外が、2009年に行われた世界大会でお互いナショナルチームのコーチとして所属していたのみだ。しかし今、神のいたずらか何かはわからないが、同じマイナーで同じ釜の飯を食っている間柄だ。
――これを好機と捉えずとしてなんとするか。
千載(せんざい)一遇(いちぐう)のチャンスを逃したくなかった。世のスカウトもエースと正捕手になるとわかっている人間が目の前にいれば、どんなに困難に見舞われようとも、命を懸けてでも獲得に漕ぎつけるだろう。
――両取りできればスカウト冥利に尽きるってやつだ。
そのためにはアプローチを変えねばならない。ふたりの警戒心を解きつつ親密な仲になっていかねばならなかった。枕元に投げていたスマホを操作して掲げ、家族全員が写っている写真を選択した。
――俺はやるぞ。必ず、みんなのもとに帰って見せるからな。
意思を固めベッドから降り、トランクからキャッチャーミットを引っ張り出した。
――それにはこいつが役に立つ。
布きれにワックスをつけてミットを磨き始める。虎視(こし)眈々(たんたん)と準備を始めた仲だった。
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