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2章
19 ひとつの手がかり
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――私にできることって何があるんだろうか。
家の自室で独り、由加里はふとそんなことを思う。もうひとりの自分が来てからというものの、様々な出来事があった。現状でもなつめから恋愛対象として迫られるとは夢にも思いもしなかった。
坂戸の言うことは全部信じたいのが理想だ。しかし、人間そう全部を信じられないのが現実である。どうしても起こっていないことに対しては真実か嘘かわかるわけがない。信じようと思えば信じれるし、信じられないと思えばそれまでである。なにせ、経過と結末を知っているのは坂戸だけである。今のところはだいたい以前話してくれた通り進んでいるらしい。
もしも万が一坂戸が嘘をついていて、自分を含めた新後アイリス全体を操っていたとしたら。救うなんては真逆で、元の世界とは違ったやり方で破滅に導いていたとしたら。こんなふうに疑えることもできた。けれどキリがないし、確証なんてない。ただ、坂戸がいう元の世界で経験してきた知識と記憶、それに自分と瓜ふたつの顔を信じるしかないのだ。
出会った当初は不安になることもあった。自分しかわからない、坂戸イコールもうひとりの自分――明らかに異常に思える。だから、仮説として倉本元監督の死が思いのほか衝撃が強すぎて、自分の心と頭が壊れてしまったとも疑った。空想が壊れた脳で具現化し、妄想が坂戸監督を年老いた自分に見立てて接しているんじゃないか、と。だが、この仮説は早々に取り下げた。
由加里は坂戸以上に悲嘆に暮れることができなかったのだ。入団してともに日本選手権まで戦い抜いた記憶は新しく、思い入れも強く鮮明なのだが……。それはたった4年の出来事である。以前話してくれた坂戸が倉本とともに過ごしてきた約30年間とではあまりにも差がありすぎた。感覚として由加里にとって倉本は親戚のおじさんぐらいのもので、坂戸にとっては親と同等かそれ以上の存在だっただろう。ちなみに、後付けの情報手に入ったところで脳を騙(だま)すことも可能だった。が、坂戸の話を信じて協力したほうが自分にとってチームにとっても良さそうだと判断した。由加里自身では正しい道までとは断言できないが、とにかく道を示してくれる人間がいれば心強いものである。
脳を騙し、腐らし、鈍らせて現実逃避をしてても、貴重な人生をムダにするだけだ。
――卒アルに何かヒントがあるかもしれないな。
部屋の隅(すみ)に転がっていた小学校、中学校、高校の3冊の卒業アルバムを手元に寄せる。パラパラとめくって何気なく思い立つ。
――ひとりひとりの名前を書き写してみるか。
瞬時に面倒くささが先行した。しかも名前を漢字で書いた横にローマ字でも書いてみよう、と、心中にいるもうひとりの自分が提案している。さらに面倒くさい。どうしてこんなことを思いついたんだろう。
――坂戸悠里と佐渡由加里の名前の響きが似てるから?
自分を呪いたかった。とりあえず机に真新しいノートと鉛筆を用意してみる。ため息が出た。ダブる生徒もいるが、100人は優に超えるだろう。しばらく準備万端(ばんたん)に整えた机を覇気(はき)のない顔で見ていたが、頭にハチマキを巻いて気合を入れた。
――大変だけど……やるしかない。すべては新後アイリスのため、もうひとりの私のためだ!
「ただいま帰りましたー」
坂戸が佐渡宅の玄関で靴を脱いでいると、勢いよく階段を駆け下りる音がしてくる。その主に笑いかけた。
「あら、お出迎えとは珍しい」
「いいから、早く来て! ああもうまどろっこしい!」
血走った眼をした由加里が坂戸の手を引く。お構いなしに自室へ引っ張った。
「いったい、なんなのよ」
若干息切れした坂戸が不快げに言葉を漏らす。由加里は無言でノートを突きつけて指さした。
「ここを見て。この狭山(さやま)嘉奈(かな)って女の名前をローマ字で書いてバラして組み合わせてみたんだ」
いくつかのローマ字の姓名に混じってしっくり来る名前があった。
「カナヤマサ……かなやまさ……金谷政!?」
「ね。この女の名前をバラすと、前に話してくれた金谷政って名前が出てきたんだ」
開かれたアルバムの中から狭山嘉奈を目に留めた。三つ編みを二つ結びにしていてかつ瓶底眼鏡と、いかにも地味で塗り固めたような女子生徒だった。
「中学までいっしょだったんだけど、あいにくあまり話したことがなくて印象ないんだ」
問われる前に由加里は小中学校での関係性を言った。
「そうなの、残念」
興奮がしぼみ、冷静さを取り戻した坂戸がノートに目をやった。
「待って、もうひとつ組み合わせができるのよ」
鉛筆をノートに走らせる。筆記体で書かれた名前を、由加里は声を出して読んでみた。
「なかまさや? 仲なんて苗字があんの?」
「うん。元の世界では金谷政だったけど、この世界では仲正弥って名乗ってるのよ」
「ああ、昔からバッテリーを組んでいた」
言って、由加里はバツが悪そうに口をつぐんだ。前に坂戸が取り乱したことを思い出したのだ。坂戸は軽く微笑む。
「もう、気にすることないわ。大丈夫よ。それより」
鉛筆で卒業アルバムの狭山嘉奈の写真を指す。
「問題はこの女が今どこにいて私たちに対し、好意的なのか敵意むき出しなのか無関係な存在なのか……」
「敵意むき出しだったら最悪だな」
坂戸は卒業アルバムをパラパラとめくっていく。
「おっ、最後の名簿欄に住所と電話番号があるわね。個人情報保護法の成立が早まってなくてよかったわ」
「なんだそりゃ」
「気にしない気にしない。それより、電話してみるわよ」
1階に降りて黒電話のダイヤルを回す。しかし何度かけてみても、現在使われていない旨を告げるアナウンスが流れるだけであった。
「チッ、ダメかー」
「仕方ないわよ。諦めましょ」
坂戸の諦めの良さに、カチンときた由加里は食ってかかった。
「なんでそんな落ち着いていられるん? せっかくの手がかりが消えたんだぞ」
「まあまあ。それより、違うところからのアプローチを思いついたのよ」
坂戸の卒業アルバムを眺めていた視線が、違う生徒に留められていた。
家の自室で独り、由加里はふとそんなことを思う。もうひとりの自分が来てからというものの、様々な出来事があった。現状でもなつめから恋愛対象として迫られるとは夢にも思いもしなかった。
坂戸の言うことは全部信じたいのが理想だ。しかし、人間そう全部を信じられないのが現実である。どうしても起こっていないことに対しては真実か嘘かわかるわけがない。信じようと思えば信じれるし、信じられないと思えばそれまでである。なにせ、経過と結末を知っているのは坂戸だけである。今のところはだいたい以前話してくれた通り進んでいるらしい。
もしも万が一坂戸が嘘をついていて、自分を含めた新後アイリス全体を操っていたとしたら。救うなんては真逆で、元の世界とは違ったやり方で破滅に導いていたとしたら。こんなふうに疑えることもできた。けれどキリがないし、確証なんてない。ただ、坂戸がいう元の世界で経験してきた知識と記憶、それに自分と瓜ふたつの顔を信じるしかないのだ。
出会った当初は不安になることもあった。自分しかわからない、坂戸イコールもうひとりの自分――明らかに異常に思える。だから、仮説として倉本元監督の死が思いのほか衝撃が強すぎて、自分の心と頭が壊れてしまったとも疑った。空想が壊れた脳で具現化し、妄想が坂戸監督を年老いた自分に見立てて接しているんじゃないか、と。だが、この仮説は早々に取り下げた。
由加里は坂戸以上に悲嘆に暮れることができなかったのだ。入団してともに日本選手権まで戦い抜いた記憶は新しく、思い入れも強く鮮明なのだが……。それはたった4年の出来事である。以前話してくれた坂戸が倉本とともに過ごしてきた約30年間とではあまりにも差がありすぎた。感覚として由加里にとって倉本は親戚のおじさんぐらいのもので、坂戸にとっては親と同等かそれ以上の存在だっただろう。ちなみに、後付けの情報手に入ったところで脳を騙(だま)すことも可能だった。が、坂戸の話を信じて協力したほうが自分にとってチームにとっても良さそうだと判断した。由加里自身では正しい道までとは断言できないが、とにかく道を示してくれる人間がいれば心強いものである。
脳を騙し、腐らし、鈍らせて現実逃避をしてても、貴重な人生をムダにするだけだ。
――卒アルに何かヒントがあるかもしれないな。
部屋の隅(すみ)に転がっていた小学校、中学校、高校の3冊の卒業アルバムを手元に寄せる。パラパラとめくって何気なく思い立つ。
――ひとりひとりの名前を書き写してみるか。
瞬時に面倒くささが先行した。しかも名前を漢字で書いた横にローマ字でも書いてみよう、と、心中にいるもうひとりの自分が提案している。さらに面倒くさい。どうしてこんなことを思いついたんだろう。
――坂戸悠里と佐渡由加里の名前の響きが似てるから?
自分を呪いたかった。とりあえず机に真新しいノートと鉛筆を用意してみる。ため息が出た。ダブる生徒もいるが、100人は優に超えるだろう。しばらく準備万端(ばんたん)に整えた机を覇気(はき)のない顔で見ていたが、頭にハチマキを巻いて気合を入れた。
――大変だけど……やるしかない。すべては新後アイリスのため、もうひとりの私のためだ!
「ただいま帰りましたー」
坂戸が佐渡宅の玄関で靴を脱いでいると、勢いよく階段を駆け下りる音がしてくる。その主に笑いかけた。
「あら、お出迎えとは珍しい」
「いいから、早く来て! ああもうまどろっこしい!」
血走った眼をした由加里が坂戸の手を引く。お構いなしに自室へ引っ張った。
「いったい、なんなのよ」
若干息切れした坂戸が不快げに言葉を漏らす。由加里は無言でノートを突きつけて指さした。
「ここを見て。この狭山(さやま)嘉奈(かな)って女の名前をローマ字で書いてバラして組み合わせてみたんだ」
いくつかのローマ字の姓名に混じってしっくり来る名前があった。
「カナヤマサ……かなやまさ……金谷政!?」
「ね。この女の名前をバラすと、前に話してくれた金谷政って名前が出てきたんだ」
開かれたアルバムの中から狭山嘉奈を目に留めた。三つ編みを二つ結びにしていてかつ瓶底眼鏡と、いかにも地味で塗り固めたような女子生徒だった。
「中学までいっしょだったんだけど、あいにくあまり話したことがなくて印象ないんだ」
問われる前に由加里は小中学校での関係性を言った。
「そうなの、残念」
興奮がしぼみ、冷静さを取り戻した坂戸がノートに目をやった。
「待って、もうひとつ組み合わせができるのよ」
鉛筆をノートに走らせる。筆記体で書かれた名前を、由加里は声を出して読んでみた。
「なかまさや? 仲なんて苗字があんの?」
「うん。元の世界では金谷政だったけど、この世界では仲正弥って名乗ってるのよ」
「ああ、昔からバッテリーを組んでいた」
言って、由加里はバツが悪そうに口をつぐんだ。前に坂戸が取り乱したことを思い出したのだ。坂戸は軽く微笑む。
「もう、気にすることないわ。大丈夫よ。それより」
鉛筆で卒業アルバムの狭山嘉奈の写真を指す。
「問題はこの女が今どこにいて私たちに対し、好意的なのか敵意むき出しなのか無関係な存在なのか……」
「敵意むき出しだったら最悪だな」
坂戸は卒業アルバムをパラパラとめくっていく。
「おっ、最後の名簿欄に住所と電話番号があるわね。個人情報保護法の成立が早まってなくてよかったわ」
「なんだそりゃ」
「気にしない気にしない。それより、電話してみるわよ」
1階に降りて黒電話のダイヤルを回す。しかし何度かけてみても、現在使われていない旨を告げるアナウンスが流れるだけであった。
「チッ、ダメかー」
「仕方ないわよ。諦めましょ」
坂戸の諦めの良さに、カチンときた由加里は食ってかかった。
「なんでそんな落ち着いていられるん? せっかくの手がかりが消えたんだぞ」
「まあまあ。それより、違うところからのアプローチを思いついたのよ」
坂戸の卒業アルバムを眺めていた視線が、違う生徒に留められていた。
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