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2章
21 大和侍魂
しおりを挟むグラウンド内にあるブルペンに移動した3人は、少し周辺を整備してから各自準備を始めた。
さすがにプロテクターまでは持ってこれなかった仲は、ネリネが持ってきた球団の予備のプロテクターを借りてテキパキとつけている。興奮で心臓が今にも胸をぶち破りそうな勢いで乱打され、ヘルメットやマスクのすえた臭いすら気にならないほどだ。右打席辺りに立ったネリネよりも後方の位置にしゃがみ、マスクをいじりながら言った。
「こっちはオッケーだ」
「行くよー」
足元を均(なら)していたガウラは笑顔で答える。マウンドに上がったガウラはまさに巨人である。2メートルを優に超え、今まで感じたことのないとてつもない威圧感を感じた。投球動作に入り、息をのむ時が訪れる。ほぼ真上から左腕が振り下ろされると、瞬く間にミットに吸い込まれる。構えた所はど真ん中であり、ストライクゾーンから外角へ大きく外れたが、なんとか捕球できた。
「速いな」
ボールを返しながら褒める。ネリネは鼻で笑い、ガウラは肩をすくめ、大きく笑った。
「私はまだまだこんなもんじゃないよ!」
次々と直球を投げ込んでいく。1球ごとにスピードと球威が増していくのが受けていてわかった。左手が熱を持ち、絶え間なく痛む。しかもコントロールがあまりにも悪く、飛んだり大きく伸ばしたり、ワンバウンドしたボールが体にぶつかることもあった。それでも、仲は絶対に後方に逸(そ)らさなかった。逸らした分だけ投手は委縮(いしゅく)する――仲の持論だ。思い切ったピッチングをしてもらうには、キャッチャーがミットだけではなく、体全体を使って止めなければならない。痛かろうが、痣(あざ)になろうが、打ち身になろうが関係ない。ある意味ピッチャーとキャッチャーの勝負でもあった。
――ホテルで筋トレをして体を慣らしておいてよかったぜ。この体も野球をやってたからいいものの、やっぱり若干の違和感はあるな。俺の体であれば、もっとミットをスムーズに動かせて捕れるのにな……。
ものの30球ほどだが、ほぼ全身に直球を喰らった
「ガウラのボールを一球も逸らさないとは……やるな」
ネリネは目を丸くして仲を見下ろしている。
「言ったろ。キャリアが長いって」
仲はニヤリとしながら言った。元の世界のいたころも現役を引いてもなお、常にマイキャッチャーミットを持参してどんな投手の球を受け続けてきた。この体もそうだったんだろう。思ったほど動けたし、後ろに逸らさなかったのが何よりの自信になった。
「んじゃ、今度はスライダーを投げるよー!」
ガウラが宣言した途端に、ネリネはバッターボックスから外れて仲の後ろに立った。
「なんだ?」
「一発で捕れたら、なんでも言うことを聞いてやるよ」
「ほう、本当か。後悔するなよ」
「後悔なんてするもんか。アンタは絶対に捕れないからな」
そうこうしているうちに、ガウラが投球フォームを始動させた。すぐさまは違和感に気づく。先ほどまでとは違い、なぜかスリークォーターとサイドスローの中間辺りからボールが放たれたのである。
――あれは……全盛期のガウラ!?
全盛期のガウラとロクに姿を重ね合わせる間もなく、外角のストライクゾーンギリギリからボールが鋭く変化してくる。キレ味抜群(ばつぐん)の右打者にぶつかりかねない高速スライダーだ。ミットの移動が間に合わない。体も後からついてくるが、逃げていくボールを体に当てて防ぐことも叶わない。初めて捕れなかったのだ。
――なんてキレをしてやがる。捕れるわけもないし、そうそう打てるわけもないぞこれは。
グラウンドを転々と転がっていく白球を呆然と見つめている。そこに、ネリネの声が降ってきた。
「だから言ったろ。――キレと変化があり過ぎて――絶対捕れないって。私だって最初はムリだったんだ」
ガウラの高速スライダーを褒めるわけでも、仲のキャッチングを貶(けな)すわけでもなく、あくまでも客観的な言い方である。
「ああ、お前の言う通りだよ。スピットボール(不正球)の類(たぐい)かと思うほどだ。だけどな」
仲はミット何度か叩き、構え直した。
「捕れないってのはいくつになっても悔しいもんだ。俺みたいな中年オヤジでも昔取った杵柄(きねづか)がある。ガウラ、もう何球か投げられるか?」
「大丈夫だよ――っ。捕れるまでやろっか?」
「おう、望むところだ」
それからまずは土手っ腹に入り、ついで膝に足、ミットを弾いたボールがマスクを吹っ飛ばすなど、さすがの仲自身も捕れない自分を脳裏に思い浮かべた。10球ほど投げたとき、スライダーの投げ損じがミットから逃げて股間に直撃した。
「――ッ!」
仲は声なき声を上げて痛みに悶絶(もんぜつ)する。すかさず背後にいたネリネは四つん這いになった仲の腰をポンポン叩いた。女キャッチャーでも、男の大事な所の痛みの対処法は心得ているようだった。
「ごめん、大丈夫!?」
ガウラは泣きそうな顔でマウンドを降りてきた。やや痛みが引いた仲は脂汗(あぶらあせ)に塗(まみ)れた顔を上げた。
「大……丈夫……だ! こちとら日本男児だ、大和(やまと)侍(ざむらい)魂(だましい)を舐めるんじゃねえッ!」
呆気(あっけ)にとられたガウラとネリネが視線を交わした。
「ガウラ、もう1球だけ頼む。高速スライダーを投げてくれ。次は絶対に捕って見せるから!」
黙っていたネリネが聞きづらそうに言った。
「その、下の痛みは大丈夫なのか」
「痛(いて)えに決まってるだろ。だがな、球筋やキレ味を頭とミットに叩き付けておかねえと忘れちまうんだよ! オメェも同じキャッチャーならわかっだろッ?」
仲の凄まじい気迫にやや気圧(けお)されたネリネだったが、キャッチャーとして思考を巡らせたとき、言っていることが正しいと思えた。
「……その通りだ。ガウラ、仲は大丈夫だ。もう1球だけ投げてくれないか」
「わかった。ネリネが言うんなら大丈夫だね!」
ガウラがマウンドに戻って足元を丹念(たんねん)に均し出した。仲がミットを構えて「来い!」と叫ぶ。ガウラの長い指先からボールが離れた。一瞬、キレ味鋭い高速スライダーが襲い来る錯覚にとらわれる。しかし、恐怖にも似た雑念を振り払い、素早くミットでボールを追いかけ、手に力を込める。直後、ミットを叩く乾いた快音が鳴り響いた。
「よし! よーし! 捕れたぞ――ッ!」
仲が両手を上げ喜びを爆発させる。ガウラが駆け寄ってきて仲に抱き着く。ネリネは喜びを分かち合っているふたりを、険の取れた穏やかな表情で優しく見守った。
「おやおや、やってるな」
監督のランドルフがグラウンドに姿を現した。スーツを着用しており、会った当初よりも小ざっぱりとしている。
「少しガウラのボールを受けてました」
「そうかそうか。暴れ馬のような投球だっただろう」
仲は微苦笑して正直に答えた。
「はい。散々にやられました」
ランドルフはアメリカ人らしく豪快に笑う。
「それで、どうしたんですか」
横からネリネが聞く。オフは滅多にグラウンドに踏み入れることがない人物がここにいる。ネリネにはどうにも嫌な予感がしているらしかった。
「ああ、ミスター仲も含めた君たちに用件なんだが」
表情を引き締めているネリネの横顔と、少し緊張している様子のガウラを交互に見やりつつ、ランドルフは笑いを収めながら神妙な面持ちになって言った。
「とりあえず今は、ミスター仲だけ監督室へ来てくれないか」
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