Unknown Power

ふり

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3章

08 悪夢の中のデジャヴ

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「先生。やっぱり私は手術を受けられません。日本に帰ります」

 タイにある病院の診察室である。憔悴(しょうすい)しきった拝藤の秘書・五月(さつき)瑞加(ずいか)が、医師に向かってハッキリと言って辞した。
 それから数時間後、日本の成田行きの飛行機の深夜便に乗った。
 1週間滞在したタイが離れていく。眼下の空港の灯りは高度が上がるにつれて見えなくなった。
 瑞加は毎日悪夢にうなされていた。1日ごとに暗闇の中から声が聞こえるというものである。中年と老年の男女の日替わりで、マイクを通しての感情を抑えた淡々とした語り口だ。遺骨法要のあとの会食の席なのだろう。葬儀(そうぎ)に参列してもらった人々にお礼を述ベ、瑞加の享年を言った瞬間に目が覚めるのだ。
 日に日に最大で5歳ずつ自分の享年が早まり、言い知れぬ恐怖を感じた。気晴らしのために観光地や寺や史跡などを巡り、恐怖をかき消そうとした。しかしどれも効果なく終わり、悪夢にうなされるぐらいなら日本に帰り、正直に拝藤に「できませんでした」と、言ったほうがいいと思ったのだ。自分で決断したつもりだったが、気持ちがついてこないし、何よりも運命が導いてくれない。五月瑞加は運命論者なのである。

――拝藤社長は許してくれるだろうか。

 拝藤に逆らった者の多くは、程度にもよるが雑用や名ばかりの閑職(かんしょく)に飛ばされたり、僻地(へきち)の支社に飛ばされることが多い。中には会社を追われ、同業他社には雇わないように触れを出したりもする。昔で言う奉公構(ほうこうかま)えのようなものだ。そのため、触れが回ったら最後。同業では仕事ができず、異業種に転職することを余儀なくされるのだ。
 拝藤組よりも会社の規模的に上の企業も雇おうとしないので、いくら有能な人材であっても中小企業はみすみす見逃すしかない。こっそり雇おうとする企業もいるが、どこからともなく見破られ、企業自体も拝藤の手練(てれん)手管(てくだ)な外交術によって潰されるのだ。
 しかしこれは、拝藤が戦士と認めている者だけであって、社員と見られていればどんなにミスしようがお咎めはない。
 戦士とは野球部全体と課長以上の管理職が含まれる。野球部は社員の籍を置きながら仕事は一切しない。常に他のクラブや企業と練習試合を行っている戦う集団なのである。拝藤はそう見ている。課長以上の管理職は人心を束ね、統率し、目標に向かって指示を伝える役割がある――というのが理由だ。

――私にはまだ無理だった。勇気と決断力が足りてなかった。でも試合に出るためには……。

 瑞加は秘書ながら選手の誰よりも遠くへかっ飛ばす打力があった。社長の拝藤はもとより、監督の園木も選手としての活躍を熱望している。拝藤組の黄金時代を持続していくためには、必要不可欠な存在なのである。瑞加も年が明けてから活動しようと考えていた。しかし、日本選手権が終わってしばらくしたころからだった。ある不正が露見し、拝藤組野球部が崩壊するリアルな夢を時折見たのだ。まるでもうひとつ世界があって、その世界に自分がいて体験しているような感覚。デジャヴでは片づけられないようなとてもリアルな夢だった。
 こんな夢を見なければきっと、瑞加は手術を受ける決断をしていなかった。わざわざ手術を受けてなくてもごまかしが利くのではないかと思う。だが、夢の中での体験ではごまかしがバレ、懇意(こんい)も敵対も関係なくマスコミに袋叩きにされ、拝藤は記者会見で血の涙を流して野球部を廃部する旨を発言していたのだ。
 予知夢である保証もないが、信じるに越したことはない。しかし、運命は導くどころか異国の地で悪夢を見せた。

――もしかして、取るなって言ってるのかな……。

 股の辺りに目を落とし、しばらく凝視し続けた。布の中に収まっているモノは特に目立った反応はしなかった。

 そう、五月瑞加は男なのである。



 帰国して真っ先に社長室を訪ねたのだが、拝藤は不在だった。やむなく秘書室に顔を出すと、萩野(はぎの)一女(いちめ)が自席で仕事をしていた。

「あら、安静にしていなくて大丈夫ですの」

 一女の目の前の瑞加自身のデスクの傍らに、スーツケースやカバンなどを置く。

「平気。だって、手術を受けられなかったから」
「まあ……。でも、仕方ありませんわ。わたくしだって2回も観光して帰ってきただけですもの」
「本能的な恐怖を感じたんだよ。あの手この手で自分の脳内が、霊的なたぐいのものたちが必死になって止めようとしてる」
「確かに、タイに滞在しているころは悪夢をよく見ました。思い出したくないのもありますわ」
「そういえば、社長はどこへ?」
「社長ならシンガポールに行きました。なんでも、新しく海外に支社を作りたいとおっしゃっていましたわ」
「携帯、繋がるかな。一応帰社の報告をしたいんだ」
「どうでしょうか。幸い、シンガポールと日本の時差は1時間しか違わないので、起きている可能性が高いと思います」

 瑞加は受話器を持ってダイヤルボタンを押していく。

「社員にはすべからく優しいですけれども、戦士にたいしてはすべからく厳しい。瑞加さん、あなたは戦士か社員、どちらに見られていらっしゃるかしらね」
――どうして寸前で胃が捻り上げられそうな嫌なことを言うかな。

 内心一女にイライラしつつも、数回のコールで拝藤と繋がった。

「おはようございます社長。五月です。お久しぶりです」

 しばしの間拝藤と会話を交わし、何やら決意を滲ませた顔で受話器を置いた。

「新後に行ってくる。少しは社長の役に立たないと」

 一女は瑞加の肩を揉んで優しくさすった。

「肩肘張らず、がんばってくださいまし」

 鉄仮面のように表情を変えない女だが、かけてきた言葉は優しかった。

「ついでに奴の尻を引っ叩いてきてくださる」
「狭山(さやま)――いや、今は平瀬(ひらせ)だったっけ。すっかり存在を忘れていたよ。工作活動は進んでるのかな?」
「進捗(しんちょく)は、急速に進み始めたそうですわ。坂戸悠里(ゆり)が沖縄に飛んだおかげなのでしょう」

 瑞加が嘆息した。蘭の手際の悪さにガッカリしているらしかった。

「甘いな。頭を使わなければ、あっという間に練習試合の日が来るっていうのに」

 一女がうなずき、切れ長の目から鋭い眼光を飛ばす。

「今が最大の好機。ここでくさびを打ち続けなければ、新後アイリスを崩壊へと導けませんわ」
「まったくだ」

 瑞加は電話の間に一女が淹(い)れてくれたミルクティーを飲み干し、寮の自室でトランクの中身を入れ替えると、新幹線で新後へと発って行った。
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