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3章
09 新後の味
しおりを挟む一女からもらった地図を頼りに、新後駅からタクシーで恩愛寮へ向かう。
「お嬢さん、アイリスにお知り合いでも?」
「知り合いはいませんが、最近伸びてきているチームだと聞いて」
「おや、まさか入団テストを受けようって腹かい?」
「……ええ、まあ」
「最近まだ多いらしいんだよね。条件を厳しくしても、バブル崩壊の煽(あお)りのせいだろうね。プーやフリーターの女の子たちが受けに来るんだと。一日最高で10人って言ってたかな。中には女装して受けようっていう強者(つわもの)っつーか、馬鹿者っつーか、アホ丸出しの奴もおってね。食うに困ってるのは同情できるけど、炊き出しを行う慈善団体じゃなくて野球チームだからな。だから最近は誓約書を書かせて、破ったら親元に連絡するって言ってたわ」
――私も強者に入るのかな。戸籍上も身体上も男だけど。
瑞加は適当に相づちを打った。
「ま、これも全国選手権で名前が売れた有名税かな」
運転手は自分のことのように言って笑った。
「でも、お嬢さんなら入ってくれればチームが強くなるな。ガタイがそんじょそこらの女と全然違う。もし、テストに受かったらバンバン活躍してくれよなー」
瑞加は何も答えないで愛想笑いを浮かべた。
「さあ着いたぞ。ここが恩愛寮だ。デカいだろー? そらもう、飯酒盃(いさはい)さんがメインで金を出してる熱の入れようだからな」
――イサハイ工業の社長だ。この人がいる限り、新後アイリスは安泰(あんたい)なんだろうな。出資の額が大きすぎて、企業チームと疑われてもおかしくないほどだ。
瑞加は運転手に礼を告げ、荷物を持って車外に出た。
グラウンドに行ってみる。そこでひとつのしくじりを犯したことに気づいた。
――うち(拝藤組)じゃあるまいし、クラブチームが平日の昼間から練習をしてるわけがないか。
初歩的なミスに、拳を作って自分の腹に打ち込む。
――これからどうすればいいのやら……。
無人のグラウンドを前にして途方に暮れた。空気が入った風船(ふうせん)がしぼむように、テンションがガタガタと落ちていく。
クラブチームの練習する時間帯は、早朝か早くても夕方の5時を過ぎてからである。一般的な企業の終業時刻だ。
瑞加は腕時計に目をやる。午前11時51分。あと5時間弱も時間がある。いくらなんでも来るのが早すぎた。気持ちが先走っていいことなんて少ないのだ。
不意に、風が煮物の匂いを運んできた。しかもちょうど腹が何もないことに反抗してきて鳴った。図ったかのようなタイミングである。
――機内食、全然食べれなかったな……。
不安と罪悪感で胸がいっぱいで、ひと口食べただけで受け付けなかった。以後、口にしたのは帰社したときに飲んだミルクティーのみ。
――駅の構内で笹団子(ささだんご)でも買っておけばよかった。
笹団子とは新後の和菓子のひとつ。アンコの入ったヨモギ団子を笹の葉でくるんだ物である。
――国道に出てタクシーを拾おうか。
今さら後悔しても遅かった。立ち去ろうとしたとき、低い女の声が飛んできた。
「おい、ナ(おまえ)は何モンだ?」
頭にタオルの鉢巻をし、アイボリーのボアのついたブルゾンに、同色のパンツを穿いた女が不審(ふしん)な目つきを瑞加に向けている。
――土木作業員の格好をした女?
瑞加が質問に答えずに様子をうかがっていると、先に痺(しび)れを切らした女が盛大に舌打ちをし、後ろに手を回して何かを振り上げた。トンカチである。
「10秒以内に答えねっと、コイツをナ(テメェ)のドタマにしゃあ(殴り)つけっぞ!」
せっかちなカウントダウンが始まる。さすがの瑞加も話す気になった。
「待って待って。私はただ、入団テストを受けに来ただけの者です」
「……本当なんだか?」
「本当です。暇だったのでグラウンドを見ていただけなんですよ」
振り上げていたトンカチを腰に挿して、大股でこっちにやってくる。瑞加が思ったよりも少し身長が低かった。
「タッパあんな。なんセンチだ」
「177、いや178あったかな」
「そこいらの野郎ぐれぇあんな」
感心したように言いながら、二頭筋(にとうきん)辺りを鷲(わし)掴みにした。瑞加は反射的に力を入れ折り曲げてみせた。
「ほー、いい感じじゃねぇか。球をぶっ叩くホームランを打ちそうだ」
「鋭いですね。その通りです」
「馬鹿野郎、褒めてもなんも出ねぇわや」
女は腕を組んでより眉間にシワを寄せる。照れを隠しているのだろう。だが、視線はまっすぐこちらに向けられている。しばし見つめ合う。色恋も何もないし、ただ探り合いの時間が過ぎる。
と、ふたりの腹が何か入れろと盛大に音を立てた。脳と胃による飯の催促の抗議が止まらない。
「ナ(おまえ)も腹ペコなんけ。しゃーねぇ、ついて来い。靖子さんに言ってナの分のマンマ(昼食)も作ってもらうすけ(から)」
「おいしい……」
炊き立てのコシヒカリを口に入れた瞬間に、言葉が自然と漏れ出た。噛めば噛むごとに甘みと旨(うま)みの相乗効果で、口内が幸せに満たされる。タイにもうまい料理があるが、やっぱり生まれ故郷の日本食には敵わない。
「このタレカツうんめぇてば、ナ(おまえ)も食えや」
言われるがままにカツを1枚取ってかじる。サクサクした食感に肉汁が染み出てきた。しょうゆベースの甘じょっぱいタレと合わさり、また食欲を刺激する。瞬く間にどんぶり飯を平らげ、恥ずかしそうに靖子に2杯目をよそってもらった。
「肉もいいけどや、この栃尾(とちお)の油揚げもうんめぇんだわ。しょうゆをかけて食えや」
長皿に綺麗に等分された焼き目のついた油揚げの上で、かつお節とネギが大量に盛られていた。しょうゆを回しかけてひと切れ頬張る。外は香ばしくカリっとしていて中はフワッとしていて、かつお節とネギが良いアクセントになっている。ごはんにも合うが、酒の肴にもなりそうだ。
「壱岐さん、私幸せです……」
のっぺと漬け物の辛子ナス――ナスを溶いた辛子で漬けたもの――で2杯目のどんぶりを空けたとき、瑞加の目から涙が出てきた。辛子がからすぎたのもあるが、1週間振りの日本食に感激してのだ。
「おお、いがったな。って、もう食ったんか。オレも負けてらんねてば」
桐子も2杯目を掻き込み、口をもぐつかせながら自分と瑞加のどんぶりを持って、靖子におかわりを求めに行った。
――新後の人はいいな。こんなにおいしいお米とおかずがたくさんある所に住めて。
「ほら、食え食え。そんげガタイでもう腹くっちぇ(腹いっぱい)なんて言わせねっけな」
「壱岐さんもよく食べますね」
「あったりまえだわや。現場仕事に野球の練習だろ? 食わんきゃやってらんねぇわや」
ようやく空腹が収まってきたふたりはお互いの話をした。もちろん瑞加のほうは拝藤組というワードを出さなかった。それを口にするわけにはいかないから、適当な作り話をでっち上げたのである。そんな作り話でも桐子(きりこ)はいたく瑞加を気に入り、どんどん靖子に料理を持ってこさせた。
瑞加は遠慮(えんりょ)なくすべて平らげた。空腹だったのもあるが、靖子の作る料理の味付けがどれもこれもド真ん中だった。それに、桐子という口は汚いが、話のおもしろい女に興味を持ちつつあった。
「ごちそうさまでした」
「まだあっぞ?」
「もうさすがにお腹いっぱいですよ」
瑞加が袖(そで)を捲(まく)り、自分と桐子の分の空になった食器を重ね持ってキッチンルームへ運んだ。
「一飯(いっぱん)の恩義です。皿洗いをさせてください」
「あら、いいのよ。あたしの仕事だっけに、ゆっくり桐ちゃんと話してなさいよ」
「いえ、私の気が済みませんから」
長身を折り曲げてスポンジを泡立てる。
「わかったわ。お願いね」
皿についた汚れをあらかた水圧で流れ落とす。いったん蛇口を止めてからスポンジを使い、丁寧に汚れを落としていく。
――新後アイリスはいいところだな。
一瞬脳裏によぎった言葉に瑞加は目を見開き、前を穴が空くほど見つめた。
拝藤組の人間ならみじんたりとも思ってはいけない。なのに、思ってしまった。
――情にほだされている……?
頭を振って、浮かんだ雑念を急いで掻き消すよう皿洗いに集中する。……しようとしたのだが、意識のほとんどが持っていかれているらしい。瑞加自身が想定したよりも2倍の時間をかけて皿洗いを終えた。
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