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3章
10 入団テスト
しおりを挟む午後5時を少し過ぎたころに、由加里は本保とともに恩愛寮に現れた。
ふたりはぐったりした様子で食堂のイスに身を預けた。
「どうしたの。そんな疲れた顔して」
靖子がお茶とお菓子を出しながら聞いた。
「本保さんの手伝いをしてたんです。体力仕事だし、課の人は自分の仕事があるし、なかなかやる人がいないっていうからさ」
「ヒャー、由加里のおかげで助かったよ。資料の入った段ボールは重いからね。バイト代に色をつけてもらうよう、課長に言っておくよ」
「いいよいいよ。そこまでお金に困ってないから」
番茶を流し込んでひと息つくと、小上がりのほうから人の気配がした。サッと振り返り、鋭い声を飛ばした。
「誰かいるの?」
間仕切りのカーテンを掻き分け、長身の女が姿を現した。
「安藤(あんどう)紗弥加(さやか)です」
「部外者がここで何をしてる?」
由加里は警戒心もあらわに、底冷えする声で名を尋ねる。坂戸がいないから、部外者には厳しい態度で応対することに決めていた。
「私は入団テストを受けに来ただけです」
茶封筒を差し出てくる。由加里が受け取りかねていると、見かねて靖子が助け舟を出してきた。
「そうよ、そうそう。桐ちゃんと仲良く話してたから、悪い子ではないんじゃないかしら」
「あの桐子と?」
ぶっきらぼうで粗暴(そぼう)で言葉遣いが汚い桐子は、多くのチームメイトから好かれておらず、距離を置かれている。しかし、向き合ってじっくり話せば、実にいろんなことを知っているおもしろい人間なのだ。
「信じられない。初対面の人間なんてまるで相手にもしないのに……」
「靖子さんも悪い人間だって言ってないんだし、沖縄の悠里さんに聞いてみたら?」
本保の勧めに乗ることにした。早速、宿泊先の民宿に電話をかけて坂戸に代わってもらった。
「それにしても身長があるなあ。自分より高い女の子なんて久しぶりに見たよ」
本保は感心したように瑞加を見上げている。
「私より高い娘なんていくらでもいますよ」
電話を終わるまでの間、本保と瑞加はしばし談笑(だんしょう)をした。
「入団テストをやるから更衣室で着替えてきて」
坂戸との電話を切った由加里は、有無を言わさぬ口調で瑞加に言った。
「わかりました」
瑞加が荷物を持って小上がりから出た。
「あいつ……嘘をついてる」
更衣室へ行く後ろ姿を横目で見ながらささやく。驚いた本保も声を落とした。
「どんな嘘だい?」
瑞加が長テーブルに置いて行った封筒から誓約書と履歴書を引き抜いた。
「監督の考えが正しければ――何もかも」
優秀だった。
今まで受けに来たテスト生とまったく比べものにならない。パワー、足の速さ、守備力など選手として全体的に一段階も二段階も上である。
本来であれば、即4番か5番に据えたいほどの逸材ではあるが……。
「安藤さん、合格です」
本保が平静を装って告げる。見る見るうちに汗にまみれた瑞加の顔がほころんだ。
「ありがとうございます。がんばります。それにしても、このチームは雰囲気がいいですよね。みんなが一丸となってがむしゃらに立ち向かっていく――こう見受けられました」
「テストを受けながら思ってたの? 余裕なんだな」
由加里のトゲのある口調である。
「余裕ではなく、視野が広いと言ってください」
「調子に乗らないで」
由加里がぴしゃりと言うと、瑞加は変わらぬ表情のまま口を閉じた。
「明日から来て。練習用のユニフォームが来るまでは、しばらく自前のジャージになるけどいいよね?」
「わかりました。大丈夫です」
「おー、ナァ(おまえ)受かったんか」
桐子が薄汚れた作業着のままグラウンドに入ってきた。仕事帰りなのだろう。グラウンドの外には後輩らしき人物がふたりいた。
「こら、桐子! 作業着で入ってくるなってあれほど言ったろ! ケジメをちゃんとつけなさい!」
「っせーな。かてェこと言うなてや。コイツとはいっしょの釜(かま)のマンマを食った仲なんだわや。よーやった、よーやった!」
桐子は瑞加の背中をバンバン叩き、テストの合格を称えた。
「これから銭湯にひとっ風呂浴びに行っけどよ、ナ(おまえ)も行くか?」
いっしょに行けば非常にまずい事態になる。女でないことがバレ、大きな騒動になるし、警察に捕まってしまうだろう。
「わ、私は遠慮しておきます。それでは明日ですね。お先に失礼します」
早口で告げると、瑞加は脱兎(だっと)のごとくその場から駆け去っていった。
「んだぁ? 用事でもあんかや?」
ひとり状況を読み込めていない桐子に、由加里と本保が説明した。
「あん畜生(ちくしょう)は敵のスパイだったって言うんか!」
桐子は歯噛みして地団駄を踏んで悔しがった。
「わーりぃ、敵のスパイだったとは知らんで、マンマ(メシ)なんか食わしちまって」
由加里はポケットから折り畳まれた紙をつまみ上げて広げた。
「仕方ないって。こんなヘタクソな似顔絵でわかるわけがない」
ネットも普及していなかったし、五月瑞加の名前は社会人野球の写真名鑑にも載っていなかった。やむなく坂戸は、似顔絵を描いてみなに周知させようとしたのだが、絵心が壊滅的な有り様だったから少しも伝わらなかった。そこで、知り合いの漫画家志望の人間に描かせたのだが、いまだに完成品を持ってこないでいた。
「でもなんで、そんな奴とわかっててテストなんかしたん?」
「実力を見定めたかった。グラウンドの部員たちの動きを見ていたから、手を抜いているところもあるだろうけど、それでも実力は私たちの遥か上」
「日本選手権で拝藤組は、まだまだ本気を出してねかったんか?」
「そうだろうね」
「クソが! チックショウめ!」
桐子がグラウンドの土を蹴り上げ、怒声を上げる。
「きっとアイツは安藤紗弥加という名では二度と来ない。次にこのグラウンドに現れるときは、元の五月瑞加で来るだろうね」
「上等だ、ヤメ(あいつ)らの鼻っ柱をへし折ってやらあッ!」
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