Unknown Power

ふり

文字の大きさ
54 / 103
3章

11 ネギ畑での決意

しおりを挟む

 新後から抜け出した五月瑞加は、農作業着姿で畑にいた。首に巻いたタオルで化粧っ気のない顔の汗を拭い、ひとつ伸びをした。
 見渡す限りの畑の風景に、いったい残り何千本のネギが地中に埋まっているのだろう。いくら機械を使っているとは言え、何十年振りかの久々の農作業は腰や背中にきた。
 埼玉県の深谷(ふかや)市内に瑞加の実家はある。地元の名産品の深谷ねぎを専業で作っていた。
 新後から帰社しても仕事が手に付かない。こんなことは初めてだった。
 拝藤は働き詰めと手術に伴う精神的なケアが必要と判断し、しばらくの静養を勧めてくれた。瑞加は素直にありがたく応じた。
 ここまで拝藤が瑞加に優しいのには理由がある。
 あるとき、何を思ったのか男性秘書として入社していた人物――吉賀(よしが)壮男(あきお)という人物が、突如休暇を取ってタイに飛び、男性自身を取るとともに整形をして帰ってきたのだ。それから今年施行されたばかりの法律――通称「性同一性障害特例法」――で戸籍的にも男から女になったのだ。言葉遣いも表情や仕草も何もかも変わっていた。まるで最初から女だったかのように。なりたかったであろう自分を自然に振る舞っている。
 拝藤自身はもちろんモノを取っていないから取った人間の気持ちがわからない。が、吉賀は帰国直後に精神障害を引き起こし、自分の体に慣れるのにメンタルも含め、快復(かいふく)に至るまでかなりの時間を費(つい)やした。拝藤は仕事の忙しさもあったせいか、手術前と変わらぬ仕事を任せた。それがいけなかった。このときのことを拝藤は猛省(もうせい)し、手術を受けようとしている者と受けた者に対しては過剰(かじょう)なまでに心配するようになったのだ。
 さて、吉賀がどうしてそうなってしまったのか。理由は女として、拝藤組の選手として試合に出るためだ。吉賀は、高校まで野球をしていた。高3の夏、甲子園に1回だけ出場したことがある。細身に見えがちな体から振り出されるバットの破壊力は満点で、高校通算30本もの本塁打を放つスラッガーだったのだ。
 吉賀は拝藤から常々スラッガータイプの選手いないものかと、うわ言のような愚痴を聞いていた。吉賀自身も探してはみたが見つからず、どこをどうしてそうなったのか知るよしもないが、それなら自分がやるしかないと思ったのだろうと瑞加は思っている。
 その特殊な前例を作った吉賀を恨むつもりはないし、余計なことをしてくれたなんて思うつもりもない。人には信念がある。吉賀には一生ついて行くと信じた雇い主である拝藤に、自分の身も心も取ったモノも拝藤に捧げる覚悟があっただけだった。ちなみに、この吉賀という男は性別を変えて改名している。今名乗っている名は萩野(はぎの)一女(いちめ)だ。
 さすがの傲慢(ごうまん)な拝藤も「取ったモノを捧げよ!」と、強要するほどの非倫理的な傲慢さは持ち合わせていなかった。
 だが、それを求めているような節が気のせいかもしれないが、瑞加には感じ取れていた。瑞加もこの名を名乗る前は一女ほどじゃないが、通っていた高校では長距離砲として活躍していた時期もあったのだ。拝藤の考えでは、瑞加もモノを取って戸籍上も女になってほしいに違いない。そして、拝藤組野球部の戦力なってほしいだろう、と。瑞加もそれに応えたかった。もともと自分は中庸(ちゅうよう)な存在で、男でも女でもないと生まれてからずっと思っていた。モノがあろうとなかろうとどっちでもよかった。しかしタイに行って悪夢にうなされてからは、生まれてこの方付き合ってきた言わば息子のような存在とは別れるのが惜しくなった。

――私にはそんな思い切りと根性はない……。

 瑞加はどうしたらいいのかわからなくなっていた。
 ひとつは自分は生まれついたモノを取る勇気がなく、それはイコールとして拝藤組に尽くす気構えがない自分にショックを受けたこと。
 もうひとつは新後で芽生えた想いが起因していた。

――どうして壱岐桐子に心を奪われてしまったんだろう。

 女っ気もなければがさつで言葉遣いが方言丸出しで汚いし、トンカチで殴られそうになったし、暴力的なところもあった。正直、好みのタイプの顔でもない。しかし、方言混じりに話す桐子は、内容も含めて魅力的に映った。また話が聞きたいし、してみたい。そう思うと胸の高鳴ってくるのがわかる。

――運命がまた会うようにささやきかけているのかな。

 運命論者の瑞加は気になって仕方なかった。自分の気持ちはひとまず置いておき、運命からの視点でじっくり客観視する必要があった。

――と、それはネギを引っこ抜きながらでもできるよね。

 再び機械を押しながら思考に暮れる。頭の中をぐるぐる思考を回していく。

――運命からすれば、新後アイリスと拝藤組どちらかがこの先得をし損をする。どこへ、どっちへ私を導こうとしているのだろう。

 間もなくひとつの畝(うね)が終わりそうになる。離れた畝にいる母親も同じようなペースでネギを収穫機で引っこ抜いていた。

――神様は私を壱岐桐子に一目惚れさせた。……ということは、新後アイリスを得させ、拝藤組を損させろってことになる。でも、拝藤社長にはお世話になった恩があるし、拝藤組に不利益を被(こうむ)らせたくはないのが人情。でも、運命の導きは明らかに新後アイリスを助けるようになってるみたい。どうすればいいのやら……。

 畝が終わり、次の畝に移ろうとしたときだった。

「そろそろ10時になるわね。疲れたでしょ、おやつ休憩にする?」

 少し離れた畝で作業していた母親に、大声で呼びかけられた。まとめられたネギを手押し車に載せて運び、忙しく往復している。
 正直、瑞加自身は機械に乗って操作しているからそこまで疲れていない。ただ、母親を気遣うなら提案を受け入れるほうを選択した。

「父さんが会合に出てるから助かるわ」

 畑に横付けした軽トラの中でふたりは水筒の熱い番茶をすする。

「ふー、労働後の一杯はおいしいわねー!」
「母さん、相変わらず言うこといっしょだね」
「だって、実際そうじゃないの」

 母はあんこがたっぷり詰まった大福を片手に笑った。

「ねえ、母さん。私、迷ってることがあるんだ」

 大福を咀嚼(そしゃく)しながらうなずく。話を進めるように合図しているらしい。瑞加は自分の思いを洗いざらい全部母に聞かせた。

「隣の芝生は青く見えるものよ」

 3個目の大福を番茶で流し込んだところで淡々と言ったが、すぐに微笑んだ。

「アンタも私の難儀な面を遺伝しちゃったわね」

 瑞加の母もまた運命論者だった。

「はははは、まるで父さんと母さんの馴れ初(そ)めみたいだよね」
「最初はマイナスな印象から始まるのも含めてね。でもね、運命の導きだと心のどこかで理解した途端に輝いて見えたし、父さんのことが好きで好きでたまらなくなった。感情があとからついてくるのは何も悪いことじゃない。ただ、それを本人に言わなければいい話であって、胸の内にしまっておけばいい話」
「母さんも感情があとから来たんだね。そっか悪いことじゃないんだ」

 瑞加の胸のつかえが下りた気がした。どこか何ごとも運命が先行することに罪悪感を覚えていたのだ。

「私個人の意見として新後に行くべきだと思う。運命もそう言ってるのよ。新天地でがんばる娘を応援したほうがいいって。ただし、これは私の意見だけど、行くからにはしばらくそっちにいなさいね」
「うん、そうだね。ちょっと昼休憩になったら外出するよ」



 瑞加はその後、保険証、パスポート、社員証を家の近くのコンビニでコピーし、封筒に入れてポストに投函(とうかん)した。
 拝藤組には実家にもう少し滞在したら戻るが、もはや社長の拝藤に尽くそうと思う気持ちは薄れに薄れていたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

名もなき春に解ける雪

天継 理恵
恋愛
春。 新しい制服、新しいクラス、新しい友達。 どこにでもいる普通の女子高生・桜井羽澄は、「クラスにちゃんと馴染むこと」を目指して、入学早々、友達作りに奔走していた。 そんな羽澄が、図書室で出会ったのは—— 輝く黒髪に、セーラー服の長いスカートをひらりと揺らす、まるで絵画から抜け出したような美しい同級生、白雪 汀。 その綺麗すぎる存在感から浮いている白雪は、言葉遣いも距離感も考え方も特異で、羽澄の知っている“普通”とは何もかもが違っていた。 名前を呼ばれたこと。 目を見て、話を聞いてもらえたこと。 偽らないままの自分を、受け入れてくれたこと—— 小さなきっかけのひとつひとつが、羽澄の胸にじわりと積もっていく。 この気持ちは憧れなのか、恋なのか? 迷う羽澄の心は、静かに、けれど確かに、白雪へと傾いていく—— 春の光にゆっくりと芽生えていく、少女たちの恋と、成長の物語。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~

楠富 つかさ
恋愛
 中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。  佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。  「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」  放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。  ――けれど、佑奈は思う。 「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」  特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。  放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。 4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...