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3章
16 急行
しおりを挟む沖縄から与那国桃未を連れて帰ってきた坂戸、佳澄、相崎、贄の一行は、空港に迎えに来ていたテレビ局のバンに乗り込み、恩愛寮へ向かっていた。
佳澄が人いきれと暖房をガンガン焚(た)いて曇った窓を手で拭いて車外を見た。
「着いたときはポツポツだったのに、まあまあ降って来たねぇ。新後は天気悪すぎだわー」
冷たく身を刺すような雨が、曇天の空から地上にあるものすべてに絶え間なく打ちつけている。
「新後ってめちゃくちゃ寒いっすね。もしかして今北海道にいるんじゃ」
テレビ局用のジャンバーを身にまとい、佳澄から借りたマフラーと手袋をしていながらも桃未は震えていた。沖縄生まれ沖縄育ちの彼女には、一桁の温度の世界がここまで寒いとは思わなかったらしい。
「雪なんか降ったら動けなくなりそうね」
桃未を選手として、迎え入れるデメリットのひとつで寒さに弱いことがあった。どうにか拝藤組との試合前までに寒さに慣れてもらい、体を沖縄のときと同等に動かしてもらわねばならない。と、その前に病院で、体に異常がないか精密検査をすることになっているが。
「早く順応できるようがんばりますっす! でも、雪は見てみたいし触ってみたいっすね。雪だるまを作るのが夢だったんっすよ」
「かわいい夢だなあ」
贄が桃未の夢にほのぼのとした。
「新後って雪国のイメージだったんすけど、全然積もってないっすよね。12月なのに」
「新後市内はそこまで降らないんですよっ。メートル単位で降るのは真ん中と下のほうと山ですねっ」
「へえー、意外っす」
「おかげで雪氷が時々しかできなくて困っちゃいますよ~」
「雪氷?」
助手席でタバコを吹かしている相崎が継いだ。
「積もった雪にかき氷のシロップをかけて食べることなんだってよ。そこの馬鹿が毎年やるんだと。そんなんで腹壊して会社を休まれたら困るから、今年から定年まで禁止だけどな」
「んな―――っ!? 殺生なことを言いますねぇ」
「馬鹿野郎。積もった雪は空気中のホコリも含んでて汚ねぇんだ!」
「あーあ、これだから子ども心をなくした大人は嫌なんですよね~」
「何言ってんだ。おまえも一応ハタチ過ぎた大人だろ。馬ッ鹿じゃねえか。どうしても食いてえんだったら、南極に行け!」
「お、南極ですかー、いいですね~。ペンギンの前で雪氷をキロ単位で食べてやりますよっ」
相崎と贄のやり取りがおかしく、桃未の笑い声が車内に響いている。
そんな中、車に乗ったときから会話に参加せず、一番後ろの席の隅でポケベルを真顔で見つめている坂戸に、佳澄が話しかけた。
「由加里たちめちゃくちゃヘコんでんだろうなー」
昼ごろに行われた試合の結果は、本保からポケベルで知らされていた。
4-12の大敗。
結果だけ見れば情けないで済むところである。蘭が暗躍しているだろうと踏んでいる坂戸は、昨夜沖縄で取った五月瑞加からの電話も相まって蘭が偽者の平瀬蘭であると確信していた。問題はどうやって責めるかだった。
ちなみに電話の内容はこうである。
新後アイリスに所属している平瀬蘭は偽者で、整形と偽名で偽った人物。本名は狭山(さやま)嘉奈(かな)と言い、拝藤組が送り込んだ工作員である。証拠は封筒に入れて佐渡由加里の実家に郵送した――とのことだった。
坂戸としては証拠を突きつけて追放したい。しかし、新後アイリスにとって完全なる毒と知りながら1日でも長くいてもらいたくはない。今すぐに追い出したい。ただ、証拠不十分でやり合うのは分が悪いし、何がどう転ぶかわからない。坂戸にとっては毒かもしれないが、蘭を支持する人間は知らないだけでほかにいるのかもしれない。ハッキリとしているのはなつめとつぼみのふたりだが、チーム内部はともかく外部にもいたら厄介極まりないことだ。それゆえに、慎重にならざるを得ない。安易に動いて虎の尻尾を踏みたくはなかった。
「ねえ監督、聞いてんのー?」
「ごめん。考えごとをしてた」
「もう。悩みごとがあるんだったら、あたしに頼ってくれてもいいのに」
「ありがとう。大したことじゃないから」
ここで話したい内容じゃない。そのことを察知したのか、佳澄はそっかーと言いながら窓の外をなんとなく目をやった。
「あっ、運転手さんストップストップ!」
いきなり言われてもすぐには停まれず、数十メートル進んだ所の路肩(ろかた)に車を寄せて停まった。
「どうしたって言うのよ」
坂戸が目をしばたたかせて聞いた。
「見間違いじゃなきゃあれ、桐子だよ桐子!」
「なんですって!?」
坂戸は疑いもせず車外に飛び出た。佳澄の視力は一般人に比べて抜きん出てよく、疑う余地などなかったからだ。
スポーツバッグを肩に提げ、ジャージを着た人間が歩道を歩いているのが見えた。この土砂降りの中、傘も差さずに下を向いて黙々と歩いている。
「桐子―――っ、桐子なんでしょ!?」
手を振って大声で呼びかける。だが、土砂降りに音が掻き消されているのか、まったく反応が返って来ない。佳澄も降りてきて坂戸に倣った。
「おーい、おーい!」
何度か繰り返したのちようやく、顔が上がった。こちらを信じられない顔で凝視してきた。
「監督、佳澄!」
寒さで体がうまく動かないのか、桐子はもつれながらこちらに向かって走ってきた。
「監督……オレ……」
複雑な顔で何かを伝えようとしたが、坂戸は遮った。
「車に乗りなさい! 話はそれから!」
桐子は素直に車に乗り込んだ。
ラゲッジに置いてあったバスタオルと上着を与え、少し落ち着いてから桐子は試合後のことから話し出した。
「ごめんな、監督。オレ、何もできなかった。オレが情けねぇばっかりに、由加里のことを守れんかった」
桐子は握った拳で自分の頬を打ちつけた。痛みと悔しさが増して顔を歪(ゆが)めた。
「あいつら――蘭たちにやられた。どう考えてもあれはクーデターだ」
「クーデターですって?」
心臓がえぐられるような衝撃が走った。坂戸が留守の間に、事態は予想以上に悪い方向へ進んでいたらしい。電話やポケベルで連絡がつかなさそうなタイミングに仕掛けられたのだろう。こればかりは蘭の手際を認めざるを得ない。
「こっぱみてぇな奴らがいきなり調子コキやがってや、ドタマにカーッと血が上っちまった」
「『こっぱみたいな奴ら』? 誰と誰?」
桐子が複数の選手の名前を挙げた。どれもチームに在籍はしているが、よくて準レギュラークラスで目立った活躍をしていなかった選手たちである。所謂(いわゆる)坂戸にとって影の薄い存在であることは間違いない。
「試合には負けたのよね? 試合内容はどんなだった?」
「由加里は途中まで力を抜いて投げてた。相手は草野球に毛が生えた程度のチーム力だったけな。2点のアメをくれてやって、5回途中でマウンドを降りたんだ。由加里が言うには、ほかの投手も試したいし、ベンチから試合が見たかったらしいんだわ。ところが、代わった見島が打ち込まれて、しかもナマ言った奴らもエラーを連発しやがった。極めつけは平瀬もバッピのように燃えて、神津のアホもトンネルに落球にずっこけなんかやらかしやがる始末。これが全国まで戦ったチームかってぐらいひっでえ有様だったぜ」
坂戸の質問は矢継ぎ早ではあるが、桐子は体の寒さを怒りの熱さに変えて答えていく。
「それで、バスで由加里を励まそうとしたら、見島や神津や平瀬の3人とこっぱ連中がシャシャリ出てきてキレて降りたわけだわ」
あのままバスに残って由加里に寄り添ってやれなかったことを後悔しているらしく、またも拳で反対の頬を打った。
「……蘭の奴、抱き込んだわね」
桐子は腫れた顔で坂戸の顔に目を留めた。
「カネと仕事の斡旋(あっせん)で釣ったのよ。それ以外考えられない」
「クソが!」
桐子は座席シートに拳を打ち込み、歯を軋らせた。
「あと、今日の練習試合も仕組まれていた可能性が高いわ」
車内が静まり返る。みなが事の重大さを理解したのだろう。
「……つまり、練習試合の話を持ち掛けてきた社長は、平瀬に乗せられたクチだと」
やがて相崎が口を挿んだ。
「そう。限りなく黒に近いでしょうね」
「飯酒盃(いさはい)社長が黒って可能性は?」
今度は佳澄である。これには坂戸が息を詰まらせた。
「考えたくないけど、今の段階で絶対的に白とは言いがたいわね」
希望的観測ではある。しかし、強大な後ろ盾である飯酒盃(いさはい)が、蘭の口車に乗せられているのなら新後アイリスは終わりである。物質面や資金面でも大口で出資をしているのは飯酒盃だけで、会社や個人が束になってかかっても敵わないほどだ。
飯酒盃が新後アイリスから手を引く――すなわち、即刻廃部と解散に直結する。
破滅という不吉な二文字が坂戸の脳裏を埋め尽くし、元の世界のその後の光景をまざまざとフラッシュバックさせる。瞳孔(どうこう)が開き、そのまま暗澹(あんたん)の海に沈みかけたときであった。不意に往復ビンタが坂戸の頬を見舞ったのだった。
「監督! しっかり正気を持って!」
ビンタをしたのは佳澄だった。
「過去は過去、今は今! 同じことは起きないし、起きさせなければいいんだよっ」
坂戸がハッとし、力強くうなずいた。
「運転手さん、恩愛寮に急いでください!」
土砂降りの雨が降りしきる中、一行を乗せたバンが急加速し、国道を再びひた走り始めたのだった。
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